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如往さんこれからもよろしく御願いいたします。
昨日は久方ぶりに渋谷の街を2時間ほど歩いてきました。人・人・人の波でした。ふと目をやると茶髪の青年がスラリトした女性の後を話しかけながら必要に追いかけていました。彼女は男を完全に無視していますがそれでもなお必要に追っていました。男はやがて諦めたのか元の場所に戻りほかの一人歩きの女性を探していました。これが渋谷の街です、ボランティアで防犯をかっている方たちが、人ごみの中を目を凝らしていますが、注意してたのは不法に露天を広げようとしていた若い女性でした。でもこの後ろにも何かの組織があるような感じがしていました。
渋谷の街で注意すること、人波を客観的に眺められる人であるなら危険を避けるころが出来ますが、人が自分を見ていつという目を感じるようでしたら、その人は町に慣れていないということであまりお勧めできる街ではありません。
ここから本論に入ります。
>ご相談ですが、これより先も宮台論を継続する場合は、共通のテキストを基本に進めたいと考えますが、如何でしょうか。その場合は宮台真司著『自由な新世紀・不自由なあなた』を推薦いたします。
あるいは、縄文ビトさんが推薦されるテキストを基に双方の認識を確認するという作業から始めることであっても、些かも異存はありません。なるべく入手可能なものをご推挙いただければありがたいです。
何れを選択することになるのか、縄文ビトさんのお気に召すままに委ねたいと考えていますので、宜しくお願いいたします
私も同感です。出来れば私の本『楢篠賢司』を読んで、そこからの突っ込みでしたらと提案したいのですが、それはさておき別の問題に入ります。
如往さん書き込みを見ていましたので。
>私はローマ法王や天皇もその他の王も少なくとも象徴としての歴史的役割をその多くが既に終えていると見ていますので、国民が国の未来を展望しようとするとき、その存在の様態が如何ほどの根拠となり得るか疑念を覚えています。ですから、これまでにも繰り返して来たように、寧ろ日本(人)はそれらを手放すかあるいは封印して自決・自立の道を探求すべきと考えています。
このレスを拝見させていただいたとき、考え方は私と同じだと考えました。ただ私の場合人間不平等の原因を探るという点から、天皇制に対し階層性というかたちの中で触れておりますが。
如往さんは何ゆえにこれらのシステムに疑念を覚えるのかお聞かせくださればありがたいのですが。ただこの問題では相当にウヨ系の人達の反発を買いますが、ある意味宗教的な方が天皇制を批判するとき、天皇の上に唯一絶対者「神等」を置いたときと考えますが、仏教的であるならばそれを言える宗教はS学会ということになりますが。
もしそうであるとすれば自民党と現在手を組んでいますが将来は衣のしたの爪を出してくるのではないかと畏れますが。
いかがなものでしょうか、ご返事をお待ちいたします。