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(回答先: Re: ぜんぜんさわやかじゃないです。 投稿者 隣人 日時 2004 年 6 月 19 日 00:05:06)
隣人さん、どうもです。
隣人さんが紹介された「正直の事例」をどう感じるかどう判断するかは人それぞれですが、それほど深くどうこう感じるような事例ではないと思っています。
それは、野球という「虚構の世界」での出来事であること、そして、「行為」(外見的事実)はわかるがそのような行為に導いた“心”がわからないことに拠っています。
● 野球という「虚構の世界」での出来事
野球は“隠し球”でアウトが取れるように、ルール内であれば相手を欺くこともできます。(配球・作戦など、どれだけうまく相手を欺けるが勝敗にけっこうなウェイトを持っています)
実際の試合でも、自分(自チーム)に有利になるアピール動作が良く見られます。
(今回の事例に即して言えば、タッチができなかったけれど、タッチできたように振舞って審判を幻惑するといったことです)
何を言いたいのか言えば、事例を読んで、「この話は、今読んでもとてもうれしい、さわやかな気持ちにさせられます」と感じようと、「少年はバカなアピールをしたもんだ。それに輪をかけてバカなのは審判のベンソンだ」と判断しようと、それらは野球を見る(楽しむ)ときの視点の違いであって、一般化できないということです。
私にとって、少年は“価値中立”的に感じる存在ですが、ベンソンは審判として不適格者(ダメ)だと思っています。
自分(自チーム)に不利になるようなアピールがされることはまずないということで、あまり考えずにそれを受け容れ判定を覆してしまったのみならず、次には、少年の挙動を見て自身の判定を自身の判断で覆しているからです。
(ベンソン審判のおかしさは、タッチされなかったを“正直”にアピールしたランナーがセーフになることは(まず)ないことを考えればわかるはずです)
● 「行為」(外見的事実)はわかるがそのような行為に導いた“心”がわからないこと
野球のコーチであれば、少年に、「アウト・セーフの判定は審判がするものだから、タッチができなかったときも、タッチできたように大げさにグラブを動かせ」と教えていたかもしれません。
少年は、普段から正直であることを心がけていたので、タッチできなかったことを“つい”アピールしてしまったという推測もできます。そして、しばらくたってから、「なんでバカなアピールをしてしまったんだ」と思ったかもしれません。
そのような推測をしてしまうのも、審判ベンソンが「少年の目つきから何かおかしいと感じ」るような振る舞いを見せているからです。
審判のジャッジが絶対という野球のルールに“正直”であるのなら、そのような目つきをするのではなく、審判にアピールしなければなりません。そして、それが受け容れなかったら、すぐにすっきり忘れるほうが望ましい。
少年は、自分の行為の“正直さ”にこだわる人とは言えても、それを超えたルールに“正直”になることは少々不足しているように思えます。
事例の試合が全米選手権の決勝戦などプレイヤーにとって重いものだったとし、少年のアピールでセーフになったことが大量失点の契機になっていたら、“おかしな利敵行為”をした少年は身の置き所がない状況に追い詰められたかもしれません。
(そうならなかったときには、そのチーム全体や地域の人たちにそれなりのさわやかさを感じます)
ということで、取り上げられた事例から、うれしいとか、さわやかな気持ちをただちに感じることはできません。
(その種のことを素直に感じるには情報が不足しているという意味です。事例情報からある“思い込み”をすれば、いろいろ感じることができるかもしれませんが...)
※ 野球のルールを根底からひっくり返して、同じような遊びで、勝ち負けにこだわらないもっと楽しいことをしたという事例なら、さわやかさをそれなりに感じたかもしれません。