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http://www.alive-net.net/chikusan/fact/55-nikusyoku.html
安い食物の高い代償
ALIVE NEWS No.55 2004.3-4 翻訳 宮路正子
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農場と聞いて私たちが思い浮かべるのは、昔ながらの農場の光景であって、無数の鶏を詰め込んだ倉庫まがいの建物や、灼熱の太陽のもと家畜小屋の中で汚物に足首まで浸かっているたくさんの乳牛ではない。牛は牧草を食んでおり、鶏の排泄物とオレンジピールを混ぜ合わせた餌を食べていることなど想像できない。実際、食糧生産方法についての私たちの認識は非常に時代遅れなもので、クリスマスに狂牛病という贈り物をもらってようやく冷蔵庫の向こうにある農業界を注視せざるを得なくなった。
現実はショッキングなものだった。私たちの思い描いていた牧歌的農場は悪臭を放つ工場へと変貌していたのだ。
まるで何か恐ろしい共謀が働いているかのように思えるが、工場式農業を作り出したのは他人ではなく、私達であり、それがまた私達を作ってもいるのだ。廉価な食物は他の何よりもアメリカの繁栄の要因となっている。アメリカでは他の国より年収に対する食費の割合が低い。アメリカで初めての狂牛病は悪意ある陰謀の結果ではなく、私たちのライフスタイルの代価であり、これを変えるべき時が来たと私たちに告げているのかもしれない。
屠殺後の不用部位を牛の飼料として再利用するという、狂牛病を生んだ作業は、社会理想主義者の考え出したことだった。1988年に狂牛病の原因と公表された肉骨粉は、牛乳のタンパク質量を上げるために第二次世界大戦以降、それまで以上に乳牛飼料に多く含まれるようになった。雌牛にタンパク質を与えると、乳量が増え、栄養価が高まると考えられた。これを推進した乳製品科学技術者は国民を殺そうとしたのではなく、十分な栄養を与えようとしただけだった。
しかもそれは予想通りの効果をあげた。私たちはみな、狂牛病、正式には牛海綿状脳症(BSE)と呼ばれる、が1980年代半ばにイギリスの乳牛の群れで発生してからの破壊の跡を見てきたが、イギリスでは第一次世界大戦中、多くの人々がくる病に苦しんでいたことを記憶している人はほとんどいない。現在、BSE発生の原因となってしまった技術のおかげもあり、イギリス人の栄養状態はよく、一般のロンドン子はくる病という名前など聞いたこともなく、ましてやこの病気になることなどないだろう。
アメリカは、イギリス以上に、廉価で豊富な食物によって変貌をとげた。この国で農業を革新しようとする衝動がどれほど深く浸透しているかを理解するためには、アメリカという国が、18世紀、「改良」の時代と呼ばれる農業革命のピークに誕生したという事実を思い出すとよい。アメリカ建国期の、農場主であった大統領達は、より良い雌牛、より良い作物、より良い農業器機を有する場所としてこの国の構想を描いていた。その結果、より大きな雌牛、より大きな作物、より多い生産量、そして、より大きな農場ができたのだ。
すべてが順調に進み、国民の体格もよくなった。私たちはそれまでのキッチン・カウンター、戸口、ベッドには合わないほど体が大きくなり、祖父母たちはどうしてこれほど背が低かったのか、と思うようになった。
技術は社会革命をもたらした。この50年の間に、戦後の肥料、殺虫剤、殺菌剤、集約的畜産農法、栄養強化された人口配合飼料、抗生物質、ホルモン剤の到来とともに、工場式農業が従来の方法に取って代わった。20世紀の始めには、アメリカの人口の半分は家族所有の農場で暮らしていたが、今ではそれが1パーセント未満となっている。
食物はふんだんにあり、くる病の代わりに肥満が問題になっており、子供は糖尿病を患っている。ごく平均的なティーエージャーさえ、肥満対策の胃バイパス手術についての知識を持ち、市長たちは市民にダイエットを呼びかけている。
