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(回答先: 地元理解促進に3億円 核燃機構、もんじゅ再開で [共同通信] 投稿者 なるほど 日時 2005 年 1 月 17 日 10:37:55)
原子力政策の方向性を定める原子力長期計画の改定論議で、原子力委員会の新計画策定会議は28日、高速増殖炉開発の在り方について、原型炉もんじゅ(福井県敦賀市)を軸に研究開発を進めるとした現行長期計画を継承する方針を示した。
策定会議の事務局が示した文書によると、1995年のナトリウム漏れ事故以降、止まっているもんじゅを早期に運転再開させ、その後10年以内に発電プラントとして信頼性を実証するとともにナトリウム取り扱い技術を確立するとした。
もんじゅ後の実証炉の在り方については、核燃料サイクル開発機構が電気事業者などと共同で有望な炉型や再処理法を2005年度末に提案する「実用化戦略調査研究」の成果を踏まえて国が方針を決めるとして、結論を先送りした。
(共同通信) - 1月28日18時51分更新
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050128-00000191-kyodo-soci
筆者のひとり(吉岡斉)は、1997年 1月末に科学技術庁から、高速増殖炉懇談会の
専門委員(原子力委員と区別するために、専門部会等の委員には全てこの職名がつく)
の1人として参加を要請され、それを受諾した。原子力委員会の専門部会や懇談会に、
審議の対象となる開発計画の推進そのものに反対する者が、専門委員として呼ばれた
ケースは前代未聞であるが、もし原子力行政の民主化が一層進めば、そうした機会が
今後増えてくると思われる。それは時代の流れであると思う。原子力開発の推進勢力
が強い結束をもって反対勢力と対決し、あらゆるエピソード(今回のように反対者も
呼んで民主的討論を行ったことなど)を自己正当化のために利用する、という時代は
すでに斜陽に立っている。従って後に続く者のために、ここに記録を残しておくこと
は、一定の意義のあることと思う。
本稿ではまず第T部「高速増殖炉懇談会の顛末記」で吉岡斉が、高速増殖炉懇談会
の審議の経過と報告書の内容について、「役者」の観点から評価を加える。次に第U
部「高速増殖炉懇談会を見物して」で、もうひとりの筆者(吉岡やよい)が、随員と
してほとんど全ての懇談会を傍聴した「観客」の観点からコメントを加える。
第T部: 高速増殖炉懇談会の顛末記 (吉岡斉)
1.高速増殖炉懇談会の審議経過の諸問題
(1) メンバー構成の著しい偏り
原子力委員会が高速増殖炉懇談会(FBR懇談会)の設置を決めたのは、栗田福井
県知事の第9回原子力政策円卓会議での提言を受けてのことであるが、発足は1997年
2月21日となった。その審議事項は「『もんじゅ』の扱いを含めた将来の高速増殖炉
開発の在り方」であり、構成員は次の16名である。
西澤潤一(東北大学元総長、座長)、
秋元勇巳(三菱マテリアル社長)、
植草益(東京大学教授)、
内山洋司(電力中央研究所上席研究員)、 大宅映子(ジャーナリスト)、
岡本行夫(外交評論家)、
木村尚三郎(東京大学名誉教授)、
河野光雄(内外情報研究会会長)、
小林巌(ジャーナリスト)、
近藤駿介(東京大学教授)、
住田裕子(弁護士)、
鷲見禎彦(関西電力副社長)、
竹内佐和子(長銀総合研究所主任研究員)、 中野不二男(ノンフィクション作家)、
松浦祥次郎(日本原子力研究所副理事長)、 吉岡斉(九州大学教授)。
このメンバー構成は、非常に偏ったものであった。専門委員の約半数は原子力政策の策
定に常時関与してきた人々であったが(そのことは歴代の原子力委員会、総合エネルギー
調査会の諮問委員会の名簿をチェックすれば容易に分かる)、高速増殖炉開発に反対する
専門委員はわずか1名だったのである。なお座長を含む残りの数名の委員は、今まで原子
力政策に関与していなかった者であるが、中野委員を除き今まで原子力政策に対して批判
的な発言をしたことの無い人々であった。FBR開発のように国民世論を二分するような
話題について審議するには、推進論者・中立者・反対論者の三者のバランスに十分配慮す
る必要があり、推進論者と反対論者を同数とするのが妥当と思われるが、そうした理想と
は全くかけ離れた人選であった。
FBR懇談会は、月 1回をやや上回るペースで審議を行った。最初の 8回(8月28日ま
で)は、招聘人又は説明人を立てての質疑応答と自由討論という形式で進められた。とこ
ろが、招聘人又は説明人として報告を行った人々のメンバー構成もまた、きわめて偏った
ものであった。招聘人中のFBR開発反対者はわずか1名(高木仁三郎氏)で、残りは全
て「原子力村」の関係者によって占められた。原子力開発に利害関係のない第三者の専門
家は全く呼ばれなかった。例えば化石燃料や太陽エネルギーの本当の専門家は呼ばれず、
その代わりに原子力開発と多かれ少なかれ利害関係をもつ機関(資源エネルギー庁、エネ
ルギー経済研究所など)の政策実務者・政策研究者が呼ばれ、原子力に有利な話をした。
また説明人も、全て開発推進の立場の人々(その大部分は動燃職員)で占められたのであ
る。
