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ボリュームのあるレスありがとうございました。
>ますます、あなたが「人間とは何か」「人間はいかに生きるべきか」に答え得る人かということで強い疑念を抱いています。
私自身、自分が完全に答えられるのか、答えたことが真理であると。と、うぬぼれているわけでもありません。そのことによって阿修羅への書き込みを通し、自己の考えが正しいのかどうかの検証もかねているわけです。
ある日、最近のことですが楢篠賢司というキーワードでアクセスして見ました。私も知らなかったのですが、ヤフー・Google・goo・の検索サイトで楢篠賢司が出てきました。それが前にも書き込みましたように「人が人を使って利潤を得ても良いという権利、人はそれを誰にもらったのか」それが私が書いた本です、もしよろしかったら読んでください。
そして強い疑念が、弱いぐらいの疑念に変化することを願っています。
また中間的な文章は飛ばさせていただきます。
>【縄文ビトさん】
「今度はカール・ホバーがそんなに進められる本でしたら、読んでみて批判を徹底的にやってみようかと考えますが。私にお勧めの本ですか?。」
>仮想の対話は私の解釈によるものですから論外として、雑談版に転載しているいくつかの言説からご自身でご判断ください。
A 現在プリントをして読んでおりますので今しばらくお待ちください。
最後になりますが、
>「人が人を使って利潤を得てもいいという権利、人はそれを誰に貰ったのか」については、
>● 「人が人を使って利潤を得てはいけないという制限を、人は誰かに与えられているのか?」
>● その権利を超越的な誰かに貰ったのなら、なくせない可能性もあるわけだが、そうだとしたらそのような権利を与えられた人は誰なのか?(「人間とは誰なのか」という問いにもつながる問いです)
>● ありきたりの存在者にその権利を貰ったのなら、別のありきたりの存在者によって廃棄される可能性がある権利であり、それなら、どういう条件で別のありきたりの存在者は出現するのか?
>● 「宗教家が様々な規制や要求を出しそれを正当化する教義を述べる権利は、誰に貰ったのか」
>● 「権利」は、誰かに貰ったり与えられるものか?(法や「法の支配」につながっていく問題です)
>なども併せて考察されてみたら如何でしょう。
>同種の問いと考察は、プルードンなどアナーキズムにおいてそうとうレベルで行われていたはずです。
ここでは申し訳ありませんが切り離して答えさせていただきます。上記質問では考古学・歴史・文化人類学等々を使い本の中で説明しております。
>● 親が生んだ子供を手元に置き育てる権利、人はそれを誰に貰ったのか?
A このことでは人々の合意が得られるのではないですか、得るまでもなく当たり前の 行為として人々は誰も文句を言う人もいないと思いますが未来永劫。
>● 人が人を使って利潤を得ても、利潤を得る手段として使われる人もそこそこ納得する時代が続いているわけは?
A そこに私自身が問題提起をしているわけです。歴史の中でどのようなことが行われ てきたのか。そこには人間社会を営んできた中でそのことを問題にしてこなかった だけです。そこから人が人を使って…での人の合意が得られていないということで すが。もし必要でしたら合意を得る努力をしてみてはいかがですか。
別に人々がそれでも良いというのでしたら、私はそれでも良いのですが。でも確実にいえることは人間はある時点から間違った道に入ってしまった。その結果社会を維持するために多くの法律を作り、これからも社会の崩壊を食い止めるために数々の法律を作らなければなりません。もしくは警察権力を強化して人々を管理下に置かなくては社会を維持することができませんが。
なぜこうなったのかは拙著を読んでいただければいくらか解るかと思いますが。
また別の形で書きますので「宮台氏のこと」カール・ホバー氏とレオ・シュトラウス氏のこと。哲学のこと。これからもよろしく…