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(回答先: 1935(昭和14)年12月、米はモーラル・エンバーゴを発動した。 投稿者 hou 日時 2004 年 5 月 23 日 06:41:52)
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http://www.warbirds.jp/prince/pr0002.html
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『誉』と『100オクタン航空揮発油』
2001.06.11
3週間ぶりに休みを取り、「会社依存症」になっている自分に気づき愕然としております。いずれ「狂気」の世界に身を落とすような気がするホリデーです。(まあ、この掲示板を見ている人はすでにお気づきだとは思いますが。)
せっかくの休日なのですから、本棚から「中島飛行機エンジン史」など引っ張り出し『誉』と『100オクタン航空揮発油』について語って見たいと思います。
「中島飛行機エンジン史」中の中川氏の記述によれば
昭和14年暮れ、栄20型の性能向上を考えて、燃料に100オクタンを使えれば、1シリンダー当り100hp以上はでる。18シリンダーにしたら最低1800hp、うまくゆけば2000hpなるのではないか、という構想が生まれる。
昭和15年はじめ概略の構想ができあがり、海軍に提出された。海軍部内では大きな反響があり、すばらしいという人と、できるとは思えぬという議論があり、結局は官民をあげ、社の内外を問わず協力態勢が出来て、その成果を設計にフィードバックしてもらうことになった。
昭和16年12月に突入するころから、しだいに様子が変わってきた。まず100オクタンが使えなくなりシリンダー温度の異常過昇がおこった。という100オクタン関連のものがあります。
では、実際に日本で100オクタンを実用機に常用することが可能であったのでしょうか?少なくとも昭和16年開戦時、日本ではほとんど100オクタンを自製することは出来ませんでした。実のところ、日本で100オクタンを常用するためには、次の2点の条件のうち1点が満たせれば常用は可能でした。
アメリカより100オクタン航空揮発油または航空揮発油製造に向いた性状のカリフォルニア原油が安定的かつ大量に輸入できる事。(南方の原油はカリフォルニア原油より航空揮発油製造には劣る)
アメリカより高オクタン航空揮発油製造の特許とプラント設備が問題なく(外貨等)輸入できる事。(当時の状況からたとえうまくいっても昭和18年以降でなければ製造は不可能だったと思われます。)
航空揮発油製造に無知なエンジン設計者が、計画を立て、昭和14年末アメリカの道義的禁輸(モラル エンバーゴ)により唯一の解決法であったフードリ固定床接触分解法の導入が不可能になり、100オクタン揮発油量産の道を絶たれたことを知り得る海軍関係者がゴーサインをだしたという所がそもそもの「誉問題」の原因なのです。