さらに言うと推進:反対のバランスは、専門委員や招聘人における両者の比率と比べて
も大幅に、推進に偏ったものであった。なぜなら、事務局をつとめたのは科学技術庁原子
力局動力炉開発課というFBR開発の推進機関であり、また懇談会には毎回原子力委員
(原子力委員長つまり科学技術庁長官は1回も出席しなかったが、伊原委員長代理以下 4
名全員が出席したことも稀ではなかった)、原子力関係官庁の人々、原子力関係機関の人
々が多数出席し、審議にも随時参加したからである(とくに通産省資源エネルギー庁と動
燃の関係者は、常時 1名が委員席に座るとともに、関係者席にも 1ないし数名が着席して
いた)。動燃「もんじゅ」建設所長の菊地三郎理事はほぼ毎回傍聴に来ていた。菊地氏は
福井新聞の取材に、懇談会での推進意見と反対意見の比率は「99対 1」だと豪語したと報
道されているが、これは決して誇張ではない。
(2) 早期決着の方針にもとづく拙速な審議
FBR懇談会では、第7回懇談会( 7月30日)までは制限時間を設けずそれなりに十分
な時間をかけて、さまざまのテーマに関する質疑応答と自由討論を行ってきたが、第8回
懇談会(8月27日)で事務局がいきなり、11月28日までに終わらせたいというタイムスケ
ジュールに関する新たな提案をしたことを契機として、急速に終結へと向かいはじめた。
そして第9回懇談会(9月19日)において早くも、報告書骨子案が議題に登ったのである。
懇談会での審議を登山にたとえると、8月から9月にかけて、3合目から9合目へいき
なりヘリコプターで運ばれたようなものである。科学技術庁と原子力委員会の説明によれ
ば、次期通常国会に動燃を母体とした新法人の設置法案を提出するためには、FBR開発
に関する方針を11月末までに決めねばならない、そのためにFBR懇談会は審議を終わら
せ、報告書を提出しなければならない、とのことであった。「動燃を無傷で生き残らせる」
という方針を出来るだけ早期に確定するという官僚的な利害関心に基づいて、科学技術庁
は強引な幕引きに出たのである。西澤座長もまたこの早期決着の方針を、別の観点から支
援した。西澤座長は、「もんじゅ」を使った研究を早く再開させてやりたいとの見解を、
この頃から再三にわたって表明するようになったのである。こうした意見は、FBR商業
化計画の継続の是非と「もんじゅ」再開の是非について徹底的に議論し、国民の意見を十
分に反映させたうえで、表明すべきだろう。西澤座長も科学技術庁と同様に、「まず結論
ありき」の姿勢を鮮明にしたのである。
こうした早期決着の方針にもとづく拙速審議の結果として、懇談会では第一に、政策的
に重要な多くのテーマに関する審議が省略される結果となった。また第二に、委員の意見
の集約を行うために当然必要な総括討論も全く行われなかった。さらに第三に、いきなり
事務局から報告書骨子案が提案されるという恰好になった。以下、少し詳しく述べる。
(3) 報告書骨子案とりまとめの性急さ
まず上記第一点について。
質疑応答・自由討論の対象から外されたテーマでとくに重要なのは、次の 5点である。
第一は、FBRの安全性である。これについては、動燃関係者の説明が何度か行われた
以外には、わずか 1名の招聘人(日本原子力研究所の職員)を呼び、2時間程度の質疑応
答を行ったのみであった。これは一番重要なテーマであるから、少なくとも数名の第三者
的専門家(当然、批判的立場の専門家を含む)を呼んで、徹底的に議論すべきであったが、
全く粗略な取扱いに終わった。
第二は、国際核不拡散の観点から見た高速増殖炉・再処理システムのリスクの評価であ
る。これについて筆者はクリントン政権の核不拡散政策関係者と、推進・反対の双方の専
門家を招聘人として呼ぶことを提案した。これを審議のテーマとすることを希望した委員
は他にも数名いた。しかし座長は結局これを取り上げなかった。
第三は、高速増殖炉用再処理の歴史・実績・課題に関する検討である。とくにリサイク
ル機器試験施設(RETF)に関する徹底的な検討が必要であったはずだが、全く議論の
俎上にのぼることはなかった。
第四は、意思決定システム・許認可システム・開発実施システムの制度改革についての
検討である。制度改革に関して懇談会では結局、何一つ議論がなされなかった。
第五は、高速増殖炉システムを中心とする核燃料サイクル政策に関する「国民的合意」
形成の方途についての検討である。これについても一切検討がなされなかった。この懇談
会のメンバーの多くは、高速増殖炉およびその関連技術に関する素人であったが、第四・
第五のテーマについては、技術専門家よりもむしろ的確な判断ができたはずであったが、
その機会は与えられなかった。
第二点について、特に補足することはない。
第三点について。
FBR政策のような国民世論を二分するような争点に関しては、開発推進の立場を取る
科学技術庁に報告書の原案を作成させず、懇談会のメンバー自身が起草委員会などを作り、
総括討論での合意に基づく原案を共同作業として作成するのが当然の手続きであると思わ
れるが、そうした手続きは取られなかった。また報告書骨子案の説明の時点では座長が事
務局と相談して原案を作ったという建前になっていたが、審議の過程で事務局の作成した