私たちの食物摂取量がもたらした公衆衛生の危機の背後には、食物生産方法に起因する、より大きな生態系の危機が潜んでいる。殺虫剤汚染は、トウモロコシ生産地帯である中西部の水路で非常に深刻で、両生類の生息数が激減している。内分泌学者は、中西部の農業州で除草剤が引き起こしている人間の不妊を警告している。除草剤のほとんどは家畜飼料用トウモロコシに撒かれているものだ。
家畜飼料の経済学はリスクに関する研究のようなものだ。疾病を抑え、飼料の熱量を消費する腸内バクテリアを殺すために、家畜の飼料には多量の抗生物質が含まれており、科学誌ネイチャーの記事によれば、世界の抗生物質の50パーセントは家畜の体内に入っていく。このやり方のほうが有機畜産より数日速く家畜を出荷できるが、同時に新たな耐性バクテリアを生み出すことになった。
サイエンス誌が発した最新の警告によると、飼料に高濃度のPCBとダイオキシンが含まれているため、養殖サケは月に一度以上は食べてはいけないという。
廉価な食物への欲望は、破滅の危険のある賭けに敢えて挑んでみるという程度では済まなくなってしまった。賭けの対象は環境と公衆衛生なのだが、農業や環境担当の政府高官は誰も明らかな解決策を公けに提案していない。その解決策とは、集約的食物生産のペースを落とし、地面や動物をもっと敬意を持って扱い、食物の生産量を減らし、質を上げ、もっと慎重に生産するということだ。
代わりに、彼らは、業界と業界が供給する食品すべての安全性を弁護するのに躍起だ。アメリカで最初の狂牛病のニュースがクリスマスの直前に流れた時、農務省長官アン・ベネマンは即座に2003年にアメリカ人が消費した20万頭の「へたり牛」は、必ずしも病気だったというわけではないと請け合った。これらの牛はただ歩けなかっただけなのだ。
もちろん、狂牛病にかかっていた1頭は除いてだが。
ベネマンのこの発言は、イギリスで狂牛病が発生した当初の農業担当高官達のそれを思い出させた。歴代の保守党農務大臣や主任獣医師は、イギリスの牛肉の安全性を断言することができなかった。
1988年、英政府の高官らは、牛の疾病が「人間の健康に影響を及ぼすことを示唆するものはない」といっていた。翌年には、それがBSEによる 「危険はない」に変り、1990年には、「脅威を感じる理由はまったくない」、そして1992年には「危険はまったくない」となり、1994年には、イギリスの牛肉はただ安全なだけでなく、「まったく安全」となっていた。
しかし、1996年3月、イギリスで10万頭以上のBSE感染確認牛とおよそ100万頭の未確認個体が出た後、保守党保健相スティーブン・ドレルは、この疾病による人間の犠牲者が10人出ており、彼らがすでに死亡、あるいは死にかけていること、犠牲者の数がどこまで増えるのか見当もつかないことを議会で報告せざるをえなくなり、議事堂の外では科学者達が、犠牲者の数は数百人、あるいは数十万という可能性もある、とメディアに伝えていた。
5900万人のイギリス国民の裏切られたという思いを伝えるのはむずかしい。牛のゼラチンで作られたフルーツ味ののどアメ、肉入りパイ、あるいはステーキかキドニーパイで命を落とすのか。パブラムという粥には昔から牛の脳が使われている。
ベビーフードはどうなのだろう。10年間政府が安全を保証してきた後にこのような事態になり、国民は自国の農民に毒を飲まされたような気持ちになった。これまでに139人のイギリス人がこの疾病で死亡している。これが悲劇であることには間違いないが、イギリスはまだ幸運だった。死亡者数は、毎年減少しているようで、イギリスはどうやら公衆衛生の大惨事を避けられたようだ。
しかし、これは正しい決断の結果ではなく運が良かったからだ。実際に安全対策として機能した唯一の規定を設けたのは政府役人ではなく、有機運動に携わる人々だった。1984年、狂牛病の名が世間に知られる2年前に、土壌協会(Soil Association:イギリスの主要な有機食品認定機関のひとつ)は、乳牛飼料への肉骨粉の混入を禁止した。
