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「産業主義近代」の終焉についていくつか書いてきたが、ポイントと思われる論理をできるだけ平易に説明したい。(ほんとうに平易になるかどうか自信はありませんが)
25歳くらいより若い人であれば、物心ついたときと較べて現在が「豊か」になったとは思わないかもしれないが、歳を重ねた人ほど「ほんとうに日本は豊かになった」と思う割合が高くなるはずである。
今回考えてみるのは、戦後日本(人)はどうやって豊かになってきたのかということである。
豊かになったのは「給料が高くなったから」というのが多くの人の直観的な答えではないかと推測するが、今回の正解は「より多く働くようになったから」である。
(ペーパーマネーのお金で貰う給料が多くなったからといって豊かになれるとは限らない)
おいおい、昔は土曜日半ドンだったけど、だいぶ前から週休二日制になり、夏冬の長期休暇も制度化され年間総労働時間だって減ってきたはずだ、と思われた方もいるだろう。
週休二日制になろうが年間総労働時間が減少しようが、日本が豊かになったのは、豊かになるに比例してより多く働くようになったからに他ならずそれ以外に理由はない。
さらに産業別労働人口構成の変移や非現業サラリーマンの増加を考慮すれば、“とてつもなく多く働くようになった”から日本の平均的豊かさは上がったと言える。
「より多く働くようになった」という事実は、「とてつもなく生産性が上昇したのに、働く時間はわずかしか減少しなかった」と説明したほうが経済論理に近づく。
逆の視点で言えば、「とてつもなく生産性が上昇したのに、働く時間がわずかしか減少しない程度では働ける経済条件が続いた」と説明もできる。
現在の日本経済問題につながるかたちで言えば、「生産性が上昇しても、働く時間を強制的に削られたり、働く機会を奪われなれることが少なかったから」日本は豊かになったのである。
少しだけ具体的に説明すると、
ある時期の国民全体が必要とする財の総量が100億個で、それを生産するために2000万人が働いていたとする。(国民が購入できる財の量や質にばらつきはあるが、最低レベルでも衣食住と少々の娯楽はある状況)
生産性が上昇し続けその数年後、100億個の財を生産するのに必要な労働者の数が1000万人になった。(国民の総数及び労働可能人口は不変)
【そうなったときの選択肢】
A:1000万人に他の財を生産してもらって手に入れられる財の量をもっと増やす。
B:手に入れられる財の量が増えるより「自由」な時間が増えるほうがいいので一人あたりの労働時間を半分にする。
C:1000万人は失業させ、彼らは稼ぎがないので働いた人に増税して生活扶助を給付する。
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※ Bは、一人一人が手に入れられる財の量は従来と変わらない。
Cもそうすることができるが、財の配分を変えることもできる。
(失業した1000万人に従来と同じ量の財を手に入れられるだけの生活扶助を給付できるほど就業者から税金として吸い上げても、就業者が手に入れられる財の量が減ることはない)
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戦後日本は、80年代中頃まではAの選択肢を採った(採ることができた)ことで豊かになった。
そして、それが「より多く働くようになったこと」を意味することは、Bの選択肢と考え合わせてみればわかるはずである。
Bの選択は個々の労働者ができるものではなく、半分の時間だけ働きたいと言えば「じゃあ、退職しろ」となってしまうものだから、“自動”的ないし“無自覚”的ないし“強制”的に「より多く働くようになった」のである。
戦後日本がCの選択を採らざるを得ない状況に追い込まれる可能性はあった。
いや、可能性どころか、現在の日本は、Cの選択をまさに採っているのである。
「より多く働くようになったこと」で生産する財の量が増加しても、それが売れ残ったり、その価格が下落することで赤字になるようだと、生産を調整するために首切りが行われたり、倒産する企業も出てくる。
そして、失業者の所得は40%以上減少するので(将来への不安から消費に回るお金はさらに減少)、なおいっそう生産調整や倒産が増えることになる。
それらに歯止めを掛けられるのは、輸出の増加(ないし消費財の輸入減少)や赤字財政支出の増加ということになる。(増税による財政支出は配分が変わるだけで歯止めにはならない)
冒頭で書いた、「25歳くらいより若い人であれば、物心ついたときと較べて現在が「豊か」になったとは思わないかもしれない」が事実なら、85年頃からCの選択肢に進んでいるはずである。
85年からのバブル形成は、金融利得による消費増加が輸出や赤字財政支出と同じように生産調整や倒産に歯止めをかけただけでAの選択肢に向かわせたわけでないから、金融利得に無縁だった家計はより豊かとは無縁だったと考えることができる。
先を急がず、今回のところは、「戦後日本が「豊か」になったのはより多く働くようになったからだ」ということを確認していただくことにとどめてさせたいただく。
その確認を念頭に、お時間が許すのなら、下記の投稿を今一度読み直していただければ幸いです。
★ 参照投稿
米国支配層(世界支配層)は「産業主義近代」の終焉が近いことを知っていて、その後の世界に向けて動いている。
http://www.asyura2.com/0403/dispute18/msg/395.html
「産業主義近代」の終焉で最大の打撃を受けるのは、世界で最も成功した産業主義国家日本である。
http://www.asyura2.com/0403/dispute18/msg/419.html
「産業資本主義の終焉」=「停止状態」を悲観せず「始まり」として待望した“平等私有財産制共産主義者”J・S・ミル
http://www.asyura2.com/0403/dispute18/msg/454.html
「産業主義近代」の終焉は、マルクスではなく、ケネーの正しさを実証する:重農主義者は「産業主義近代」の終焉を予感していた。
http://www.asyura2.com/0403/dispute18/msg/430.html