案に座長が加筆したものであったこと、つまり主導権が事務局にあったことが露見した。
(4) 最終報告書に至るまでの書直しの性急さ
9月19日に出された骨子案は、その後数回の書直しを経て、報告書案(10月14日付)と
なり、さらに国民意見反映の手続きを経て、最終報告書(12月 5日付)となった。ところ
がその報告書の書直し作業の進め方は、きわめて強引かつ密室的であった。それは一貫し
て事務局主導で進められた。そこでは事務局が文案を作り、それに各委員がコメントを送
り、その取捨選択を事務局が行うという方式が取られた。つまり委員は事務局から「ご意
見」を言うだけのお客様の立場に置かれ、委員の意見の採否は全て事務局の権限に委ねら
れたのである。これは1994年に始まる国民一般を対象とした「ご意見を聞く会」よりもさ
らに専制的な方式であった。なぜなら「ご意見を聞く会」において出される個々の意見の
採否とその理由は公表されるが、上記の取りまとめ方式では、事務局が密室的に個々の意
見の採否を判断することが許されるからである。これは懇談会の委員にとって屈辱的なこ
とであった。各委員は、書直しのプロセスに関する情報を全く与えられず、第三者への説
明も出来なかったのである。(11月19日の国民意見反映に関する検討会の席上、吉岡委員
がこれを強く批判し、それを受けて書直しプロセスの透明性が多少改善された)。
なお数回にわたる文案修正の中には、文章表現上のニュアンスにおいて相当に大きいも
のも決して少なくなかった。これに関して補足すると、9月24日に各委員に配付された案
では、9月19日案からの大幅な「左旋回」が行われた。その後ゆるやかな「右旋回」を何
回か行ったのち、10月14日の報告書案の内容は 9月19日案と 9月24日案の中間に落ち着い
た。国民意見を反映させた最終報告書の内容は、10月14日案と大差はない。
(5) 報告書にほとんど反映されなかった国民意見
FBR懇談会は10月14日の報告書案発表後、直ちに国民一般からの文書による意見募集
を開始した。それは11月14日に締め切られた。寄せられた国民意見の総数は1063件であり、
報告書への賛成意見と反対意見がほぼ相半ばした。またそれと並行して、11月 7日に懇談
会主催の「報告書案に関するご意見を聞く会」が東京で開かれ、応募した27名のうち抽選
で選ばれた22名(補欠 2名を含む)が意見を述べた。その 6割強が、反対意見であった。
これら国民意見の報告書への反映の仕方について、4名の委員(内山、近藤、住田、吉
岡)が11月19日、事務局と合同で検討会を開き(なぜか動燃と資源エネルギー庁の関係者
も出席し、意見を述べた)、修正案をまとめた。それに各委員からのコメントを幾つか反
映させたものが、11月28日の第12回懇談会に提出された報告書修正案である。これに対す
る修正提案(吉岡委員による)は全て否決された。そして座長責任によるごく僅かな修正
を経て、12月 5日に最終報告書が発表された。
この報告書案に対する国民意見の反映は、きわめて不十分なものとなった。まず文書に
よる国民意見募集に関しては、字句・表現の修正以外の提案は認めないというニュアンス
の強い募集要領が作られた(10月30日の「ご意見を聴く会」打合会の席上での吉岡委員の
強い批判を受けて、結局はどんな意見も検討対象とすることとなった)。また、報告書案
に対する国民の意見募集期間はわずか1ヵ月であり、その採否の判断も一方的に懇談会に
委ねられる恰好となった。さらに、1063件もの国民意見が寄せられたために、1件1件の
採否に関するきちんとした検討を行う時間がなかった(もちろんスケジュールを柔軟化す
れば十分に対応できた筈だが、11月末というデッドラインに事務局は固執し、委員の多く
も同意した)。
次に「ご意見を聞く会」の開催も、10月14日の報告書案発表の直前に突然決まったこと
であり、その予定すら当初は入っていなかった。「ご意見を聞く会」を開催したことは、
しなかった場合に比べれば結構なことだが、わずか1回のみ東京で開催し、しかも討論で
はなく意見聴取を目的とするものとなった。委員の出席率も1/3以下(5名、うち1名は前
半を欠席)ときわめて低調であり、主催者代表の座長も参加しなかった。本来は、数十日
にわたる徹底した公聴会(中立的な議長団とその事務局のもとで、希望者全員が時間制限
なしに懇談会側と質疑応答を行う方式の公開論争の場)を開催すべきであったと思われる。
(FBR懇談会の解散後も、原子力委員会の責任のもとで、この種の公聴会を開くことは
可能であり、また必要であると思われる)。
なお、「ご意見を聞く会」での発言者22名中10名が地元福井県を含む全国各地での公聴
会の開催を要求し、文書による意見募集でも、きわめて多数の国民が同じ要求をしたが、
FBR懇談会では「ご意見を聞く会」を開くはるか以前から、そうした意見は採用しない
という前提で作業を進めていた。(11月28日に吉岡委員が公聴会の追加開催の可否につい
て検討するよう提案したが、否決された)。
結果的にも、僅かの国民意見が、若干の字句・表現の修正という形で、最終報告書に反
映されたにとどまる。
2.FBR懇談会報告書の内容面での諸問題
(1) FBR開発政策のささやかな転換
