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4.1 コメント(生物環境と科学技術者の課題―過去/現在/未来―) 荻野晃也(電磁波環境研)
http://www.asyura2.com/0403/genpatu2/msg/246.html
投稿者 ネオファイト 日時 2004 年 6 月 21 日 11:29:03:ihQQ4EJsQUa/w
 

(回答先: 2004年日本物理学会第59回年次大会 社会的責任シンポジウム 現代の戦争と物理学者の倫理とは 投稿者 ネオファイト 日時 2004 年 6 月 21 日 11:20:17)

生物環境と科学技術者の課題―過去/現在/未来― 荻野晃也(電磁波環境研)

はじめに
 梅林宏道さんに代わって50分間も話しをするよう依頼されいろいろなことを話さなくては「時間が持たない」と思ったばかりに、表記のような「大テーマ」にしたわけです。梅林宏道さんは、「日本の科学者は、なぜ米国の科学者運動(例えば憂慮する科学者同盟(UCS))」のように具体的な社会的課題に取り組もうとはしないのか」といった話をなさる予定だったそうですから、その話を引き継いで私が関係した色々な運動や、私が感じた科学者/技術者の関わり方と問題点などを率直に話して見ようと思ったのです。その後、25分間のコメントに変更になりましたので、時間の制約もあり、私の経験を中心に話させて頂く事にしました。

戦争と生物環境
 このシンポジウムのテーマが「現代の戦争と物理学者の倫理とは」だと聞いた時に、私の脳裏に浮かんだ2つの風景がありました。1つは、ベトナム/サイゴン河を船旅した1990年の風景であり、もう1つは、ウクライナ/チェルノブイリ原発までの車窓の風景でした。南ベトナムの首都サイゴンに船で行くには、海からサイゴン河を約2時間さかのぼらねばなりません。その約2時間の間、川の両側は延々と若木の林が続いていたのです。物資補給の船を解放前線の攻撃から守るために、樹木を切り枯葉剤を散布したことと関係があります。50年前は森林面積が50%だった南ベトナムが、戦争中に実に21%まで低減し、枯葉剤やナバーム弾などで失った森林は200万ヘクタールにも及ぶとか。ダイオキシンに強いアカシアの植樹を開始してから約7年間でようやく若木が育ち始めたというわけです。その見渡す限りの若木を見ながら、「戦争は最大の環境破壊である」と実感したのでした。
 チェルノブイリ原発を訪れたのは、2000年春のことでした。検問を受けた後、私たちの乗った小型のバスは半径30kmの立ち入り禁止区域の1本の道をただひたすら原発サイトへ向けて走り続けました。道の周囲のかっての小麦畑は草原になり、家々も朽ち始めていました。所々には墓地も見えましたが、人の姿はどこにもなく、一匹の鹿の姿にホッとしたことを覚えています。その風景やヘリコプターの墓場などに、「これは戦争以上だ」と私は思ったのでした。

私と反原発運動
 1962年に私が赴任した京大原子核工学教室は、原発推進の為に日本で最初に設置された教室でした(東大は1年後)。当時、日本の知識人(嫌な言葉ですが)で、原発反対をいう人は全くといっておらず、原爆にかわる「平和利用」に被爆者の人々も大賛成でした。
 その私が、原発問題に関心を持たざるを得なくなったのは、1968年から始まった大学闘争でした。連日のように学生から追及を受けた、いわゆる「研究バカ」であった私も、真面目に原子力の問題に取り組まざるを得なくなったのです。安保闘争の余波としての科学者運動にも関心がありましたし、科学者の責任問題を考えたりもしていました。しかし、原発推進の教室の中で反原発の決心をするには、かなりの勇気がいった事だけは確かでした。1969年春、私は学生・院生達と共に、「反原発運動のための若手研究者の連合体」を作ろうと決心し、閉鎖中の東大原子力工学科へ相談に行きました。そして、その秋の原子力学会で、「全国原子力科学技術者連合(全原連)」の旗揚げになりました。今でこそ「幻の全原連」と揶揄されていますが、70年代の初め頃は、反原発のたった一つの専門家集団として有名だったのです。
 私自身は、1973年から始まった伊方原発訴訟の住民側特別弁護人となったことで、反原発運動に関わらざるを得なくなり、運動の合間に研究をするといった毎日を過ごすようになってしまいました。その私が伊方原発訴訟で証人となったのが、「地震活断層原因説と原発の耐震問題」という私の専門外の分野でした。当時の地震学会の主流は、「地震の結果として断層が出現する」というもので、「活断層が地震の原因」とは考えられていませんでした。

私と電磁波問題
 「身の回りの放射線」などの講師を依頼されたときには、γ線などの放射線のみではなく、「電磁波といわれる放射線も問題があるのですよ」と70年代から私は話していましたから、以前から電磁波問題に少しは関心を持っていました。しかし、電磁波の危険性に深い関心を持ち始めたのは1979年になってからでした。その年の秋に米国スリーマイル島原発事故の調査でワシントンに1週間滞在し、米国原子力委員会の図書館へ日参していたある日のこと、「最近、ホワイトハウス内で、電磁波の健康被害の可能性についても議論されている」との話を米国の友人から聞いたのです。原発事故が発生した同じ3月に、世界で最初の「配電線の近くで小児白血病が3倍に増加している」というワルトハイマー論文が発表されていたのです。
 伊方原発訴訟の方は1984年12月に控訴審でも敗訴し、残るのは「裁判の墓場」と言われる最高裁のみになり、今後は原子核研究に専念したいと私は思っていました。所が、運の悪い事に、1986年4月にソ連で大事故が発生し、その放射能汚染測定で忙しい毎日を過ごすことになってしまったのです。そんな状態が続いていた時のことですが、原発の取材に来ていたある週刊誌の記者に、「電磁波問題も心配している」と話したのでした。その話しが小さなコラム記事として掲載されたのですが、その記事への反響が大きかったばかりに、ついに私は電磁波問題にまで引きずり込まれることになってしまいました。それが1988年のことです。

