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(回答先: Re: 貨幣や市場について 投稿者 バルタン星人 日時 2004 年 7 月 14 日 17:44:35)
バルタン星人さん、どうもです。
【あっしら】
「「既に分配の問題も解かれている」というのは、価格が交換によってのみ現象するものであるのなら、そのような価格が付くという前提として、それらを買う人がなにがしかの貨幣を保有していることを意味します。そして、その貨幣は、ほとんどの場合、なんらかの活動に従事することで手に入れたものです。」
>「情報」と「物流」の遅延(時間差)を貨幣が媒介しているのではないかという事です。
交換における「情報」と「物流」の遅延(時間差)があるとしても、それを、経済学的概念である貨幣でなければ埋められないと考える理由はなんですか?
貨幣に「情報」と「物流」の遅延(時間差)を“補正”する機能があるとしても、価格変動のみだと思います。(“補正”というより、貨幣保有者と財保有者の“相互受け容れ”というものです)
そのような機能なら、貨幣をことさら用いる必要はないはずです。
【あっしら】
「「死せる貨幣」は、価値実体(モノ)性が喪失したことのみに関わる表現であり、それは現実世界の人々の関係性がどのように変容したかということで重要な“出来事”であるという見方です。」
>身も蓋も無く言えば「金本位制の停止」や「基軸通貨」という歴史性、出来事性とし
>て現れたと考えて良いでしょうか?
「死せる貨幣」は、国民経済的には金本位制の停止から管理通貨制への移行であり、国際的にはドル基軸通貨制(各国中央銀行に許容していた兌換は過渡的象徴の範囲)によって生まれました。
【あっしら】
「政府が買い上げるという経済行為は、英国の納税者が少しずつですがスイカ農家に贈与をしていることを意味します。(それが共同体性の在り方でもあります)」
>揚げ足をとるつもりはありませんが、国家が介入する政策は「収奪−再分配」であり
>贈与と呼ぶことは危険である気がしますが。国家はまず他の国家に対する国家であり、
>領土の保全と交戦権を本懐とする特殊な「共同体」だと思います。
国家の本旨は“経済社会”の政治的法的統合(支配)であり、本旨をまっとうするために「領土の保全と交戦権」があると思っています。
国家が介入する政策は「収奪−再分配」であるという説明は受け容れますが、それは政治的説明であり、人々(国民)の関係的活動の説明にはならないと思っています。
“収奪”とは、現物であれ、貨幣であれ、人々の活動力の収奪であり、収奪したものを被支配層に移転したのなら、国家機構が媒介した対価なしのある人々から別のある人々への活動力(成果)の贈与になります。
国家が、地域性と歴史性を基礎とした「支配―被支配関係構造」の近代バージョンであることは前提です。