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(回答先: 「産業主義近代」の終焉:“自然の恵み”ではなく“人々の恵み”が産業を発展させ生活も向上させてきた。 投稿者 あっしら 日時 2004 年 7 月 10 日 00:22:36)
あっしらサン、無沙汰しております。久々ですが、あいも変らぬbakaの質問ですが、宜しくお願い致します。
>[近代的評価としては貨幣表現のほうがいいだろう。
機械装置の購入費が100億円として、その耐用期間中にメンテナンス費用を加味して100億円を超える人件
関連費の節約ができるときに恵みがあったと言える。
しかし、それでもなお関門がある。その機械装置の耐用期間が過ぎたときに、買い替えができる節約も必要である。それは、一般には、節約ではなく、減価償却費を個々の財に上乗せして販売できるかどうかと考えられるものである。
100億円の機械装置が10年間かけて償却されるものであるなら、年間10億円の人件関連費の節約がプラスされなければならない。
減価償却費を個々の財に上乗せして販売するという発想は、個々の企業にとっては妥当なものであっても、国民経済(世界経済)的には、そのような上乗せ発想は無から有を生み出せると考えるのと同じ誤った考え方である。]
この最後の部分、「減価償却費を個々の財に上乗せして販売するという発想は、個々の企業にとっては妥当なものであっても、国民経済(世界経済)的には、そのような上乗せ発想は無から有を生み出せると考えるのと同じ誤った考え方である。」ですが、何故、それが誤った考え方であるのか、理解できません。
例えば、労働を貨幣表現に置換えたレベルの議論では、減価償却費が上乗せされた商品を購入するのは、骨董品などを人々の価値観に応じて、高価に買取ることと同じではありませんか?
>[(今は、日本政府が米国政府に融通した35兆円ものお金が日本経済に“小康状態”をもたらしているだけなのである。株式市場が現在の水準を保っている最大の要因が、その35兆円をドルと交換した外国人投資家の買いであることも忘れてはならない)]
35兆円の赤字財政出動で、日本を外国人に売り渡しているようなものでしょうか? 今後のシリーズに期待しています。
さらに、質問です:日本の高度経済成長は、"彼ら”ないし知的執事が事前に計画した筋書に沿って、実現されたものなのでしょうか?