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反戦ネットワーク掲示板で面白い、あるいは注目すべきかもしれない議論がなされている。
反戦ネットワーク掲示板
http://awn.ath.cx/bbs.html
交流用掲示板で面白いというか噛み合わない議論が展開。途中、阿修羅の板も引用されてます。
http://awn.ath.cx/cgi/bbs2/light.cgi
[4437] ちょっとしたプラン 投稿者:水際作戦 投稿日:2004/06/03(Thu) 02:40
ちょっとしたプランなのですが叩き台になさってください
参議院選挙が近づくにつれ規模の大小はともかく、スペイン・マドリッド同様に東京でも爆弾テロが起こりそうな雰囲気になってきました。もしそうなった場合には、TVで流れる映像は自主規制され、テロの悲惨さを告げる画像(たとえば
http://www.asyura2.com/0403/war55/msg/828.html
のような)は流れません。そして「テロに屈するな」の絶叫が起き、ナショナリズムが極度に高揚し、選挙では与党大勝利となることでしょう。
それを防ぐ方法がないこともありません。
首都圏在住の人で、テロ発生時に運良く時間の都合が付く人はカメラ付き携帯電話を持参で現場に急行し、立ち入り禁止地域ギリギリまで接近し、現場の画像を撮影し、できればEメールで現場のありのままを文章にして、そのときに都合よくパソコンの前にいる人に送信する。
画像の撮影と送信はバッテリーをすごく消費するので、あらかじめダイソーとか東急ハンズとかで乾電池式の小型充電器を買っておき、カバンに常備させておく。
都合よくパソコンの前にいる人は、その画像や文章を自分のブログで公開する。
多数の人が自分のブログで画像を公開すれば、どこかが「検閲」しようとしてもそれは事実上不可能ではないでしょうか。そしてテロの悲惨さが広く日本中に広まる。
どうでしょう。このプラン?
[4447] Re[4437]: ちょっとしたプラン 投稿者:馬鹿げたプランだ 投稿日:2004/06/04(Fri) 00:36
あらかじめ電池を準備だの、運良く時間の都合が付けばだの、
まるで、早くテロが起きないかなあ、決定的瞬間が待ち遠しいなあ、
とでも言いたげですね。
> 爆弾テロが起こりそうな雰囲気になってきました
起こりそうなのに、なかなかテロが起きないからといって、くれぐれもご自分でテロを起こさないようにおねがいします。
だいたい一部の人間以外わざわざグロい画像なんかみたくないでしょ。
写真撮るヒマがあったら被災された人の救助とか避難誘導にあたるべきだろう。
それだけ近くにいるんならさ。
こういう面白半分の野次馬が、災害現場ではどれだけ迷惑な存在か自覚してほしいものだ。
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WIRED NEWSにこんな記事がある
http://hotwired.goo.ne.jp/news/news/culture/story/20030820205.html
大停電の状況も記録した、米国の新トレンド「モブログ」
Elisa Batista and Kari L. Dean
2003年8月19日 2:00am PT 成り立てほやほやの歴史家、ディエゴ・サリナス氏を紹介しよう。
14日の午後4時(米国太平洋標準時)を少し回ったころ、サリナス氏がコンピューターに向かっていたときに、停電は起こった。サリナス氏は、マンハッタンにあるウェブホスティング企業アンパイラ社の技術サポート部門に勤務している。15階にあるオフィスの窓から外を見ると、当惑顔の人々がサリナス氏のほうを見上げていた。
サリナス氏もすぐに、不安に駆られながら通りを埋め尽くしていた人の群れに加わり、徒歩で帰宅しようとした。自宅のあるブルックリンまでは約10キロの道のり。まさに史上最悪の停電だった。米国の中西部および北東部、そしてカナダの一部を襲ったこの停電により影響を被った人は、6000万人に及んだ。
歴史的瞬間に直面していることに気づいたサリナス氏は、カメラ付き携帯電話を取り出し、徒歩で帰宅する人々を撮影して、テキストアメリカ社がサービスを提供するウェブサイトにアップロードした。この日の午後は、サリナス氏も含め多くの人の携帯電話が不通になった(日本語版記事)が、携帯ネットワークのさまざまなチャネルで運営されているウェブアプリケーションは正常に機能していた。
