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茨城県東海村の核燃料加工会社「JCO」で99年9月に起きた臨界事故について、日本原子力学会(宅間正夫会長)は13日、「安全審査など国の安全行政にも問題があった」とする報告書をまとめた。03年に確定した事故の刑事訴訟判決は国の責任まで踏み込んでいなかった。原子力関係者が一堂に会した学会が国の責任を指摘したことで、原子力安全規制のあり方が改めて問われそうだ。京都市で開く同学会大会で17日に発表する。
03年3月に刑事訴訟が確定し、約1万5000ページの裁判資料が公開された。報告書は、資料や関係者の証言をもとに、事故の原因を追究し、今後の対策に生かす狙いでまとめられた。
JCOは83年11月、事故が起きた転換試験棟で濃縮度20%未満のウラン溶液や粉末を製造する申請を国にした。動力炉・核燃料開発事業団(現・核燃料サイクル開発機構)の高速増殖実験炉「常陽」の燃料用で、84年6月に許可が下りた。
科学技術庁(当時)が1次審査し、原子力安全委員会が2次審査でその妥当性を確認するが、1次審査では粉末についてのみ検討し、溶液については検討されなかった。臨界事故は、溶液を取り扱う過程で起きており、報告書は不十分な審査が事故の下地になった可能性を指摘した。
審査では、一度に取り扱うウランの量(1バッチ)を2.4キログラム以下にすれば「臨界事故は起こり得ない」とし、臨界事故を想定した対策は不要とされた。だが、審査後の87年に作成された総理府令は、濃縮度5%を超えるウランの加工施設に、臨界事故を想定した措置を求めており、報告書は「科技庁は、総理府令が出た時点でJCOに改善を指導すべきだった」と批判した。
施設の安全を確保するためのマニュアル(保安規定)に不備があったことも分かった。規定はJCOが作成し、国の認可を受けた。しかし、安全審査の大前提だった「1バッチ」に関する記述がなく、報告書は「不十分な規定を認可したのは問題だ」と断定。これらの事実を踏まえ、「科技庁や原子力安全委などほとんどの関係者は臨界事故に関する危機意識をもっていなかった」と結論付けた。【足立旬子】
◎ことば=JCO事故
99年9月30日、JCO東海事業所で発生した。濃縮ウラン溶液を混合していた作業員2人が死亡した。周辺住民も被ばくし、緊急避難した。国の許可では一度に扱うウラン量(1バッチ)が2.4キログラム以下に制限されたが、JCOは7バッチを一度に扱った。法人としてのJCOと事業所元幹部ら6人に対する有罪判決(業務上過失致死など)が03年3月に確定した。
毎日新聞 2004年9月14日 3時00分
http://www.mainichi-msn.co.jp/kagaku/science/news/20040914k0000m040159000c.html