FBR懇談会報告書の中で提言された高速増殖炉政策の要点は、次の4点にまとめるこ
とができる。
高速増殖炉を将来のエネルギー源の選択肢の有力候補として位置づける。
商業化(実 「もんじゅ」の原型炉としての運転を再開する。
商業化(実用化)を目標とする高速増殖炉の研究開発を継続する。
実証炉以降の実用化プログラムについては、具体的な計画をペンディング(棚上げ)
とし、「もんじゅ」の運転実績などを見てから、適切なチェックアンドレビューを行った
のち、改めて判断する。実用化目標時期を白紙とする。
筆者の考えでは、これは従来の日本の高速増殖炉政策の転換を意味している。まず第一
に、高速増殖炉はひとつの選択肢へと格下げされた。1994年 6月に出された最新の原子力
開発利用長期計画においては、高速増殖炉は「将来の原子力発電の主流たるべきもの」と
位置づけられているが、それと今回との落差は顕著である。もちろん選択肢という表現に
は、中止もありうるという含蓄が含まれている。(それについては西澤座長が再三にわた
り確約している。ただし「中止の可能性を含め」という文章は報告書には入らなかった)。
第二に重要なのは、実証炉以降の計画がペンディングとされたことである。現在の長期計
画には2030年頃という実用化目標時期が明記され、実用化途上において実証炉1号炉およ
び2号炉の2基を建設することが明記され、実証炉1号炉としてトップエントリーループ
型を採用し2000年代初頭に着工すること(つまり2010年頃に完成すること)が明記されて
いたのだが、これらは全て白紙還元された。
(2) ささやかな政策転換の背景にあるもの
こうした政策転換は、1990年代以降の日本の原子力政策をめぐる状況変化を素直に反映
したものと考えることができる。高速増殖炉に関して言えば、「もんじゅ」事故が起こる
前夜においてすでに、電気事業改革等を背景とした電力業界の難色により実証炉建設はき
わめて困難となっており、「もんじゅ」事故によって困難はさらに倍加していた。今回の
政策転換は、「もんじゅ」の運転再開を認めるが、その一方で実証炉建設計画を実質的に
無期延期するという、関係者の間での暗黙の合意事項を、政策としてオーソライズするた
めの基礎固めをしたものと解釈できる。
一方、この結論は、科学技術庁にとって現時点では満足のいくものと思われる。何より
も「もんじゅ」の運転再開のお墨付きを得たことは、科学技術庁にとって最大の成果であ
った。なぜならそれが中止されることにでもなれば、科学技術庁の進める大部分の原子力
関係のプロジェクトは不要となり、動燃は現在の数分の1以下の規模に縮小されることと
なるからである。そうした最悪のシナリオを少なくとも当面は回避できたということは、
それだけで科学技術庁にとって満足すべき成果であろう。しかも「もんじゅ」については、
研究計画の柔軟な見直しが必要であるという但書付きではあるが、実証炉計画を具体化す
るための判断材料を蓄積するという、まさに原型炉に課せられた役割を担わせるとしてい
る。単なる存続以上の成果と見るべきだろう。
さらに報告書は、原子力委員会が今まで30年にわたって進めてきたFBRの商業化計画
について、当面はFBRの将来の実用化可能性の見極めに重点を置く、という但書付きで
はあるが、それを継続していくべきであると勧告している。また、実証炉1号については、
「もんじゅ」の運転経験を含むさまざまの実績を踏まえたチェックアンドレビューを、建
設計画の決定に際して行うべきであるという但書を付け、同時に着工目標年度(つまり完
成目標年度)を削除しているが、計画そのものの中止はうたっていない。このようにFB
R懇談会の報告書案は全体としてみると、タイムテーブルの撤廃と、計画の柔軟な見直し
を勧告しつつも、従来の商業化計画の考え方を否定しているわけではない。実証炉以降の
開発につなげるという科学技術庁の希望の火は、完全に消えたわけではないのである。
このFBR懇談会の報告書案に対するジャーナリズムの評価は、さまざまに分かれた。
それには幾つかの原因があったと思われるが、次の2点が重要である。第一に、報告書案
自体の中に多義的な解釈を許すような微妙な表現が満ちていた。第二に、数回にわたる文
案の修正作業の中で、文章表現上のニュアンスにおいて相当に大きい修正が行われ、しか
もそれが密室内で行われたため、ジャーナリズムの疑心暗鬼を増幅させることとなった。
以上2つの要因により、新聞各社は文章表現の微妙な変化に過剰に反応し、評価のばらつ
きを大きくさせる結果となったのだと思われる。だが前述のような政策転換が行われたこ
とは明白であり、それは 9月19日の最初の骨子案から一貫して、変わっていないことであ
る。
(3) 報告書の方法論の非合理性(一般論)
このFBR懇談会の報告書は、内容面において実に多くの問題点を抱えている。筆者は
最初の骨子案について、「こんなものは低レベル廃棄物だ」と懇談会の席上で決めつけた
が、最終報告書にもこれと同じコメントが当てはまる。それは第一に、結論を導く方法論
において非合理である。第二に、詭弁的な論理が多用されている。第三に、判断の基礎と
なるデータがきわめて脆弱である。しかも第四に、当然勧告を行うべき多くの事柄につい
て何も語らなかった点で「不作為の罪」を負う。