生物環境と科学技術者の課題
 私がいま考えている範囲での「生物環境と科学技術者の課題」を、「過去」を中心に、私の経験から感じたことをお話ししたいと思います。まず過去での最大の問題は、日本の物理学者は「戦争責任問題」を曖昧にしたままでやってきたのではないかということです。科学技術者についても、徹底した戦争責任の追及は一度もなかったのではないか。少なくとも大学闘争時に私が経験したような真摯な問いかけはなかったのではないか?そんな思いを私はズーと引きずりながら定年になってしまいました。その不信感のシンボルが私に取っては湯川先生であったといえます。「湯川神話にだまされて、京大物理へ」やって来た私でしたから、湯川先生の講義を聞きながら「なんでこんな人に憧れて来たのだろうか」と何度思ったかわかりません。「中間子論」の素晴らしさは認めはしますが、「人間/湯川」には何かしら違和感を感じ続けてきました。
 2002年6月、京大農学部で「戦争と科学を考える」というテーマの講演会がありました講師は1940年生まれの「石田紀郎/池田浩士/荻野晃也」の3人で、定年まじかな3人に話をする機会を若い人達が提供してくれたのです。一年後に出版されたその講演録に、私は湯川先生が1944年に書かれた「物理学に志して」の中の「科学者の使命」と言う小エッセイを紹介した。戦後になって、湯川先生自らが「国民の前から抹消した」としか思えないエッセイだったからです。そこには「今日の科學者の最も大いなる責務が、既存の科學技術の成果を出来るだけ早く、戦力の増強に活用することにあるのは言を俣たない」と書かれています。そのような戦前のエッセイを入学したばかりの時に読んでいたからなのか、私は「人間/湯川」には違和感を持ち続けて来たように思います。更に、その本の中にはもう一つ、抹消されたとしか思えない「戦争と物理学」という一文もあることを、このシンポジウムで始めて紹介する予定でいます。年配の物理学者には良く知られている話しだと思うのですが、まさにこのシンポジウムのテーマとぴったり一致するからです。湯川先生に直接教えられた最後の世代であるこの私が、湯川先生のこのようなエッセイのあることを知っているのに、なぜ物理学会の大先輩達はこのことを問題にしなかったのでしょうか?なぜ著作集からも除外されたのでしょうか?
 電磁波問題の歴史をひもとけば、殺人電波兵器の開発に従事した朝永先生/小谷先生/菊池先生などの大先輩の名前も浮かんで来ます。何も核兵器開発だけが問題ではないのです。被害者意識だけで自己正当化しようとする傾向は、天皇のみならずこれら物理学者にもあったのではないか。アウシュビッツで選別から逃れたのは、「双児と物理学者だった」ことと二重写しになります。反核兵器は言えても、原発には沈黙を守る「知の巨人」の多い事に、日本の「知の荒廃」を私は感じています。
 過去の事ばかり書きましたが、少しは「現在/未来」のことにも触れた話をしたいと思いますが、まだ整理が付いていません。「現在/未来」に関して私が話したいと思っている事を箇条書き風に思いつくままに書くに止めます。
 
 「核拡散防止運動がイラク侵攻のは胃液になっている矛盾をどう考えるか」
 「科学者/技術者は、自らの責任を明確に意識し、責任転嫁してはいけない」
 「責任としての原理が議論されるような思想的背景が欠如しているのでは」
 「自分の思想や行動は、何時かは必ず明らかになると思うべきである」
 「常に誰かに(欧米ではキリスト?)見られていると言う意識をもつべきだ」
 「もっと幼児・子供の視点、胎児の視点を持つべきだ」
 「死産死の男女比問題の様に、人類は自らの胎内での戦争に直面している」
 「科学技術の持つ便利至上主義の思い上がり思想に用心すべきである」
 「予防原則の思想を広げることが急務である」
この中で、少なくとも「予防原則」思想ついては必ずお話したいと思っています。

[投稿者注:電磁波(交流電流送電による50Hzくらいの低周波は電気工学では電磁波と呼ばずに交番磁場と呼んでいるそうです)問題は疫学調査では否定的な結論が今は主流だと思います。このくらいの低周波の輻射は、電子レンジのように水が輻射を吸収して振動して加熱されることが無い(熱的な相互作用が無い)ために、人体が電磁波を吸収して影響が起きるとは考えられないのですが、熱的な相互作用以外のものがある可能性を荻野さんは研究しているみたいです。生物には地磁気を感じ取るものもいますが、地球の静磁場のNSがひっくり返ったことは何度もあるらしく、それが生物の大量絶滅の原因ではないかとする説もあります。静磁場(静電場)から高周波までの地球上でのスペクトルを見ると現在は無線や携帯電話などの周波数の電磁波が急激に増えているので電磁場に敏感な生物(人間もそうかも知れない)に影響が出ないとは限りません。]

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