現在地 HOME > 掲示板 > 議論18 > 441.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
(回答先: Re: おもしろーいっ 投稿者 NUE 日時 2004 年 6 月 28 日 10:30:28)
NUEさん、一般人さん、どうもです。
NUEさん:
-------------------------------------------------------------------------------------------
【NUEさん】
「重農主義の「産業は不生産であり富を生まない」という考え方はとっても面白いし、ある面の真実を言い当てているようにも思います。「産業が富を生み出している」というのは、ぶっちゃけてしまうと「人間が勝手にそう思っているだけよーん」だということですが、しかし、まぁ、この世界は人間の思いこみというか共同幻想によって成立していたりもするので「産業による富も富と考えてもいいじゃん」ということだったのでしょう。しかし、それは我々が「国家=地域」によって分断されていた(電位差があった)からこそ、有効であったと。」
「幻想」も、まったくのホラでは共同のものにはなり得ず、何らかの支えを必要とするものだと考えています。
(吉本隆明氏の貨幣の共同幻想にしろ男女の対幻想にしろ、幻想であると闡明することで終わりにするのではなく、それを出発点として、幻想が現実的意味を持っている支えやわけを考えるのが彼らの役割だと思っています)
グローバリズムも、世界支配層のプロパガンダだと言ってただ切り捨てるのではなく、軍事力の強制がなくても受け容れられるわけやその支えを考える必要があります。
(“彼ら”が正当化のために説明している自由貿易で最貧国も豊かになったというのは、まったくのデタラメというわけではありません。生産性が上昇すれば、同じ1ドルの所得でも購入できる財が増えるからです)
「産業が富を生み出している」と信じられるのは、庶民が同じように仕事をすることで購入できる財の量や質が増加したという事実と保有する貨幣的富が増加した事実(すべてが貨幣的評価に還元されること)に支えられていると思っています。
庶民が購入できる財が増えたのは生産性の上昇のおかげ以外の何物でありません。
同じ時間活動して産出する財の量が増えたから、手に入れられる財の量も増えただけです。
そして、「近代」でもそのように生産性が上昇できたのは、それによって輸出が増加し国外から流入する貨幣的富が増大することが大きな支えだったのです。
(「近代」で生産性を上昇させるもう一つ手法は、政府が赤字財政支出を行うことです。しかし、それは利息付きの返済を要するものなので、将来の生産性上昇を阻害する重石になってしまいます)
貨幣的富の増加はペーパーマネーとなった現在では幻想と言えますが、それをより多く求めて活動する人で溢れている限り、支配力の源泉であり、財を入手する力であり続けます。
生産性が上昇しない、ないし、生産性の上昇が国民生活を向上につながらないという現実は、「産業が富を生み出している」と信じていたことが幻想であり、「産業は不生産であり富を生まない」という正しい理解に人々を導くことになります。
今は天動説(産業が富を生み出す)から地動説(産業は本源的に富を生まない)に転換する段階だと思っていますので後に書くつもりですが、「産業は不生産であり富(余剰)を生まない」のは事実であっても、“産業は、少ない活動力で多くの財を生む仕掛けを創ることで、人々を楽にしたり豊かにするもの”です。
利潤獲得を動因とする資本主義経済では、「産業は不生産であり富(余剰)を生まない」事態に陥ると理解していただきたいと思っています。
【NUEさん】
「しかし、世界が「(電位差のない)ワンワールド」の方向に向かっているのはたしかなことのように見えます。で、この「ワンワールド」というのは、ちょっと前に流行った「帝国」という言葉に置き換えてもいいかもしれません。この「帝国」は現在の「国際」の一つ上のレイヤー(層)にあるものだと思います。で、このレイヤーでは「国家」が実質的には消滅してしまう(見えなくなってしまう)はずです。逆に「帝国」は我々が存在する「産業国家」の側から見ても見えない(制御できない)存在になってしまうはずです。」
「「帝国」は我々が存在する「産業国家」の側から見ても見えない(制御できない)存在になってしまう」というのは鋭い見方だと思います。
このまま進めば、“不在の帝国”が“最強の帝国”として世界の人々を制御(支配)するようになると予測しています。
「産業国家」の側から見れば、戦争もなく、経済的平等もより実現され、コスモポリタニズムも生きている「いい世界」になるかもしれません。(世界支配層の欲抑制や統治技術次第ですが(笑))
【NUEさん】
「「帝国」という概念は、例の「オートポイエーシス」概念を世界・歴史に適用したものだと思いますが、オートポイエーシスでは下の層での作動はその上位層での作動とは断絶しています。……言い方が難しいのですが、上下が「非連続に繋がっている状態」ですね。この「非連続に繋がった状態」を実体化したものが金融経済だと思います。金融経済では富は水平電位差からは生まれず、垂直の電位差から生まれる、と考えることができるように思います。」
「オートポイエーシス」は、世界(外的感覚的存在)と「世界」(意味付けられた認識体系としての内的世界)の関係性を通じて生きる(動く・変化する・対応する)ことだと理解しています。
それはともかく、「「非連続に繋がった状態」を実体化したものが金融経済」や「金融経済では富は水平電位差からは生まれず、垂直の電位差から生まれる」は的確な見方だと思います。
「帝国」においては、たぶん、金融活動から現在のようなリアリティは消失すると予測しています。クレジットカードを使うことで金融活動性を見ることがなく、徴税に金融活動性を見ることがないのと同じような意味でです。
剥き出しの高利貸しはなりを潜め、メインの経済活動(取引)の背後に隠れたり、国家が仲介するような取り引きに変態するのではと考えています。
だから、「「帝国」は我々が存在する「産業国家」の側から見ても見えない(制御できない)存在になってしまう」と...
