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(回答先: 『ノモンハン事件の真相』日本軍の強さを恐れたスターリン 反撃していれば日本軍の大勝利で歴史は変わった 投稿者 TORA 日時 2004 年 5 月 20 日 20:57:58)
詳しくは↓あたりに具体的かつ論理的に反証・反論してから述べてほしい。↑みたいな意見は、それこそ「牽強付会」の夜郎自大史観。
・日本側“建前”損害データとソ連側“機密”損害データを比較しても意味がない
http://www.asyura2.com/0401/dispute16/msg/566.html
投稿者 あっしら 日時 2004 年 2 月 28 日 18:53:42:Mo7ApAlflbQ6s
特に注目したいのは、
1.
>石原莞爾氏をはじめとする関東軍や陸軍参謀本部の幕僚たちの「対ソ観」や満州国育成方針、そして、1941年の独ソ戦開始を睨んだ「関東軍大特種演習」の経緯などを考えたとき、当時のソ連の軍事力を直接知る唯一の機会であったノモンハン事件を踏まえた判断であったはずだと思っています。
(勝利していたらあのような判断は出てこないはずです。
の説明はどうするのか?
2.
>ソ連側を見ても、ノモンハン事件当時の司令官であったジューコフ大将が独ソ戦で不利に陥った戦況を建て直すためにモスクワに呼ばれたことからも、ノモンハン事件は、ソ連側優位で終わったはずだと思っています。
ドイツ軍よりも軍事力で劣っていたと判断できる当時の日本軍に敗れた将軍をモスクワに呼ぶことは考えられないことです。
の説明はどうするのか?
大体、元文には重大な矛盾がある。
>3)逆に、三倍に増強された関東軍の反撃が行われたならぱ、ジューコフ軍はハルハ河で敗退し、外蒙に今度こそ全面蜂起の反乱が起り、地球上二番目の社会主義国は、間違いなく崩壊していたであろう。そうなっていれぱ満州の悲劇が起らなかったことはいうまでもなく、日支事変は収束し、したがって日米戦も起らないですんだであろう。ソ連崩壊は、五十年早かったことであろう。実は日支事変で中国の最大の支援者はソ連だったのある。敵を正しく読んでいなかった。
と
>通説では日本はノモンハン事件でソ連の近代化戦力に驚いて北進を諦めて南進政策に変更したとされるが、無敵の関東軍でも大陸奥地での戦闘では勝てないことはわかっていたはずだから北進政策はありえなかった。
は全く両立し得ない。反撃が可能だったら、それこそ「大陸奥地での戦闘で勝てる」ことが分かるのだから、大いに北進するはずであろう。