現在地 HOME > 掲示板 > 議論18 > 518.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
(回答先: あっしらさんへーーー悪魔崇拝者について教えてもらえませんか。 投稿者 オニオン 日時 2004 年 7 月 01 日 01:56:28)
オニオンさん、どうもです。
>アメリカの政治家の方々なら是非ともラムズウェルト氏も加えて欲しいですね(笑)。
>実際にどんな方なのかは存じませんがあの人の顔も相当厭らしい。
ラムズフェルド氏の顔も相当厭らしいと思っていますが、おぞましさは感じていません。
彼は、理屈で悪をなしている感じがします。
あのチェイニー氏は、青年期の顔を見たらびっくりするはずです。(エリート臭さはありますが、まともな範囲に収まっています)
最近気になるのは、小泉首相がラムズフェルド氏よりも“爬虫類顔”になっていることです。
(小泉首相は、政策の是非を超えて、首相の座から引き摺り下ろさなければならないと思っています。私にはできることは高がしれていますが...)
>あっしらさんは彼らの精神的、歴史的な意味での起源が何処にあると考えているのしょうか?
>おそらくお金の存在が密接に係わっているのだろうとは想像できます。しかしどうも
>それだけとも思えません。このほかに他民族やら風土やらの影響もあるのでしょうか。
起源は、ペルシアとメソポタミアに辿れると思っています。
そして、“彼ら”が“彼ら”になっていったのは、バビロニア・フェニキア・カルタゴ・イスラエルなどの滅亡により“彼ら”自身の大地(国家や共同体)を失い、他の国家や共同体に身を寄せるようになったことが契機だと思っています。
よその国家や共同体でより良く生きることの困難はそれなりに推察できます。
他の世界観や価値観を持っていたなら、同化の道を選択したはずです。
“彼ら”は、有する価値観や経済的能力から同化の道を選ばず、困難にめげることなく、よその国家や共同体を自分たちにとって都合がいいものに変容させるために智恵を磨き続けたわけです。
“彼ら”は閨閥というかたちで数を増やしていますが、数の増加は利の減少にもつながりますからそれほどではなく、世界における圧倒的な少数派です。
そのような圧倒的な少数派の価値観や論理が優勢であり続けているのは、“彼ら”が自分たちにとって都合がいいものに変容させるために磨き続けた智恵の成果として、被支配層に投げ掛けた(流布した)価値観や理論を“正論”として受け容れている人が多いからに過ぎません。
その一つが、抽象的な概念(民主主義・自由・人道・正義・平等・国家といったもの)を素晴らしいものと賛美したり、ひとを救済できるとか幸せにできると信じている心性です。
抽象的な概念をそのまま善と考える人が多数派になることで、空虚な論がはびこり、空虚な言葉で騙される状況になっていきます。(善であると信じる言葉を使うことで、その内実を掘り下げることを怠る思考停止に陥る)
右翼的な政治運動家であれば、国家や民族という抽象概念に何かとてつもない価値があると感じ、それらの概念存在のために生身の人間を動員したり生身の人間が犠牲を厭わないことが善だと信じています。(識別子の役割は否定しない国旗に崇高な価値があると思うのも同種の心性)
左翼も、正義や平等を実現すれば、ひとを救済したり幸せにできると信じています。
(このあたりの心性は、宗教家にも共通する)
人がひとを救済したり幸せにすることはできないという根源的な話が見えていない。
ある人が自分の関与で救済や幸せを得たとしても、それは手助けした人の与り知らぬことで、救済や幸せは、ひとりひとりが自分で獲得するものだという理解さえない。(獲得は、物質的な話ではなく、精神的な話)
だから、自分たちの党派を支持すれば素晴らしい社会が到来すると恥ずかしげもなく訴えることができるわけです。
ごく少数派の“彼ら”よりも、抽象的な概念に帰依したり、ひとを救済できるとか幸せにできると信じている人たちの「悪魔崇拝性」のほうが危険だと考えています。
抽象的な概念に帰依したり、ひとを救済できるとか幸せにできると信じるようなエリート思想は、“彼ら”の価値観や世界観が被支配層向けに脚色されて“切り売り”されたものです。