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そろそろ終わりということで...
http://www.asyura2.com/0403/dispute18/msg/162.html
投稿者 小魚骨 日時 2004 年 6 月 07 日 20:18:57:5fM4yUMte5cr2
 

(回答先: 小魚骨さん議論版で新しいスレッドを立てさせていただきます。 投稿者 縄文ビト 日時 2004 年 6 月 07 日 11:23:38)


縄文ビトさん、こんばんは。

新たなスレッドを立てていただきましたが、人生の残り少なさを自覚しご自身の土俵を大切にしたいと考えられているとのことですので、そろそろやり取りを終息させたいと思っています。

ほとんどまともな対応をされなかったことや、せっかくこうして生きたやり取りができる条件があるのに、死んだもので構成された書籍を読むようにと対応される方とやり取りする意義を維持し続けることはできません。
(死んだ人や生でやり取りできない人もいますから、書かれたもの一般に意味がないと言っているわけではありません)

>>ますます、あなたが「人間とは何か」「人間はいかに生きるべきか」に答え得る人
>>かということで強い疑念を抱いています。

>私自身、自分が完全に答えられるのか、答えたことが真理であると。と、うぬぼれて
>いるわけでもありません。そのことによって阿修羅への書き込みを通し、自己の考え
>が正しいのかどうかの検証もかねているわけです。

あなたの思考力に疑念を提示しているわけでありません。
他の人の言説に対するあなたの扱い方を問題にしたものです。

あなたの言葉を借りると、「阿修羅への書き込みを通し、自己の考えが正しいのかどうかの検証」をしようとしているとは私には思えないということです。


>また中間的な文章は飛ばさせていただきます。

哲学的テーマやあなたが提示された「思想的同一性」などにかかわるものを飛ばしてしまう態度に疑義を感じています。

「どこまで意思疎通ができるか自信はありませんが...」( http://www.asyura2.com/0403/dispute18/msg/147.html )をもう一度読まれてみたらいかがでしょうか。

【小魚骨】
「「人が人を使って利潤を得てもいいという権利、人はそれを誰に貰ったのか」については、


● 「人が人を使って利潤を得てはいけないという制限を、人は誰かに与えられているのか?」

● その権利を超越的な誰かに貰ったのなら、なくせない可能性もあるわけだが、そうだとしたらそのような権利を与えられた人は誰なのか?(「人間とは誰なのか」という問いにもつながる問いです)

● ありきたりの存在者にその権利を貰ったのなら、別のありきたりの存在者によって廃棄される可能性がある権利であり、それなら、どういう条件で別のありきたりの存在者は出現するのか?

● 「宗教家が様々な規制や要求を出しそれを正当化する教義を述べる権利は、誰に貰ったのか」

● 「権利」は、誰かに貰ったり与えられるものか?(法や「法の支配」につながっていく問題です)

なども併せて考察されてみたら如何でしょう。

同種の問いと考察は、プルードンなどアナーキズムにおいてそうとうレベルで行われていたはずです。」

>ここでは申し訳ありませんが切り離して答えさせていただきます。上記質問では考古
>学・歴史・文化人類学等々を使い本の中で説明しております。

せっかくの機会ですから、それぞれについて、簡単な見解を返していただければよかったと思っています。

>>● 親が生んだ子供を手元に置き育てる権利、人はそれを誰に貰ったのか?

>A このことでは人々の合意が得られるのではないですか、得るまでもなく当たり前の
> 行為として人々は誰も文句を言う人もいないと思いますが未来永劫。


近いところでは戦前・戦中の日本やナチス・ドイツの時代には、我が子を国家に捧げることを美徳とする考えが多数派のものでした。(米英なども、ある価値観のために子供を徴兵し戦場に送った、すなわち国策遂行のために子供を捧げさせたのですから同じです)

ボルシェビキ革命後のロシアでは、子供を「社会のもの」として考える価値観が支配層(ボルシェビキ)で優勢になった時期もありました。(“悪しき価値観”を持った親から子供を引き離し“正しい価値観”で育てる意義が真剣に語られていたのです)

古代スパルタでも、市民(非奴隷)の子供は、虚弱な子は打ち捨てられ、並み以上の子は国家機構に養育が委ねられました。

プラトンは「国家」において、支配層における私有財産禁止・婦人や子供の共有を理想国家のあるべき姿として提示しています。

今も日本で制度化されている「公的義務教育」は、親が生んだ子供を手元に置き育てる権利を部分的に奪うものではないのですか?

宗教なのか洗脳なのか強制なのかという手法の問題は別として、「人がなにを好ましいこと・正しいこと・美徳・善と考えるかはそれほど決まりきったことではない」とは思いませんか?

哲学することを自認しているあなたから、「このことでは人々の合意が得られるのではないですか、得るまでもなく当たり前の行為として人々は誰も文句を言う人もいないと思いますが未来永劫。」という答えをいただくと首を傾げざるをえません。


>>● 人が人を使って利潤を得ても、利潤を得る手段として使われる人もそこそこ納
>>得する時代が続いているわけは?

>A そこに私自身が問題提起をしているわけです。歴史の中でどのようなことが行われ
>  てきたのか。そこには人間社会を営んできた中でそのことを問題にしてこなかった
>  だけです。そこから人が人を使って…での人の合意が得られていないということ
> ですが。もし必要でしたら合意を得る努力をしてみてはいかがですか。


「もし必要でしたら合意を得る努力をしてみてはいかがですか」というのは、人が人を使って利潤を得てもいいという合意を得る努力ということでしょうか?
もしそうならば、イデオロギーであるか教育効果であるかは別として、そのような合意は得られていると言えるのではないですか?(あなたが言われる意味での権利の由来は別として...)

>別に人々がそれでも良いというのでしたら、私はそれでも良いのですが。でも確実に
>いえることは人間はある時点から間違った道に入ってしまった。その結果社会を維持
>するために多くの法律を作り、これからも社会の崩壊を食い止めるために数々の法律
>を作らなければなりません。もしくは警察権力を強化して人々を管理下に置かなくて
>は社会を維持することができませんが。


「人間はある時点から間違った道に入ってしまった」という表現は、本来正しい人間社会の在り方があるとか、イデア的な人間社会を想定されていると読み取れます。
著作を読まないままでの問いになりますが、そのような人間社会は、歴史的なものとして存在したものなのか、それとも、あなたの思念によって想定された存在なのですか?

念のため、国家権力(支配層)による管理強化が進むことには合意しており、憂えてもいます。ただ、その対抗策が、「人が人を使って利潤を得てもいいという権利、人はそれを誰に貰ったのか」という命題を掲げることだけとは思っていません。

私は、人が人を使って利潤を得ることを善としこれまでそれなりにうまくいったと考えられている国家社会が、それで今後もうまく成り立つのかという観点から考える方向を選択しています。


あなたが「人間とは誰か?」という問いの無意味性を書き込まれたことが始まりですが、率直に言わせてもらうと、あなたのように責任を果たさない方とのやり取りは気が滅入るものですでこれで終わりにさせていただきます。

他の方の言説にはあれこれ言わずに、持説の普及に全力を尽くされることを期待しております。

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