まず第1の方法論的な非合理性について述べる。高速増殖炉開発の是非について、開発
賛成の立場の者と、反対の立場の者が、共通の土俵の上で議論するためには、「オプショ
ン・クライテリアの総合評価」の様式を採用する以外に、適当な方法はない。それ以外の
様式ではどうしても、評価の枠組みや評価の項目が、片方に有利な形に歪みやすいからで
ある。この政策判断の様式はアメリカでは、政府機関の諮問委員会が政策的な勧告を行う
際の標準的様式として、すでに確立しているものである。そこでは、
有力と考えられる全ての政策オプションを 列挙し、
それらの優劣を評価するための包括的なク ライテリア(規準)の体系を示し、
ひとつひとつの政策オプションの利点・欠 点・未解決の課題を、実績を踏まえた信頼
性 の高いデータにもとづいて包括的に検討し、
最後に最善の政策オプションの実施を勧告 する、
という手続きが取られる。(これをわれわれは「総合評価」ないし「総合的アセスメント」
の方法と呼んできた)。
残念ながら今までの日本の原子力政策において、このような様式に基づく政策決定が行
われた例はない。どんな開発計画についても、開発推進という結論を導くのに有利な論点
を並べ、推進を正当化するという様式が取られてきた。そうした前近代的な様式から脱皮
し、上記の総合評価の様式を今後、標準的な様式としていくことが、推進論者と反対論者
が建設的な対話を行う唯一の方途であり、かつ客観的・合理的な政策判断のために必要で
ある。そのことを筆者は懇談会で毎回のように執拗に主張してきたのだが、結果的には本
文中の「選択肢のひとつ」という表現、〈参考資料1〉「高速増殖炉の特性」における評
価規準の列挙、および筆者の「少数意見」の三者に、それが反映されたに過ぎない。
筆者が毎回のように主張してきた「総合評価」の実施という提案が懇談会で受け入れら
れなかったのは、もし筆者の方法を採用したならば、FBR開発の正当化のための論法を
科学技術庁は全面的に再構築しなければならず、また仮に何らかの形で再構築に成功して
もその論法は、開発推進に不利なデータの発覚や技術的な行き詰まりや社会的な環境変化
に対して、きわめて脆弱なものとなることを科学技術庁が恐れたためであると思われる。
(4) 詭弁的な論理構造
報告書は前述のように「高速増殖炉の実用化を目標とする研究開発の継続が妥当である」
という趣旨の勧告を出したが、それは上記のような総合評価の方法に基づいたものではな
く、かなり苦しまぎれの、詭弁的な論理にもとづくものである。報告書は単に科学的な評
価枠組の採用と、それにもとづく推進論者と反対論者の建設的な対話を放棄しただけでは
なく、原子力村の中でしか通用しないロジックを多用することにより、反対論者との対話
の可能性をみずから狭めてしまった。そこではまず原子力発電の推進を正当化し、次に原
子力発電における高速増殖炉の研究開発を正当化するという2段階の論法が取られている
が、その妥当性を検討して見よう。
報告書が原子力発電を正当化する論法は大略、「化石エネルギーの資源制約・環境制約
に関する将来の不安が否定できない以上、非化石エネルギーの開発を進め、その供給量と
シェアを増大させていく必要があり、その一環として原子力発電の推進が必要である」と
いうものである。
だがこの論法は説得力がない。化石燃料の需給逼迫リスクを過剰に強調し(筆者の再三
にわたる懇談会での主張が実ったのか、枯渇リスクは化石燃料に関しては強調されなくな
ったが、〈参考資料2〉の図表群には、それを力説するものが満載されており、些か不徹
底で首尾一貫性を欠く結果となっている)、また炭酸ガスによる地球温暖化という問題を
過剰に重視し、この2つ以外の政策判断の基準を、二の次として軽視する論法が、この化
石エネルギー悪玉論の主張の土台をなしている。残念ながらこの論法は、総合評価の観点
から見れば暴論である。さらに化石対非化石という粗雑な二分法にもとづき化石燃料を悪
者扱いにする(とともに原子力を自動的に善玉の範疇に入れる)のは暴論である。「非化
石エネルギー」という概念が国際的に通用しないことを理解しなければならない。
次に、原子力発電の中で高速増殖炉の研究開発を正当化する論理は大略、「ウラン資源
の有限性を考えると、高速増殖炉の研究開発は重要であり、またその商業化可能性、経済
性、核不拡散性、安全性などについても、問題解決への挑戦を続けるべきだ」というもの
である。だがこの論法も説得力がない。ウランの確認埋蔵量は経営学的な概念であり、在
庫量に相当するものに過ぎないというのは、原子力村の住民以外にとって常識である。
報告書で多用されている論理は、「推進すべきだとする意見が多数を占めました」とい
うものであるが、これはモブ・サイコロジー(群集心理)的な論理に過ぎない。客観的な
妥当性・合理性の論証の必要性は無視され、多数決の論理が前面に出る恰好となった。懇
談会の委員の人選を推進勢力に一方的に有利な形で行った上で、多数決の論理を貫徹すれ
ば、結果は明らかであろう。
なお、「もんじゅ」を廃炉とすること自体が今までの資金・マンパワーの投入を考えれ
ば大きな損失であり、いったん廃炉としてから再開する場合のコストの大きさを考えれば、
さらに大きな損失である、という論法は詭弁そのものである。「少数意見」の科学的方法
