現在地 HOME > 掲示板 > 議論17 > 450.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
(回答先: Re: 私見 投稿者 2000/12/31 日時 2004 年 4 月 29 日 13:23:27)
投稿者さん読ませていただきました
論点を私なりにまとめて見ますと
1としては「覚醒」ということになりますが、その前に私が無神論の理由といたしましては、万物の創造主としての「神」を、万物を創造したのは神ではなく自然であるということと、私の死後「魂」となって存在するのかということです。先ほど白亜さんにもメールをいたしましたがデカルトのコギト「我思うゆえに我存在す」を逆に言えば「我思わないゆえに我存在無し)といういとことになるかと思います。つまり「死」によって脳が破壊され、私の存在自体もそこでなくなるということです。ある宗教では「生命は宇宙とともに存在し後でもなければ先でもない」このことを教理の原点にすえていましたが。私が言えることはこの言葉には「個」としての私自身の存在は無いということです。つまり「個別性」が無くなるいうことです。「個別性」を持たせるには「魂」となって存在しなくてはならないということです。
ほとんどの人が自身の死を考えたとき、自己を「死」の側に置き、周りの人が悲しむ姿を想像するのではないでしょうか。「死」の後に魂として存在しなかったときにはそんなことはありえないわけです。つまり脳の破壊とともに一切が無くなるということですから。
これから「覚醒」にはいります。その前に人間はなぜ暗示に弱いのかということです。
「覚醒」イコール自己催眠ではないのですか。自身をある暗示によって隠された能力を呼び覚ます。これはマラソンなりあらゆる運動選手が取っている方法です。つまり自己の隠された能力を出すために自己催眠をかけるわけです。自分の能力がもっと上にあるということをイメージングしていくわけです。
これがなぜ人間の能力の中にあるのかということになりますと。それは生物が進化する原動力になったものだと考えます。
私自身は進化の原動力は他の動物の餌になることから逃れるためと考えています。ガラバコスを見れば他の生物から脅かされないということで進化は止まっています。オーストラリアのコアラなどもその例かと考えます。
現在の社会はあらゆるストレスがあります。でも人間は進化の元となる不安があっても進化することはできません(進化は遺伝子レベルのことですから)そこで残された方法は自己催眠だけということになるようです。
また時間がありましたら残りの書き込みをしたいと考えてますので。