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Driving forceに関する研究を宜しくお願いします。
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投稿者 如往 日時 2004 年 7 月 16 日 01:48:57:yYpAQC0AqSUqI
 

(回答先: Re: 政治経済問題を論じようとする理科系の人への質問です。 投稿者 岩住達郎 日時 2004 年 7 月 11 日 10:28:08)


 岩住さん、こんにちは、レスをありがとうございます。


 >此処までが前書きで、これから如往さんの質問に入ります。今までは従来社会の様々な問題点を指摘し、新しい社会モデルを作る必要性とそのモデルが摂理に基づいた物である事を書いてきました。次は現在の試行錯誤の社会制度をどの様にして摂理に従った社会制度に変えて行くかと言う事になります。このトピックは実は次の章になっていますので、もうしばらくお待ち下さい。

 大いに期待いたしましょう。そこで、予め私がどんな視座でcriteriaしようとするかをお伝えして、論考に資するべく願うものであります。尚、ご専門は生体物理学とのことですが、一度概略を説明していただければ幸甚に存じます。

 さて、ご専門の見解とはどの程度近接するものか不明ですが、全くの雑学の中から私は生命活動の起源は細胞の対称性的複製にあり、その後の運動は複製という慣性の所産と捉えています。もちろん、慣性を一周期だけに収束させなかった環境(磁界?)の存在を見逃せないでしょう。そして、私はこの慣性に何らかの神の手が介在したとか、何時の頃介在することになったのかといった神話に関知する考えは既にありません。
 さらに、生物に存在目的が芽生えたのは、慣性の断続性を補完する、すなわち慣性を継続するという運動が加わったことを契機にすると推測していますが、それ以上の意味があるかどうかは不可知であると思量しています。

 ところで、岩住さんが学際的なMethodと能力的なDimensionに関して言及されていますが、その点について少し触れてみたいと思います。
 先ず、政治経済という実学を扱う時も帰納法が主軸であることは同意しますし、それに準じてスキームを設定しモデリングすることが基本であると考えます。ただし、それだけではImplementできないことは明白であり、つまりDriving force(駆動力or政治力)の設定がなければ実現は覚束ないと見ています。とりわけ、政治経済問題の解決のためには少なくとも実効性が検討された設計図と能力において附合し得る実行者(当事者能力)が絶対条件になると考えていますが、後者が不在もしくは不明の状態では前者を研究することには少なからず虚しさが伴なうのではないでしょうか。
 その昔、マルクスは近代経済社会の問題解決の基盤的な設計図を提示し、かつプロレタリアートを問題解決の担い手(当事者)として措定しました。今では、世界の共産主義者でさえも、マルクス主義的な社会主義社会を実現できるとまともには考えていないと思いますが、同様に社会変革を起こす(問題解決のための)新たなDriving forceを見出し難くなっているのも事実でしょう。
 以上のような認識から私は岩住さんに、「問題解決の絵図面を見せられるだけで誰が触発されるのだろうか、あるいは誰が実行するのだろうか」と、問い掛けてみたのです。
 実は、ここ阿修羅におけるあっしら氏によるこの2年余にわたる経済原理に基づく論考を参照すれば、絵図面に関する検討は複眼的な視座から相当なされて来ていると思っています。同時に、Driving forceを見出そうとする努力もされていたと思いますが、未だに完璧なものには到達することができていないというのが実情ではないでしょうか。
 私も、今日でも通用するようなDriving forceの淵源を日本的Ethosに求めてみたことがあるのですが、残念ながらこれといったものに突き当りませんでした。また、幸か不幸か日本はPathosの源となり得るルサンチマンを懐くような苛酷な他者支配を受けなかったことが、日本人に政治的覚醒を起こさない要因になっていると見てもいます。

 外資系の会社に勤務したり経営コンサルタントをしていますと、心情的に俄かナショナリストにもなります。しかし、深くDriving forceの所在を探求していくと、対置すべき日本的Ethosのひ弱さとPathosの不在を発見するばかりです。
 また、海外生活の永い岩住さんが日本的なEthosにノスタルジーを懐かれるのは理解できないことではないのですが、日本史をある時点まで遡行して、それ以前を恣意的に捨象するとしたら違和感を禁じ得ないでしょう。それまでの知の海外流出に抗おうとする教育論を評価していたものですが、西澤潤一岩手県立大学学長(首都大学学長候補)の昨今の言動には同様な印象を受け、科学者としての見識とどのように附合するのか非常に奇異に感じてもいます。

 また、会いましょう。

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