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(回答先: 国民経済主義の時代は、悩ましく・もどかしいもののような気がしてきました 投稿者 最大多数の最大幸福 日時 2004 年 6 月 17 日 00:51:32)
最大多数の最大幸福さん、どうもです。
【最大多数の最大幸福さん】
「本当に、このような段階を経ない限り、「開かれた地域共同体」社会に到達できないのでしょうか?
わたしは、せっかちな性格ゆえ、そのようなもどかしい時代は省略して、一気呵成に理想に辿り着けないものかと考えてしまいます。「利潤なき経済社会」は、将来的に不可避な”絶対的な事実”なのですから。
将来的には、絶対なくなってしまう”利益””利潤”のために働くことほど、バカバカしく無意味なことはありません。」
「開かれた地域共同体」は、すべての人がとは言いませんが、過半の人々が「共同体=個」を理屈ではなく素直な意識として持っていなければならないと思っています。
何より問題は、日本だけが「開かれた地域共同体」に移行することはできないだろうということです。
支配―被支配関係構造は国家間にも存在します。日本だけ単独で“楽園”に行くことは許されないと思ってます。
そうである限り、内実は徐々に変えられるとしても基本的には「近代国家」として日本を存続させざるを得ないという悩ましさがあります。
「将来的には、絶対なくなってしまう”利益””利潤”」というのは少し違います。
誰かが利潤を得るとどこかが凹むというレベルを超えた経済的災厄をもたらすということで、それを厭わなければ利潤を得ることはできます。
「利潤」を獲得する余地がなくなるというより、経済活動を活発化させる“電位差”がなくなると考えたほうがいいと思います。
“電位差”がなくなり経済活動が停滞に陥っているのにそれでも「利潤」を得ようとする連中がいるために、経済がボロボロになっていくという論理です。
【最大多数の最大幸福さん】
「こういう状態を作るためには、どういう手法を取ればいいのでしょうか?
まだまだ、「多くの人々に、現実の動きを規定している論理を理解させること」の段階にとどまっているのでしょうか?」
日本が国民経済主義的政策で大きく姿かたちを変えれば、世界の人々に大きな影響を与えると思っています。
(先進国はどこも経済的苦境にあるので、それは確かです)
国民経済主義はいいものだという認識から、「開かれら地域共同体」まではそれほど遠くない道のりだと思っています。
※ 「嬉々としてTVに出演する人や国士ぶって選挙に出る人はカスだ」と思っているからではありませんが、「陰謀論者」であることなど脛に傷を持つ身ですから選挙に出るつもりはありません(笑)
それはともかく、最大の理由は、「支配―被支配の関係構造」を崩そうと考えている者が支配者の一部に入るなんて“倒錯”に他ならないことにあります。
末席であっても支配者に名を連ねて世の中を変えても、「支配―被支配の関係構造」を突き崩すことにはつながりません。
(最後の最後は、崩す行為者として数だけの存在としての支配者になる人が必要です。しかし、それは数だけの問題ですから、候補者はジャンケンで選んでもかまわないものです。テープカットをする人と同じですから..)
国民経済主義経済政策は、本来的に言えば、「近代経済システム」の合理的な活用ですから官僚でもできることです。
しかし、それでは、「支配―被支配の関係構造」を崩していくことにはつながりません。
それは、代議士や参議院議員が政策を決定するにしても同じことです。
国会議員や官僚にならなくても、政治を動かすことはできると思っています。
(政党をコントロールできる庶民連合体ができれば可能です)
国民経済主義が現実化しても、外交は従来以上にタフな政治テーマとして残ります。
他にも、教育や医療など、被支配者=庶民でありながらそれを否定しようとするのなら、考えなければならないテーマは数多くあります。
経済問題を含めあらゆる政治的テーマできちんとした政策をまとめ上げ、政党にそれを実現させていく積み重ねが、「支配―被支配の関係構造」を崩していくことにつながると思っています。
「支配―被支配の関係構造」の解消は、無名称の人たちだからこそ行えるものです。
(誰かがやったと名が残るようなものでは成功ではありません)