論に基づいて考えれば、今までの投資額の大小は、廃炉の是非の判断規準として無意味で
ある。また再開コストと継続コストの科学的・客観的な比較が全くなされていない以上、
再開コストの大きさを論拠に「もんじゅ」の存続を主張するのは非合理的である。
(5) 根拠となるデータの脆弱性
報告書は単にロジックの面で多くの無理を犯しているだけでなく、根拠となるデータも
きわめて脆弱なものばかりである。その最たるものは、資源枯渇のリスクに関わるもので
ある。前述のように報告書は、ウラン枯渇のリスクを主要な論拠としてFBR開発の継続
を正当化しているが、現在のウランの451万トン、R/P比73年という在庫量は、全ての
鉱物資源の中で最も豊富な部類に入るものであり、それを心配するならば金・銀・銅・鉄
などの枯渇も心配しなければ首尾一貫性を欠く。因みに1965年のウランの確認埋蔵量は62
万トンであり、現在の1/7.27であった。30年間で埋蔵量が7.27倍というペースが100年続
けば、埋蔵量は実に741倍となる)。また高速増殖炉の商業化可能性、経済性、核不拡散
性、安全性などに関しては、過去半世紀の難航とその理由についての冷徹な分析・評価を
ぬきに将来への希望的観測のみが強調される形となっており、説得力がない。過去半世紀
にわたり開発当事者が一貫して楽観的予測を行い、それが一貫して裏切られてきたという
歴史的事実の重みを、考え直してもらわなければならない。
(6) 報告書の犯した「不作為の罪」
さらに第三点として、当然勧告を行うべき多くの事柄について何も語らなかった「不作
為の罪」が追及されねばならない。高速増殖炉開発に関する基本政策の方向を決める政府
委員会としてFBR懇談会以外の機関が存在しない以上、それは高速増殖炉開発の全ての
面にわたって、客観的な合理性をもつ包括的な政策を勧告する義務を、国民に対して負っ
ているはずである。
ところで筆者はFBR懇談会の専門委員の 1人として、模範的な報告書案の全体構成が
どうあるべきかに関して、懇談会の中で毎回のように建設的な提案を行ってきた。とくに
終盤(8月以降)において、準拠すべききわめて具体的なモデルを懇談会の席上で示して
きた。これに準拠していれば、模範的な報告書案をまとめることができたはずである。筆
者のモデルは高速増殖炉開発の推進の是非と在り方に関して中立的であり、それを土台と
して推進論を構築することも可能だったはずである。(筆者は自分がその文案作りを引き
受けてもよい、つまり多数意見と少数意見の双方の文案を、同一の構成に従って作っても
よいと2度にわたり提案したが、無視された)。模範的な報告書を作る可能性を懇談会が
自ら閉ざしてしまったことは、重大な過失である。
(7) きわめて不出来な報告書
以上見てきたように、FBR懇談会報告書はきわめて不出来な内容のレポートであり、
これによって国民の「理解」(賛成を意味する日本独自の行政用語)を得ることは到底不
可能であろう。
「欧米諸国が皆やめたのに、そして日本も同様の困難を抱えているのに、なぜ日本だけ
が開発を続けるのか」という多くの国民からの疑問に答えることが、この懇談会にとって
最も重要な課題だったはずである。そしてこの疑問は結局のところ、日本が継続すること
の合理的根拠の論証がなされていないことへの疑問なのである。その論証なくしては、報
告書の全ての主張が、妥当性を証明されない不確かな根拠に基づくものとなってしまう。
ところが報告書はこの疑問を氷解させるには程遠い内容であり、むしろ疑問を否定へとエ
スカレートさせる可能性が濃厚である。
第U部: 高速増殖炉懇談会を見物して(吉岡やよい)
12回にわたって開かれてきた高速増殖炉懇談会に、「随員」の枠で抽選なしに傍聴でき
る機会に恵まれた。そこでの見聞をささやかでも報告することは、私の義務かもしれない
という気持ちで、急かされつつ書いている。もとより研究不足、認識不足なので、これは
ただの「見物」記である。お許し願いたい。
さて、客観性がなにより求められ、科学技術庁の将来を大きくゆるがすかもしれぬこの
懇談会のメンバーに、なぜ反対意見の人間が1人なのか、その人選がなぜ科技庁でなされ
るのか、なぜ懇談会の事務担当も、説明担当の人選もすべて科技庁なのか、最後までわか
らなかった。「そういうことになっている」らしいのだ。ほかにも、私のような部外者に
はわからない「心温まる」場面がいろいろあった。この懇談会の開催と前後して、どうい
うわけか頻繁に不祥事の発覚が続いたが、「詳しい事情はマスコミの報道でご存じの通り
です」という座長のお言葉もあり、事実確認は委員といえども先行して説明が聞けたこと
もなかったし、質問がとぶ場面もなかった。マスコミが報道しているからといって、それ
が必要十分なものという保証もないはずだが、例の一連の事故かくしは、当事者達の自覚
があれば簡単に是正されるものといった調子で、どうもこの懇談会で扱うほどのものでは
ないと決めているような印象をうけた。さらに、通産省資源エネルギー庁の担当官が、委
員席に毎回座っていたのも、興味深かった。とくに、科技庁整理の方向が明らかになった
時期だったので、語弊は承知だが、どこからともなくきて様子をうかがうハゲタカやハイ
