現在地 HOME > 掲示板 > 議論18 > 299.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
(回答先: Re: “後進国”英国における「重商主義」と「資本の原始的蓄積」そして「近代資本主義」の確立 投稿者 バルタン星人 日時 2004 年 6 月 18 日 15:53:14)
バルタン星人さん、どうもです。
ヨーロッパの「超自我」や「アメリカ的正義」、そして、スピノザ的「光学的効果」について、新しいスレッドで展開していただけることを強く期待しています。
>しかしなにか引っかかります。なんだか判らない位の「微細な差異」なのではないか..
あっしら:「私は、資本主義=「近代経済システム」は、「重商主義+中央銀行制度+(賃金奴隷に依拠した)機械制大工場」という特性で語れると思っています。」
>というのは多分に「実体主義」的ではないのかと言う点かもしれません。
「近代経済システム」は「国際金融家=国際商人が貨幣的富を極大化するために構築したもの」と言ってしまうのは、あまりにも、と思ったのでイメージしやすい制度的実体を取り上げたとご理解ください。
近代資本主義が利潤獲得を動因とし、「利潤の真の源泉が外部共同体(国家)から貨幣的富を余剰として得ることにある」のなら、重商主義こそが近代資本主義の奥義です。
マルクス主義も近代経済学も、この奥義を理解していない(さらさない)ために、私に言わせれば奇妙な言説に行き着くことになっています。
中央銀行制度を取り上げたのは、貨幣発行権の“私的化”と「信用創造的貸し出し」を始源とした貨幣流通が、国際金融家に世界制覇の基礎的な“力”を与えているとの認識があるからです。
(それまでの貨幣発行権が国家支配者にあり、貨幣流通が国家支配者の“消費(購買)活動”を始源としていた。この差異がもたらす国家社会の在り様に及ぼす変化を軽視している現状への“怨み辛み”でもあります(笑))
「重商主義時代にはすでに株式会社、保険制度(貿易船の沈没、海賊行為に対する)約束手形など巨大な「信用の体系」が形成されていたわけですが、それを中央銀行「制度」と括れるか?」という疑義は、それらは古代オリエントにおいてすでにほとんどが制度化されており、重商主義としても近代資本主義の特性としてもことさら考慮する必要はないと思っています。
(「思考に雑念をもたらすフリルは捨象しろ!」です(笑))
岩井克人氏の「経済学は市場(交換)と貨幣が成立してからの世界を扱う。その前提を問うことは経済学者のタブー」は正しい認識だと思います。
もっと言えば、経済学は、「社会的分業と貨幣経済が普遍化した世界」を対象とする学であり、「近代経済システム」が生きている世界(諸国家社会)でしか成立しないものです。
賃金奴隷に依拠した機械制大工場の隆盛とそれが引き起こすサービス産業の拡大が、社会的分業と貨幣経済の普遍化動因です。
(社会的分業すなわち貨幣を媒介とした交換から身を遠ざけることもできる自営農民がはびこっている限り、「近代経済システム」は中途半端なものでしかありません。モデルとして、自営農民・自営資本家(家族経営企業)・自営銀行家のみで構成される「近代経済システム」を考えることはできますが、“強制力”(奴隷は生きていくために誰かのもとで働かなければならないという)がない、言い換えれば、“自発的欲求性”に依拠しなければならないので、
重商主義+中央銀行制度+賃金奴隷大工場制に「近代国家」も加えたかったのですが、重商主義や中央銀行制度の推進力や保証力として考えればいいと思い捨象しました。
>だから『資本論』が理論的に「破綻」するのは「確信犯的」に外部性(歴史、物神と
>しての貨幣)を繰り返し導入するからであるし、大塚久雄もそのことに触れているわ
>けです。
『資本論』の理論的「破綻」要因は、剰余価値説にあると思っています。
(マルクス自身も、それがまやかしだと思っていたと勝手に推測しています(笑))
>こうやって書いて来てあっしらさんとの「微細な差異」がすこし判った気がします。
>あっしらさんは表象(イデオロギー)批判であり私は「物語批判」ではないかと言う
>ことです。いきなり「勝負球」を放ってしまいますが「世界には意味も目的もない」
>ということです。ついでに釣り球を投げれば「人間は歴史をつくる、ただし思った通
>りにではない」ですが、こういう言説は人を不安にするので「好まれません」が。
「“外的”世界には意味も目的もない」が、「人やその有機的結合である関係的活動主体は意味や目的を見つける」と考えています。
「人やその有機的結合である関係的活動主体が生きることそのものが歴史であり、他者や外的世界から受ける規定のために、思ったとおりには生きれないこともある」。
他者関係的・対象活動的に少しでも思ったとおりに生きたいのなら、合理的な認識力や他者との相互批判活動が必要である、そして、それを理解しているのなら、断念を含み理性的には思ったとおりに生きられる(すなわち思ったとおりに歴史が刻まれていく)とも思っています。
(欲望をみなぎらせた人には「過酷な楽観主義」になります(笑):その前提には「支配―被支配の関係構造」の解消があります)
>「脳内麻薬出っぱなし」でかなりデタラメなことを書いたのは承知しています。
>展開の都合であっしらさんの引用は前後していますが内容は変更していないつもりで
>す。もしご不快であればお詫びします。
デタラメなんてとんでもない、バルタン星人さんならではの刺激的で有用な考察をいただき感謝しております。
他の考察にも刺激や興味を覚えたのですが、前回の路線変更に従って以降に持ち越すことにしました。
バルタン星人さんの思考流儀に従って、私が書いたものは“脱構築”していただいていっこうに構いません。そうほうが、かえって、実りのあるやり取りになるとも思っています。