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(回答先: 『シンドラーのリスト』と『戦場のピアニスト』 ユダヤ人ホロコースト映画はなぜ作られる? 投稿者 TORA 日時 2004 年 6 月 05 日 19:49:29)
はじめまして、こんばんは。たまたま「シンドラーのリスト」見ていました。ずっと以前から一度は観なくちゃいけないな・・・と思っていたので、肩の荷が下りた気分です(笑)。
さて感想ですが、正直なところ感動する所は一つもありませんでした。こんな感覚、私はおかしいのかな?と思いました。アカデミー賞受賞作品だし、なんてったってスピルバーグだし。でも彼の作品は他に「E.T.」しか観ていない私にはスピルバーグの何たるかさえわかってはいないのですが。
何が気に入らないのかじっくり考えてみました。たしかに退屈はさせない映画です。意味のない(と思われる)エピソードが多く徒に時間を引き延ばしている印象も少しあり。が、「戦場のピアニスト」と違って何がつまらないか?と問い直してみると、登場人物の「顔」が見えない、という一言に尽きるのです。人間がいればその数だけ、その「顔」「心」つまり「人格」があるはずなのに、シンドラーは銭ゲバ、ドイツ軍は殺戮者、そしてユダヤ人は単なる「ユダヤ人という集合体」にしか見えないのです。全部観終わって残ったのは虚しさだけ。このような目に遭ってやっと生き残ったはずのイスラエルと米国におけるユダヤ人団体が、現在やっていることといったら一体何なのでしょう。つくづく人間が嫌になり、生きる希望を失いそうです。
「戦場のピアニスト」も似たような筋立てではありますが、主人公のユダヤ人にもドイツ人将校にも「顔」がありました。追い詰められた人間の激しい緊迫感と、それが緩む瞬間も描かれていました。そこに私は「シンドラーのリスト」よりはまだましなヒューマニズムを感じたのですが。
しかしいずれもヴィクトール・フランクルの「夜と霧」の爽やかな読後感の、足元にも及びません。「夜と霧」は、「ユダヤ人ホロコースト」を扱っていながら、TORAさんがご指摘になっているような誇張や神話性がないように思えます。むしろあんなに悲惨な資料とともに書かれているのに、人間を信じる希望を与えてくれました。ユダヤ人が、ドイツ人が、何人が、ということを意識させないで、どんな枠組みを作ろうともどんな階級、属性であっても、けっして良心を失わず心を破壊されずにいられる「人間性」が存在しうることを、高らかに証明してくれているような気がしました。
最後に、私は「ガス室は存在しなかった」という説すら知らなかった不勉強者ですが、ユダヤ人だけが被害者だったとも思わないし、日本は沖縄戦とヒロシマ・ナガサキの被害以外は第二次世界大戦での苦労が他のヨーロッパ諸国(無論ドイツも含みます)とは比較にならないほど、少なかったのではないか・・・と今ひそかに感じています。苦労なしの米国にうまい具合に占領され平和に豊かにしてもらって、これからも米国追従が続くのではないかと憂えております。