エナを思い浮かべた位である。当人が委員と対等の資格をもつかのように勝手に挙手して
何度か発言したのも、懇談会の性格からみて不可解なことだった。なお動燃の須田副理事
長も、毎回委員席に座っていた。
ところで、この種の懇談会の委員というのは、当然、その問題についての高度な知識や
理解能力をもち、判断することが可能な人が選ばれるものと思っていた。まただからこそ、
懇談会は正当な結論を示す能力があるということになる。確かに、たぶん有識者だらけだ
ったようには思うのだが、何人かをのぞいては、「知らない分野なので、ここでよく説明
をききたい」という発言が多かった。分野が違うだろうから無理もない話だが、なにしろ
説明は全て科技庁サイドがするのだから、各委員が本当に自分の知識に見合うだけの十分
な説明をうけ、確実に理解したものかどうかは、端からでは見当もつかなかった。ここで
の即席の講義で、妥当な判断が可能と当人たちが自覚していたのかも不明である。初回の
とき、吉岡斉委員が「この会が判断する内容は、国民に対して責任がある。ただ参加した、
というだけでは済まない」と、やや脅しめいて(そう聞こえたのだ)発言したが、それが
余計なお世話には聞こえない位、呑気そうな人ごとのような雰囲気が全体に感じられた。
しかし委員達はなかなか多士済々で、会議の時間が長すぎて疲れるという人、べらんめ
え調子の方、人の話には長すぎるとお怒りなのだが、自分は余りにまとまりのない話を長
々とする強者(意見でなくその都度の感想を述べることにしていたのか、未だに謎だ)、
他に電力会社の利益代表とおぼしき人や、「母として女性として」エネルギー枯渇を前提
に議論すべきだと発言する人まで、いろいろであった。
しかし私には実のところ最後まで行動が読めなかったのは、吉岡委員だった。私の思い
描く「反対派」の行動パターンでは、もっと鮮明な立場の違いを主張し、悉く意見は対峙
し、だから結局は参加者の賛否の比率が最も重要な鍵となるであろうことを予測していた
のである。まずは身びいきを差し引いても、唯一の反対論者である吉岡委員が孤軍奮闘し
ていたことは、一応認めざるをえない。一人だから孤軍は当たり前なのだが、本来なら穏
やかに進んだであろう議事が、吉岡委員の発言や質問のおかげで、他の委員の発言が否応
なく増殖され、記録上は長々としたやりとりも見られた。
ところで、吉岡委員はまず、やたらにしつこく細かいのである。そして常に先手を打つ。
初回から、議事進行のための私案を準備していて、説明をする。科技庁が配付したパンフ
レットや参考資料に対して、その内容に細かいコメントをつけて回答をもとめ、その往復
は、3度にも及んだ。かなり分厚いそのやりとりで(その都度、全委員に配付されたが、
残念ながらほとんど話題にのぼらず。少しは読んだのだろうか。それにしては資源の枯渇
に関する質問に進化がなかったが)、しかも他の委員からは、ついに全く意見がでなかっ
たことを考えると、科技庁にもご苦労様というしかない。
さらに吉岡委員は、科技庁からの報告や説明がなされるたびに、即座に質問をする。余
りにも年中発言しているわけで、他の委員から皮肉やあてこすりもでたくらいだ。吉岡委
員の指摘は、細かい数字のミスだったり、不適切な図表の示し方だったり、歴史的事実の
誤りだったので、座長に急がされ、他の委員に対して口では気をつかいながら、全くへこ
たれないのである。そのうち奇妙なことに気づいた。ひとつひとつはささやかだとしても、
要するに科技庁の説明には嘘やミスや一方的な解釈が多すぎないか、ということである。
しかも、そのひとつひとつを即座にチェックすることが出来て、なおかつそれを指摘する
委員は他にいないのである。たぶん、瑣末なことを発言して時間をとっていると感じる委
員もいたのではないかと思うが、もし吉岡委員の発言がなければ、どんなに退屈な会であ
ったろう、というのも正直な感想であった。第一、他の委員は吉岡発言に挑発されての意
見が大部分を占めていたのだから、それがなければほとんどなんの議論も展開しなかった
のではないのかと、今でもいぶかしい気持になる。
つまり吉岡委員の話を終始聞かされてるうちに、先鋭的な反対論の主張が、その都度な
されているわけではないにもかかわらず、「もんじゅ」の底知れぬ不鮮明さが炙りだされ
てくるように感じた。まあこれは、それこそ身びいきというものかもしれない。本当のと
ころ、余りによく発言するので、私はつくづく落ちつかなかった。しかし国民への責任と
いう意味では、全うしていたのではないだろうか。
海外からの招聘者の説明の時にも、やはり一番乗りで質問をしていた。そのねらいを、
私が十分理解できたわけではないのだが、印象的だったのは、吉岡委員の質問で一気に彼
らから笑顔が消えて、むっとした顔をしたことである。そのやりとりのなかで、「資料が
とってあるから、時代が変わればまた再開できる」といった趣旨の発言が出たのは収穫だ
ったのではなかろうか。つまり、研究炉を抱え込んでいなくても、情報は紙と電子メディ
アで十分保存可能だといっている。それなら、本当にエネルギー枯渇が確定の段階で始め
ても十分ということではないか。しかしこうして、先行して撤退した海外の経緯をせっか
く聞いたにもかかわらず、委員の間には「海外に追随することはない」「国際貢献が重要
