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(回答先: 狂牛病と孤発型CJD 投稿者 【公安情報ESPIO! 転載】 日時 2004 年 9 月 10 日 18:32:04)
最も問題なのは、リスクを受け入れたくない人間が、むりやりリスクを受け入れさせられることである。不合理さはどうしてもついてまわるのであるが、できるだけこれを少なくしたいことには変わりないであろう。科学は、その時の水準で高い安全性を確保しよう、できる限りのリスクの大きさを評定しようとするもので、一定の大きさのリスクを社会的に許容できるかどうかを問うに過ぎない。
そして、当初疑問だらけの事象から、次第に少しでもメカニズムを明らかにしてリスクの評価をより正確に検討していっているのである。
日本における食肉の全頭検査は、リスクの大きさよりも最初から、対処に後手に回ったための政治的な判断である。欧州ではたくさんの人がこの程度のリスクに耐えて暮らしてきて、そして現実に患者数が少なかったのだから。事実が理論に先行する。
そして、ポイントは業者だけでなく、吉野家に多くの人が並んだように極めてわずかのリスクならばかまわないというような人にとっても(高齢の私を含めて)、輸入牛肉が望まれており、牛肉の表示の正確さの問題に繋がってしまうことだ。確かに表示の信頼性は低い。
この人の病気は伝染性がない。それでどうしても極めてわずかなリスクをとりたくない人は、牛肉をやめたり、特別国内生産者との直接調達という道もある。(極めて小さなリスクの中でも若い人ほど他の人に比較すれば罹る確率は少し高いので、そのような人に対して注意を払っていくことも考えてよい。)
結局、どちらが社会的に望まれているかという問題であり、リスクの評定の問題ではなくなっている。
なお、リスクが小さくないという可能性は、もちろん現時点でもこの人の病気における潜伏期間の長さの推定というところで予想にたがうごくわずかな可能性もあり、ないとは言いきれないが、英国の患者数の傾向から極めて小さいという従来の見解が妥当と思われている。