【NUEさん】
「モノを作って売って利益を上げる産業経済は非常に時間も掛かりますし、人間の好みだの流行だの不確定要素が多いのでマーケティングだのブランディングだの面倒で余分なものが必要になりますが、欲望を直接的に売買するのであれば、話ははるかにシンプルになります。「産業? んな面倒でリスクのあることやってられっか」ですね(笑)。金融経済というのは(モノの)質量から自由になれる経済でもあるはずです。」
商業だってあまりやりたくなく寄生者にしてみれば、産業や農業に従事するのはうっとしいはずですから、金融利得に傾斜するのは理解できます(笑:金融活動も“知的執事”に委ねるくらいです)
金融活動は、農業・産業・商業のどれとも異質の“商行為”です。
(商業でも物を扱います)
金融主義が何か素晴らしいものだと考えている人は、自身の“異常性”を再点検する必要があると考えています(笑)
【NUEさん】
「そして、ご存じのようにこの金融経済の規模はいまや実体経済=産業経済の数十〜数百?倍の規模になっていると言われています。これを動かせば(ナントカ通貨危機のように)産業国家単位の経済を簡単に破壊できるようになってしまっています。つまり、実質的にはすでに「国家による産業経済の時代から帝国による金融経済の時代へ」と変わってしまっていると考えるほうがわかりやすいと思います。
で、この2つの層を「非連続に繋がった状態」にしているのはいったい何か、というと、不思議なことにそれは我々自身なんですね(笑)。帝国の圧政に苦しむのも我々だし、帝国を支えているのも我々です。我々の欲望・欲動によって帝国は生きながらえているわけです。」
欲望が貨幣によって充足できるという観念(共同幻想)が生き残る限り、「帝国」の圧政に苦しみながら「帝国」を支えていくことになります。(このへんは、「帝国」に限らず、「近代」に通底するものですが..)
=============================================================================================
一般人さん:
>重農主義の視点は、現況から考えれば、視点の必要条件であると思います。
>ただし、気になるのは、人間が生存を維持するために必要なものは、
>食べ物(農作物)と塩と水です。
>水はなんだかんだいって、割と手に入りやすいですし、
>作物の中にも入っているので、置いといて、
>塩が重要になるんじゃないでしょうか。
塩は身体によくなく味もひどい塩化ナトリウムでも代替ができるので、今後は、「水」のほうが問題になると考えています。
(日本は、降雨量や降雪量からみて、よほどの気象変化が起きない限り、コスト(人力)はかかるとしても「水」の絶対的不足に悩まされることはないと思っています)
水は、直接の摂取だけでなく、農業や産業で“湯水の如く”使われています。
大量に地下水まで汲み上げて農業や産業に使ってきたツケが回るはずです。
>このように、同時に起きる「塩の流通」の条件をクリアできなければ、
>重農的概念は視点としては重要だとしても、理論的展開の初期条件を
>満たしていないと思いますが、どうなのでしょう?
塩に関しても日本は恵まれた条件にあると思っています。
貨幣評価に還元しないで、日本人もメキシコ人も活動時間で評価されるようになれば、日本の製塩業も甦り、世界レベルでの供給もできるとみています。