「バッテリーがなくなる前に、どうにか5〜6枚の写真を撮影できた」とサリナス氏は話す。「あの特別な日を忘れることはないだろう。経験したことのない歴史的な出来事だ。友人にせよ、家族にせよ、そのうち誰かがこのことを振り返りたくなったら、写真で示してやることができる」
実はサリナス氏は、歴史を記録したばかりでなく、米国で新しく生まれたトレンド――カメラ付き携帯電話を使用する『モブログ』(moblog)の制作――にも飛び乗ったのだった。モブログとは「モバイル」と「ウェブログ」を合わせた造語で、携帯電話を使って撮影した写真を誰でも投稿できるウェブサイトを指す。
スタイリッシュな携帯電話が出回っているアジアでは、カメラ付き携帯電話はすでに珍しいものでなくなっているが、米国人はまだ試しに使っている程度の段階だ。市場調査会社、米ゼロス・グループ社が18日に発表したレポートによると、カメラ付き携帯電話による写真の伝送を扱う市場は、現在の1030万ドルから、2008年には4億4000万ドルに成長するという。
カメラ付き携帯電話は「この半年ほどで米国でも人気が高まっている」と、米国セルラー通信・インターネット協会(CTIA)はコメントしている。「今回の件は、カメラ付き携帯電話が配信に貢献した初めての大ニュースかもしれない。しかもリアルタイムで伝えたのだ」
正確には、カメラ付き携帯電話のユーザーが大々的に注目を集めたのはこれが初めてではない。今月初め、ニュージャージーに住む15歳の少年が、自分を誘拐しようとした犯人の写真を撮影し、企みを失敗に終わらせた。警察はその日遅く、容疑者を逮捕した。
15日の午後になっても、一部の地域では停電が続いており、少なくとも10人余りの人々が、サリナス氏の写真が掲載されているのと同じウェブサイトに、65枚の写真を投稿していた。このモブログを立ち上げたテキストアメリカ社のショーン・ホニック副社長(営業開発担当)によると、このウェブサイトにはおよそ185のウェブログがリンクされているという。
サリナス氏のほかにカメラ付き携帯電話を用いて停電に関する投稿を行なった人の中には、ジョン・ウェア氏やジョセフ・レフ氏がいた。
「普通、投稿される写真のほとんどは、ペット、本人を撮影したもの、愛車といったものだ」と、ホニック副社長はモブログについて説明する。「その意味で今回のものは斬新だ。停電のモブログはそうした方向に進む最初のステップとなる……つまり出来事やアイディアに焦点を当てさせるのだ」
ただし、ホニック副社長の示す方向性を興味深いと考える人ですら、停電のモブログはどう見てもアマチュアの作品だと思うだろう。携帯電話のカメラの解像度はメガピクセルにも届かず、画像の多くは鮮明さに欠ける。そして被写体――通りを歩いている見知らぬ人、腐った食品のクローズアップ、ロウソク、停電を特集するテレビニュースの画面等々――もさして面白いものではない。
「画期的展開とまで言えるものではなく、その兆しが出てきたという程度にすぎない」と話すのは、『スマート・モブズ:次なる社会革命』(Smart Mobs: The Next Social Revolution)の著者であるハワード・ラインゴールド氏。「(モブログによる)報道は、私がテレビで見たものとさして変わりなかった」
ただしラインゴールド氏によると、携帯電話のカメラが解像度においてデジタルカメラに匹敵するものになり、ビデオのストリーミングも可能になれば、モブログは面白いものになるという。
「もちろん、大きな出来事の後にさまざまなブログを読むと、その日の様子について、一般のネットワーク局では知ることのない、さまざまな個人的な見解を知ることができる」とラインゴールド氏は話す。「おびただしい数の目撃証拠が得られるわけだ」
投稿を行なうアマチュア写真家側から言うと、自分が歴史を体験した証明を手にするのだとサリナス氏は語る。
「(写真を見た)友人は皆、コメントを残し、顛末を知りたがった」とサリナス氏は言う。「みんな、そんなことが実際に起こるなんて信じられなかったんだ。友人たちは『写真を撮影してくれてよかった』と言ってくれた」
「そこがいちばん素晴らしいところなんだ。友人たちが私の目を通して体験できたのだから」
[日本語版:多々良和臣/小林理子]
http://hotwired.goo.ne.jp/news/news/culture/story/20010913206.html
米国同時テロ:主流メディアよりも有用だったネット情報
Leander Kahney
2001年9月12日 12:45pm PDT 11日(米国時間)に起こった同時多発テロの情報を得るのに、ウェブは役に立たなかったという批判が多く聞かれる。
