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(回答先: 東京湾横断道路もベクテル 投稿者 HAARP 日時 2004 年 4 月 21 日 17:18:40)
HAARPさん、「ひっそり」スレの続編が、HAARPさんのお目に留まって、嬉しい限りです。
> 個人的には、『(5) ベクテル社が地下に仕掛けた爆薬による誘導地震説:明治以後の日本の大都市直下型の地震の殆どに当てはまるとする説。』がやはり気になります。
私の知人は、流体力学の専門家で、フランス資本の埋蔵資源探査事業にコミットしていますが、ライバル(時にお仲間)がベクテルだそうです。
私としては、関東大震災も阪神大震災も、ともに疑っています。
関東大震災では、後藤新平と鹿島組(後の鹿島建設)が疑われ、関連コメントを下線以下に列挙します。
> 10基以上の原子炉を停止したまま、昨年の夏を乗り切った日本の原子力政策に何の疑問も生まれないところに悪寒がしています。
疑問@ 無くても需要のピークである夏を乗り切れる原子炉は、誰のために作られているのでしょう?
疑問A 原子炉が日本から消えると、誰が、どのように、困るのでしょう?
> そして、ベクテルは東京周辺では原子炉の代わりに「東京湾横断道路」を受注しています。
> この基礎部分に「爆薬」が仕掛けられていたら・・・。わが石原総統も湾岸開発に熱心なようですが、ここにもベクテルは絡んでいるようです。
阪神大震災では、何れもベクテルが関与していた明石大橋と関空が無傷だった一方で、明石大橋の橋脚のある神戸と淡路の古い市街(スクラップ・アンド・ビルド対象?)が震災を蒙りました。
期を同じくして大阪で開催されていた防災会議出席者の米国人達が、地震の翌日には神戸に入り、被災者救援には目もくれず、つぶさに調査して帰ったことも、米軍による広島・長崎の被爆地調査を髣髴とさせるものです。
「爆薬」説では、橋脚から一旦は下へ掘り進み、その後はあらぬ方向(神戸と淡路の古い市街地直下)へ掘り進んで、埋めたことになっています。
掘削の現場で、人足集めをした山口組がいち早く地震予定日を掴み、震災前日までに大量の救援物資が山口組本部に積まれていたというものです。
ベクテルとJVを組む日本のゼネコンおよびその下請け企業の構成の参考資料として、「中部国際空港旅客ターミナルビル新築工事の契約先について」を挙げます。
中部国際空港は、2002年初に着工し2004年9月末完成予定だそうですが、このJVリストを見ても、公共事業で成立している日本経済の一断面をよく表わしており、日本が如何に深く「彼等」に食い込まれているかが分かります。
皆さん、何が起こっても、「毒食わば皿まで」気分なのでは、と想像します。
> また、この会社は去年の世界での「電力危機」を演出し、カルフォルニア州の乗っ取りをシュワルツネッガーを煙幕にして画策したと見ていますが、テスラ・テックともいうべき高エネルギーに関するハイテクを持っているところが最悪です。この分野の技術を使えば「爆薬」などは必要もないと疑ってもいます。
昨年末、イランの古都バムを襲った地震は4万人もの死者を出しましたが、この時、英字紙には、電磁兵器の実験か?という記事があったように思います。
(1) 高野長英の分家筋に当たり、板垣退助の縁で政界に進出した医師、後藤新平は、台湾および満鉄を経て、逓信大臣兼鉄道院総裁となり、国内線路の広軌化を主張するも実現せず、明治の終わりを迎えます。
この間、新平は、台北・西安・奉天・大連などで、欧米流の都市計画を手本に都市インフラを整備しました。
(2) 新平は、大正期に入って内務大臣兼鉄道院総裁となり、東京市長も兼務して東京の全面的な改造(予算8億円/国家予算15億円に対する)を主張するも、「大風呂敷」と仇名されるのみで実現せず、1923年4月には東京市長を辞任しました。
(3) 関東大震災(1923年9月1日)の翌日、新平は、海軍出身の山本権兵衛の第2次内閣の内務大臣に就任、9月29日には帝都復興院総裁兼任となり、帝都復興計画(予算40億)を立案し、議会通過後5億570万円の予算を得て、虎の門事件で内閣総辞職(1923年12月)するまで、その任に当たります。
関東大震災の復旧工事では、鹿島組が活躍しました。
(4) この時代に実現された、内堀通り・靖国通り・昭和通り・永代通り・隅田川橋梁・隅田公園・同潤会アパートは、今に残るものです。
(5) 東京オリンピックの前年(1963年)、鹿島建設は年間受注高世界第一位(1368億円)となり、2年後には三井不動産霞が関ビルに着工しました。
(6) 4年後(1967年)、鹿島建設は東京電力福島原子力発電所に着工し、その5年後(1972年)、鹿島・大成・ベクテルの3社業務協定に調印して、青函トンネルを着工しました。
(7) 後藤新平の遺産を食い潰してきたことの象徴と言われる、昭和通りの緑地と河川を潰して建設された首都高速や、密集市街地の存在が、東大を中心とする都市工学者や土木の専門家に、「平成の後藤新平」待望論を生んでいます。
(8) 一部の都市工学者の間では、「美しく機能的なメガロポリス」構築のために、大都市のスクラップ・アンド・ビルド=大地震が、真顔で語られています。