だ」という意見が多かったのは呆れた。それなら、最初から英・仏・独の話(いずれも推
進にかかわっていた人々のもの)を聞く必要はなかったということになる。その方針なら
ば、およそどんな説明を聞いても関係ないであろう。質疑応答が活発ではなかったにもか
かわらず、なぜ不安もなくその意見が出たのかは不明である。それに三国とも、ついぞ
「代わりに日本に期待している」とも言わなかったのも興味深かった。なお、座長は再三
「科学技術の大きな役割のひとつは国際貢献です」と主張されていた。それに対して、一
度吉岡委員が「たとえば北朝鮮にも、提供するんですね」と口をはさんで、大いに顰蹙を
かいつつも、さりとて国際貢献といった以上、適切な解釈はなされなかった。そのせいで
もないだろうが、懇談会の最終回(11月28日)では、FBRの研究開発を続けることは
「人類に対する義務である」という表現になっていた。それに吉岡委員が文句をつけ、国
際貢献の方がまだましだと指摘すると、「国際貢献ということばでは元気が出ないのだ」
などの反論が、数名の委員から出された。私は今思うと、あの時、委員のなかに予想以上
の狼狽があったという気がする。
ところで、高木仁三郎氏が招聘人として出席されたときの会の雰囲気は、だいぶ違った。
推進派の委員にとって、たとえ瞬間でも、高木氏をやりこめるというのは、至上命令とで
も思っているのか、「そんな立派なことをいって、エネルギー問題はどうするんだ」「可
能かどうかわからないことを言うのは無責任だ」と、いつもよりも大分元気なのには驚い
た。それを言うなら、科学技術庁や資源エネルギー庁にも、同じ疑問をだすべきだし、実
現の可否が危うい筆頭は「もんじゅ」のほうだろうと思うのだが、とにかく威勢がいい。
「もんじゅ」はこれだけの金と時間を使ってもまだ「可能」で、「消費エネルギー削減」
は、まだやってもみないうちに「不可能」だと判断しているらしいのである。発言のなか
には「国民にそんなことをさせられない(期待できるわけがない)」といった趣旨のもの
が多かった。そんな不自由を国民にはかけられない、という委員までいた。一方で「もん
じゅ」で浪費しながら、国民へのこの遠慮深さは全く不思議なコントラストだった。
私自身が、つい言葉尻をとらえて、大いに反論を企てたくなるせいもあるのだが、こう
した論点に吉岡委員はほとんど興味を示さなかった。意見は述べるのだが、あまり一点に
議論が深入りしないよう、戦線を広げていこうとしていたのかもしれない。逆に推進側か
らいえば、総攻撃をかけにくい姿勢なのである。少数派、というより孤立無援でありなが
ら、数に比べ奇妙なバランスが議事進行に存在していたのは、評価に値するかもしれない。
それ以上に、推進側委員の多くが資源枯渇と綱紀粛正のみしか、語る材料を持っていなか
ったことの現れでもある。
ともかく吉岡委員が初回にその案を配付して、その後無視されながらもさまざまの資料
を配布して、一番に主張したことは、結局、複数の政策上の選択肢を立て、あらゆる角度
の評価基準を設定して、それにひとつひとつ検討を加えて、その優劣で総合判断をすると
いう作業をすすめるというものだった。極論すれば、その場の議論や結論そのものよりも、
この作業そのものを少しでも遂行させたいがために、この会に臨んだということになるら
しい。その工作も虚しく、答申案を本格的にまとめる段階にはいると、会は一直線に科技
庁主導になったように感じた。委員の中からは「苦渋の選択であることを付け加えなけれ
ば国民に受け入れてもらえないのではないか」という発言もでたのだが、報告書案が出来
てみるといつもの科技庁節である。吉岡委員の提案する総合評価の実施は、反対も賛成も
それ自体に偏らない作業であるにもかかわらず、結果が明白だという恐れがあるのか、吉
岡委員の罠にでも落ちると思うのか、最後まで明確な理由もないままに採用されなかった。
もっとも、報告書案に批判や注文がでる中、吉岡委員は自分の「少数意見」の他に多数意
見の案も書いてやってもよいと申し出た(しかも2度くらい)が、さすがに誰も頼むとは
言わなかった。総合評価という手法から考えると、多数意見をそれなりに説得力のある形
で文章化するのが吉岡委員にとって容易なのはわかるが、しかし余りにたちの悪い提案で
ある。
それにしても、会がすすむにつれて、「新法人の設置を急がねばならないし、その設置
に見合う平成10年度予算を立てねばならない」という科技庁の意向に急かされたこともあ
ってか、結局議論は広い分野の論点それぞれを検討する間もなく、一気に終盤へなだれこ
んだ。もっとも委員達にも「飽き」が見えていたのは私の思い過ごしだったろうか。さす
がに科技庁が人選しただけのことはあったのだ。
11月 7日の「ご意見を聴く会」に出かけてそこで私は、何年もかけて勉強し、情報を集
めたうえで、熱心に意見を発表する多くの参加者に、大きなエネルギーを感じた。それは
懇談会の雰囲気との大変な格差であった。ついぞ本気の見えない無機質なやりとりを、私
はつまり、9ケ月にわたって見「物」していたのである。
* 九州大学比較文化研究科 福岡市中央区六本松 4-2-1
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