たくさんの人々がテレビの前に釘付けになっていた日、ネットからはテレビのような詳しい情報が得られない、という不満が広まった。
具体的には、『CNN』、『ニューヨーク・タイムズ』、『BBC』など大きなニュースサイトには、トラフィックが多すぎてほとんど接続できないという不満だ。そのうえ、新聞系のサイトやポータルから得られるのは、通信社のニュースだけだったというのだ。
しかし、使いようによっては、ネットは非常に役立った。どこのページを見ればよいのかという問題だったのだ。
テロ攻撃の直後から、各種のコミュニティー・ウェブサイト、ディスカッション・グループ、メーリングリストには、攻撃に関する情報が溢れはじめた。
従来型のニュースサイトにはたいした情報が掲載されなかった一方で、『スラッシュドット』、『スクリプティング・ニュース』などのサイトには、あらゆる種類の情報が集まってきた。現場の目撃談や、行方不明の友人や親族の情報を求める不安に満ちた声などだ。
事件に関する情報は、ニュースサイトばかりでなく、音楽関係のメーリングリストや、コンピューターゲーム『Diablo』に関するディスカッション・グループなど、各種さまざまなフォーラムにも掲載された。
デイブ・ワイナー氏のスクリプティング・ニュースは、とくに際立っていた。
各ニュースサイトが情報を載せようとやっきになっていたなかで、ウェブログのスクリプティング・ニュースにはたくさんの情報へのリンクが提供されており、事件が起こった日の午前には、最新ニュースを見るにはここがいちばんという状態になっていた。
「ウェブには、たくさんの人たちが情報を提供しようとしている」とワイナー氏は11日にサイトに書いている。「従来型のニュースサイトはトラフィックが多すぎてアクセスできないし、あまり多くの情報を提供できていないということがわかった段階で、われわれはグループとしてこの状況に素早く適応した。……われわれがマスターしつつあるこの新しいコミュニケーション・メディアには力がある。ウェブは、死んだどころか始まったばかりだ」
こう考えるのはワイナー氏だけではなかった。
世界貿易センタービルの崩壊と国防総省の炎上のようすについて、たくさんのウェブサイトに一般人による写真、ビデオ、音声記録が掲載されはじめたのだ。
ニューヨークに関する良質の文章を集めているウェブログ『ワールドニューヨーク』は、11日の掲載版を、事件に関する一般人の報告へのリンクで満載にした。
この人気のあるウェブログの運営者であるジェイソン・コトキー氏はこう書いている。「危機に直面したとき、人から情報を聞いて、それをまた人に伝えていくことで事態に対処しようとする人間がいる。私はそういうタイプなのだと思う。何もできない人々のために何か役立つことをしていると感じられるのだ」
飛行機がビルに突っ込み、爆発した写真など、この日の映像のなかでもとくに生々しいものの多くは、一般人によって撮影されたものだった。
人工衛星がとらえたテロ攻撃後の画像を提供しているサイトすらあった。破壊された世界貿易センタービルから煙が南に流れているのが見える(写真)。
「一般のニュースはこれまでのところ、評論家たちのおしゃべりばかりに偏っている。一方インターネットは、現実にあったことの話をしてくれる(話し好きな)ニューヨーカーやワシントンDCの住人たちでいっぱいだ」と『ボインボイン』サイトに書いているのは、SF作家のコリー・ドクトロー氏だ。
一方、過負荷状態になった各サイトのトラフィックを緩和しようとして、ミラーサイトが続々と立ち上げられた。たとえば、ジョン・アンホールド氏のサイトは、たくさんのサイトをミラーしている。
一般人のコメントや分析のほうが、テレビで聞かされるものよりずっと優れていたことも多い。
たとえば、シドニー大学の技術者たちは、なぜ世界貿易センタービルが崩壊したかという詳細な説明を掲載した。
ウェブで活躍していたのは、一般人だけではない。助かった人や行方不明の人についてチェックできるリストも素早く掲載された。
11日だけで、『プロディジー』、『ボストン・コープ』、『バイエキスポ・コム』など、少なくとも5つのリストが掲載された。これらはすべて、赤十字やホワイトハウスによるリスト作成よりも早く立ち上げられた。
また、11日に電話回線に障害が起こりはじめたとき、家族や友人の安否を確かめるために頼みの綱となったのは、なんといっても電子メールだったのだ。
[日本語版:合原弘子/岩坂 彰]
http://hotwired.goo.ne.jp/news/news/culture/story/20010918202.html
貴重な情報をネットで発信するアマチュア・ジャーナリストたち
Leander Kahney