これとは対照的に、当時の英農漁業食料省で家畜飼料の基準に関する顧問を務めていた科学者達は、狂牛病発生後の1988年まで肉骨粉を禁止しなかっただけでなくのちになって、あのような惨事は予測できなかったと主張した。
アメリカでは、そもそも肉骨粉は狂牛病の原因ではないとして、1997年まで飼料への混入を禁止していなかった。先月、ベネマン長官と業界は、へたり牛の肉が安全であると主張して国民の不安を抑えようとした(しかし、それから間もない12月30日へたり牛の食肉用流通は禁止された)。アメリカでもまた、BSEから消費者を守る重要な基準を設けていたのは有機農業機関であり、政府ではなかった。肉骨粉は有機牛として認定される牛の飼料としては、未だかつて一度も認められたことはないし、有機農法の規定では、病気が疑われる動物は食用に屠殺するのではなく、獣医の診察を受けさせなければならない。
教訓―廉価な食物は安くない。イギリスでは、くる病を無くした牛乳も、納税者が狂牛病関連の経費―感染牛発生農家への補償金、400万頭もの健康な牛の予防的殺処分、BSE流行により経営破綻状態となったほぼ3万の酪農農家、犠牲となった患者の家族が被った損失、崩壊寸前状態となったイギリスの牛肉業界、そして公的機関による2年におよぶ徹底的な調査などのために使われた費用―を負担してみるとバーゲン(払った代価以上に価値あるもの)とは思えなくなった。
アメリカが、一夜にして失った牛肉の海外市場はアメリカ版小型BSE危機の序盤にすぎない。
国内の主流産業が困難な時期を覚悟する一方で、家畜の海綿性脳症清浄国と見なされているニュージーランドの農民や、アメリカ国内で鶏、豚肉、牛肉を有機農法で生産している農家にはよい年になるだろう。カリフォルニア州認定の有機農家協会(CCOF)によれば、1996年以来、アメリカでは有機肉の販売が年間28パーセント上昇しているという。
ヨーロッパでは、BSE危機の影響で有機食品の需要がさらに高まり、食品安全機関の改革が急速に行われてきた。BSE危機後、イギリスでは1990年代を通して、有機牛乳市場が毎年30パーセントの成長を続けた。欧州連合は、アメリカでは一番使われている、畑地一年生雑草用除草剤アトラジン(Atrazine)の使用を禁止しているし、アメリカで論争の的となっている乳牛用成長ホルモン(BST)の使用は一度も認めたことはない。へたり牛にいたっては、食用とするなど考えられないことだ。
ヨーロッパではまた、アメリカよりも食費にお金をかける。カナダ政府の調査によれば、アメリカ人は毎年平均して可処分所得の5.49%食費に費やしているが、イギリスでは6.9%、ドイツでは7.73%、フランスでは9.21%、そしてイタリアでは10.58%となっている。食費にかける割合がその国の料理の素晴らしさに比例して上昇しているのは興味深い。
良い食べ物というのは、常に量ではなく質の問題だ。有機肉は通常のものよりはるかに高く、2倍、3倍することも珍しくない。この価格差は、より多くの農家が有機へと転換するにつれ狭まっていくだろうが、有機は常にそうでないものより高いだろう。有機の定義を考えれば、そうあって然るべきものなのだ。有機食品の生産にはコストがかかる。しかし、これは必ずしも、食費を2倍にしなければいけないということにはならない。
工場式畜産の16オンスのステーキの代わりに、8オンスの有機肉のステーキを食べれば、どれほど長生きができ、その間よいものを食べられるか考えてみてほしい。
廉価な食物はアメリカを豊かにしたが、今は賢明にならなければいけない時だ。過去においては、通常の生産者は有機食品を市場の隙間を埋めるものとして片付け、空腹な国を食べさせているのは自分達だと自負していた。しかし、このような考え方はもう成り立たない。環境、公衆衛生、そして安全な食物はもはや隙間を埋める程度の関心事ではない。アメリカが最初の狂牛病から学ぶべきことに注意を払えば、それは私たちの救済の証となるかもしれない。
Los Angeles Times、2004年1月21日