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リチャード・ハーベイ・ブラウン『テクストとしての社会』:律さんの投稿より
http://www.asyura2.com/0403/dispute18/msg/653.html
投稿者 あっしら 日時 2004 年 7 月 07 日 17:05:35:Mo7ApAlflbQ6s
 

(回答先: エリートは自己のエリート性を投げ捨てたときに初めて有用で「有能」な存在となる。 投稿者 あっしら 日時 2004 年 7 月 06 日 20:27:48)


↑のエリート論に関して補足になる論考を、律さんの「「合理性」と「文化」について」( http://www.asyura2.com/0403/dispute18/msg/649.html )より引用させていただきます。

リチャード・ハーベイ・ブラウン氏の社会構造内存在性の差異がもたらす認識と表現の在り様の差異に関する考察は、実態論として高く評価します。

(対応策として提示されている教育の有効性を一概には否定しませんが、認識と表現の在り様の差異が社会構造内存在性の差異に由来するのなら、ズレの縮小にはつながるとしても、解消にはならないと思っています。ひとは必要性のないことをはあまり積極的にはしないもので、現実活動のなかで必要のない思考はなかなか身に付かないものです。だからこそ、庶民も、必要であったり、実際にも必要になる存在性に身に置く「支配―被支配関係構造」の解消に向かう(向かう過程が最大の“教育”)必要があると考えています)

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しかし、最近読んでいるリチャード・ハーベイ・ブラウンの『テクストとしての社会』の第一章に書かれていることから、あっしら様の言おうとしていることが大分腑に落ちてきたように思います。

どういうところかというと、バジル・バーンスティンの精密コード(中産階級)と限定コード(下層階級)との言語使用のあり方についての議論を引きながら、バーンスティンが下層階級の言語のあり方を「論理性」「抽象性」にかけるものと評価していることを批判している箇所です。
H・ブラウンは、自身の経験から、労働者階級の人のほうが懸案事項に取り組む上でよほど雄弁であり、現実的な因果的説明をしているのに対して、銀行マンのほうは無口でステレオタイプ化された表現や概念を用いており、柔軟性に欠けてており、「自分たちの実践を支配する原則を反省することには抵抗した」、とのべています。
また、こんなふうにもいっています。「洗練された発話の、まさにその洗練性は、コミュニケーション能力を高めるかもしれないし、高めないかもしれないが、そのイデオロギー機能だけは間違いなく高める。このことは、たとえば、法の言語のうちに見出される。それはおそらく洗練されたコードの典型であり、洗練されていればいるほど、コミュニケーション能力に欠ける例である」。
抽象的・論理的(とみなされる)コードは、コミュニケーション能力の欠如を意味する、というわけです。
それで、バーンスティンの中産階級の言語コードを評価し、下層階級の言語コードを低く見る見方は、「自民族中心主義的であり、それゆえ、イデオロギー的である。というのも、それは中産階級の子供たちの劣ったコミュニケーションを、かれらの認知的な優位性の記号として解釈するものであり、他方、下層階級子弟の用いる直接的でいきいきとした言語は「純粋にリズムとキャッチフレーズに過ぎず、大人に対する反抗である」と記されるからである」と批判しています。
また、下層階級は指示される側にあるため、直接的に序列と権力を経験するので、彼らは共同的・個人的役割を表現する差異に率直な言い方ができる(ただし、率直さゆえにその権力構造の複雑な問題からは目をそらしがちで、かえって体制迎合的だったりもする)。一方で、中産および上流階級の人々は、指示・指導をする側であり、肉体労働ではなくイデオロギー的労働を行っている。それで、「中産階級のひとびとは、自らの利害に大いに奉仕してくれる規則のシステム内で習慣的に働くことによって、背景的仮説を自明なものとしがちであり、権力を神秘化・物象化する専門家になりがちなのだ」と述べています。

中産階級がコミュニケーション能力に欠如をきたしてしまう理由は、ついている職業の多くが観念やシンボルの操作を扱うものだからであり、それに対して、労働者階級の職業は多くモノの操作にかかわっているので、おのずと集合的、実際的になっていく。

(私自身も結局のところ、「シンボルや観念の操作」を扱うような仕事でお金をもらっている人間ですので、あっしら様のいうことが理解しにくいのかもしれません。もっと柔軟にならなければ!)

ところでハーベイ・ブラウンはこのような例を引きながら、下層階級に対して教育的な配慮をしようというのならば、そうする人間がまず、自分が異なる社会秩序の対立に巻き込まれている状況を自覚すること、中産階級もまた教育され、政治化されなければならないこと、救おうとする相手に危険を強要するのと全く同じく、自らもまた身体的、文化的危険を引き受ける覚悟が必要であること、を述べています。


この点は、あっしら様は「救う」という観点を否定されていますから、違ったご意見をお持ちかもしれません。

以上のようなことから、もっぱら「シンボルや観念」を扱うことが本性的な「相互作用的な関係」の実現を阻害するということ、関係のあり方を「支配−被支配関係構造」の枠の中に位置づけてしまいがちであること(下層階級の発話を論理性の欠如と捉えるなど)についてなんとなく理解できてきました。それで、あっしら様のおっしゃろうとしている問題点の一部はイメージとして見えてきたようにも思えます。


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