2001年9月15日 2:00am PDT コソボにおける紛争は、初めての「インターネット戦争」と広く認知された。
だが、それは幻だった。
11日(米国時間)に米国で発生した同時多発テロの後、本物のインターネット戦争とはどのようなものかが明らかになった。
ユーゴスラビアでは、コンピューターやデジタル通信はごくわずかしか使われていなかった。そのため、コソボにおける衝突は、真のインターネット戦争とはなり得なかったのだ。
だが、ワシントンおよびニューヨークにおけるテロ攻撃では、一般市民がインターネットで非常に優れた報道を数多く行なった。これは、今回の事件に関連して、非常に印象的な事実の1つに挙げられる。
テロ発生後、現場に居合わせた人々から、この悲劇についての個人的体験談や写真、そしてビデオが山のように寄せられた。
そうした一般市民による報道は、プロの報道機関のニュースより時としてアクセスしやすかった(日本語版記事)だけでなく、より強く感情に訴える場合も多かった。
ネットに投稿されたアマチュアによるビデオには、衝撃、恐怖、驚きの気持ちがあふれていて、見ている方も胸苦しくなってくる。音声らしい音声といえば、驚きを表わす罵り言葉だけなのだが、このような感情的な反応は、映像の中の出来事を痛切に感じさせる。
プロの写真家もアマチュア写真家も、この悲劇について多くの迫力溢れる写真を撮影したが、特に身近に感じられ、意外性の高いショット(写真)には、プロ以外の者が撮影したものもあった。
たとえば、星条旗を掲揚する3人の消防士を撮影したありふれた1枚と、塵埃の中から出てきて茫然としている老人を撮影した、心を揺さぶる1枚を比べてみよう。
もちろん、多くのこうしたアマチュア写真家は、実はずぶの素人などではない。彼らはニューヨークでクリエイティブな職業についていたり、メディア関係の仕事をしているプロだったりする。写真家もいれば、デザイナーやライターもいる。
テロ攻撃およびその後の様子に関して書かれた体験談にも、多くの報道にはなかった身近さが感じられた。
たとえば、ウスマン・ファーマンさんの体験談がそれだ。イスラム教徒であるファーマンさんは、世界貿易センタービルの1つの倒壊によって、地面に倒れてしまった。
「私は仰向けに倒れていた。ものすごい煙の波が迫ってきていた。もう200メートルも離れていなかったはずだ。あたりはすでに真っ暗だった」とファーマンさんは記している。「私はいつも、安全を守るアラビア語の祈りが刻まれたペンダントを首にかけている。十字架と同じようなものだ。そのとき、ハシド派のユダヤ教徒が私に近付いてきて、私のペンダントを手に取り、じっと見た。そして、彼は少しの間、そのアラビア語の言葉を声に出して読み上げた」
「そして、次に彼が何と言ったか――私は生涯忘れないだろう。強いブルックリン訛りで彼はこう言った。『兄弟よ、もし嫌でなければ、ガラス片の波が迫っているから、私の腕につかまってください。この地獄から抜け出しましょう』。彼は私が立ち上がるのを支えてくれ、私たちは決して後ろを振り返ることなく、永久とも思われるほど長い間走り続けた」
もし素晴らしいウェブログ――個人の制作したコンテンツの「ポータル」のようなもの――の多くがなかったら、こうした一般の人々による記録の大半にはなかなか手が届かないだろう。少なくとも、見つけにくいはずだ。
『スラッシュドット』『メタフィルター』『スクリプティング・ニュース』『コトキー』『シリコンバレー・コム』など、よく知られているウェブログは、トラフィックをより小規模なサイトに送るという素晴らしい仕事をやってのけた。そうした小規模なサイトの多くが掲載している写真や体験談、意見などは、主要メディアが掲載しているものより優れていた。
『ニューヨーク・タイムズ』紙などは、血に飢えた、戦争を扇動する意見でいっぱいだが、一般市民たちは、オンラインに集い、幅広い考えを表明している。
どのサイトを見るかにもよるが、報復行為に出る前に、自制と調査と熟慮を求める慎重な意見が述べられていた。もちろん、流血を望む声や大言壮語や愚かな考えもたくさん見受けられたが、少なくとも、オンラインには「議論」があった。
「われわれは今、不愉快で、とらえがたい、危険な政治に深く巻き込まれようとしている。そして、一般大衆は、誰がこの一連の出来事の主役なのかすらわかっていない」。エリック・キッドさんは、スクリプティング・ニュースのメールページにこのように書いている。「メディアは人々の傷を突っつきまわすのを止め、わが国のリーダーたちが愚行におよぶのを国民が後押しする前に、人々を啓蒙しはじめるべきだ」
[日本語版:多々良和臣/柳沢圭子]