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あっしらさんへ、送る回答を考えていたらいつの間にか、一日たっていました。
本当に申し訳ないのですが、わたしには、マクロ経済がまったく手に取ることができないようです。
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わかりづらいのは、経済を身近なものとしてとらえ考えるように身につけているとだれでもわかるのがミクロ経済だからだとおもいます、そのデータの集積がマクロと漠然とおもっていて、その延長線上とかんがえています。
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貿易収支が10兆円を超える黒字である日本経済は、ご指摘の問題を考慮してもなお、「供給額増加→需要増加」を達成する条件があります。
10兆円の貿易黒字が毎年発生するということは、それが国民経済に再投資されれば、GDPが名目で10兆円増加するということです。(2%を超える成長率)
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日本は、確かに海外勘定で10兆円近くのお金が動いていますが、この金額は日本のほぼ製造業が、稼いだお金で、10兆円近くまるまる、日本に投資された場合日本の低生産の市場により、オーバーキャパシティに飲み込まれるだけで、海外に強いノウハウをもつ企業が10兆円を海外で使った方が成長があるとおもいます。
それに日本の、国民経常余剰は、海外へ投資した分をのぞくと1兆3000億円くらい
ですし、その金額はほぼ貯蓄→国債か→外貨のままではないでしょうか?
ここ数年対外資産は純増です。
たとえということは、わかりますが、なんともわかりにくいたとえで私には、いまいちよくわからないのです。
馬鹿ですいません・・・
日本の金利が低いのは、日銀による低利率ということはわかります。
しかし日銀が、こうまでしたのは、なにも社会に先行して行ったわけではなく、
銀行と公的資金(財政投融資)の競争により、民間銀行が押され公的銀行が大きな影響力をもち、国債を発行しすぎたことが原因ではないでしょうか。
もう、不良債権問題を議論して13年がたちますが、日本は直った直ったといいながら
あらたな不良債権をじわりじわりだしてきました。
市場で100兆かという議論のときに政府は、10兆くらいといってましたね。
計算方法が各人で違うため何とでもいえるのが、不良債権問題のやっかいなとこです。
わたしの経験では、政治上の影響力やOB、取引先などの影響が間接金融と持ち合い株を通じて引き延ばしてきたというのが私の感想です。
その間、オーバーキャパシティ(投資過剰・非競争社会・リスクテイク能力のない貸し出し)が、ゾンビ企業をささえ、そして低い金利でお金という商品を貸し込んで、その貸し込んだお金が無駄な材料として残り、それを処理するために、お金が必要になるが、そのときにはだれも貸してくれなく、そして、倒産、その状況は、金利が低くリスクがとれない(誰も処理費用を負担できず)あらたな投資先でなく、今までの企業を支えるという投資に終始するという状況がつづく。
このような、モラルハザードはなぜ続くのか、これは、日本の社会の縦社会が原因だと
おもいます。
優秀な人材は多くいるのに、それを活用できない組織システムが、日本の社会をいきつまされているとおもいます。
銀行は、そのもっともたるもので、国有化という前にペイオフが限定的になされている
現段階では、預金者が動こうとせず、動いても郵便局へ移動するのが関の山です。
郵便局への口座移動や、資金の移動は2001年以降多くなっています。
このような問題が、逆ざや問題や、大きな政府(財政投融資約400兆)+財政支出
という形で、民業を圧迫しています。
この圧迫が、オーバーキャパシティを生み、日本の組織を硬直化させていると思います。
また、このような投資環境と利回りでは、多くの新進気鋭の中小企業に新たな投資を起こすという気力はなくなり、借金返済にまわり、事実上銀行の貸出金利は、正当以下の競争つまりダンピング競争と似た状況が金融市場で行われていきます。
このように、今ある企業・組織が不良債権として消えたり、再編したりして、初めて新たな投資が始まっていくとおもいます。
利回りが低いのは、
「低生産性問題」は、非輸出産業性・不動産関連コスト・高人件費によるものですから、問題にはなりません。とくに、高人件費は、第二次産業や他の第三次産業の需要に大きく貢献しているのです。
国内経済だけの問題で、すむなら話は簡単ですが。
プラザ合意後、日本は内需拡大で景気を盛り上げるということを何度も行ってきました。
しかし、そのやり方は、いままで公的に支配していた権益を確保しつつというものに終始し、新たな投資を(新たな支出)を妨げてきたようにみえます。
日本のこの低生産性が、身近なものとは遠い世界のものであれば、これほど投資効率も悪くなかったでしょうが、公的資金がささえるのは、たとえば、商店街であったり、規模の小さい食品会社であったり、床屋や喫茶、ホテル、医療など生活に欠かせないものばかりです。
また、住宅ローンなども公的資金でしたし、サービスも郵便貯金でした。
民業は、公的なものを敵につけまいと、必死に自主規制につとめていた感もあります。銀行は、採算もとれない事業を、公共性の名のもとおこない、銀行法であるていどその位置が決定されて地位も安定的でした。
日銀や大蔵省の天下り先でもあり、その地位はそれこそ公的な存在としてあったのです。
このような、投資を公共性重視のもと行っている日本は国内の生産性が低いのは当たり前で、経済が少し悪くなればかなりの会社が事業存続に危険性があり、それをまた公的金融機関が助けるという循環があったはずです。
民間最終投資の割合が高い日本経済において、はたしてGDP比のどこまでが低生産性を許されるものなのでしょうか?
おおむねGDPの30%から10%だと私はおもいます。
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