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(回答先: Re: 「優劣が存在する」という幻想 投稿者 jir ji jimaria 日時 2004 年 5 月 28 日 00:48:36)
jir ji jimariaさんはじめまして。(ジーザスさんとお読みすれば良かったでしょうか)
ご返信して頂き、大変感謝しております。
まずは、申し訳なかったと思うことは、この文章が某掲示板の延長線沿いに書かれたものである為、故に「最初からちょっとへん」と多くの誤解を与えてしまったことをお詫びいたします。
また、下のharuさんの文章を先に書きましたので、議論をさせて頂くにあたってそちらからお読みになって頂ければ幸いです。
さて、根本の問題である「人間(物質)は自分を知る為にこの状況を設定した」と考える経緯につきましては以前阿修羅で書きましたhttp://www.asyura2.com/0403/dispute17/msg/550.html(全体と個の定義)から続く文章が発想のひとつのきっかけであります。興味があればそちらもお読み下さい。
私は、世界は人間(物質)が作った幻想であり、人間(物質)はこの世界を作る前からこれを設定して、この状況の中に生まれてきたものと考えております。
人間(物質)は比較されて初めてその存在価値を見出すものであり、比較されること、つまり自分を知ること感じることを前提としていると感じます。
そして自分を知る為に人間(物質)はありとあらゆる幻想を作り、今でも造り出しております。
しかし幻想を作った以上、それに溺れることも自分を知るという意味においては正解だとは思いますが、自覚がないまま溺れ続けることは、エゴとエゴの衝突が激しさを増し、今、我々は危機的状況すら向かえていると思います。幻覚に溺れすぎて、それすらも自覚できないかもしれません。
我々の言う“進化”とは何か?
私は、幻想であることを自覚し幻想を有意義に利用できるレベルであると考え、最終的には全てがひとつのものであることを思い出すことができるレベルだと考えております。
そして、我々はすべてが幻覚であると自覚し、すべてを“気づき”、自分を知る為にありのままに受け入れることができるレベル。
それを“進化”と定義しております。
進化論は、色々な意見があるでしょう。しかし、これが私の“真実”です。