現在地 HOME > 掲示板 > Ψ空耳の丘Ψ35 > 698.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu71.htm
--------------------------------------------------------------------------------
『ノモンハン事件の真相』日本軍の強さを恐れたスターリン
反撃していれば日本軍の大勝利で歴史は変わった
2004年5月20日 木曜日
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
三島由紀夫研究会。国防研究会「合同」公開講座のお知らせ。
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
ノモンハン事件の真相は依然として闇のなかにあるが、実際の日露両軍の戦闘では、日本が実質的に勝利していた事実が浮かんだ。昨年の講座で好評をいただいた茂木さんに再び、スターリンの謀略とゾルゲとの関係を軸に、日本の政策決定プロセスとノモンハンの関係を追求していただきます。
記
とき 5月19日(水曜日)午後7時(6時半開場)
ところ 高田馬場「大正セントラルホテル」三階 会議室
(JR、地下鉄 高田馬場駅、ロータリー対面)
http://www.taisho-central-hotel.com/
演題 “続・ノモンハン事件の真相”
講師 茂木弘道(評論家)
おひとり 2000円(会員は1500円)。
お問い合わせ (03)3200−2295
◇
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ノモンハン事件の真相 <今こそ事件見直しの時である> 茂木弘道
◆1.事件発生の背景・原因:
1)国境問題:それなりの歴史的背景のある係争地であるが、なぜソ連・外蒙は強引に現状変更を図ってきたのか?(資料1.参照)
2)ソ連外蒙支配の危機:1921年ソ連軍占領以来ほぼ毎年反乱大規模処刑が続いた。主なものとしては;
1930-33:5回の反乱、3万人が参加
1934-35:2回の大反乱で共産主義者800人以上を殺害1万7千の僧侶が処刑される(参考1.)
1937:大粛正。前首相、参謀総長、閣僚以下2万6千人を処刑(総人口80万の4.5%、過去から通算すると6%が処刑される)
3)スターリンの狙い
:・ホロンバイル地区に膨張政策を採ることによって民族意識を煽動
・紛争を口実に大量のソ連軍を進駐させて反乱の可能性を根絶する
・西方の戦争の危機が備えるため、東側の目本に痛打を与えてソ連軍の力を誇示することにより、侵攻をあきらめさせる(南進させる)
・ソ連が国境侵犯軍事行動を起こした(具体的にはスターリン主義者、チョイバノレサンに命じて)のは外蒙支配維持のための死活をかけた国家的な理由からであった。
4)関東軍(特に辻政信)の好戦的・侵略的な方針が、小紛争を拡大した・などという五味川純平・半藤一利ほかの論は、スターリンの潮笑を誘う天下の愚論であろう。「侵さず侵されず」が侵路的方針だと言う彼らの主張は、世界に通用しない痴呆的な妄言である。
◆2.ノモンハン事件の経過:(資料2.資料3.参照。)
◆3.戦果と勝敗:
1)戦死傷者:
戦死 負傷 合計
日本軍 8,741名 8,664名 17,405名
ソ連軍 9,703名 15,952名 25,655名
(ソ連側損害数は「ロシアの記憶」モスクワ軍事出版杜1998より)
・ソ連公式発表は、ソ連死傷計9,284,目本5万2千〜5万5千
・ソ連側の損害は25,655を更に大きく上回っていたと推測できる情報(ソ連側の発言を含め)多数あり(参考2.参照)
・五味川(そして半藤も)昭和41年靖国神杜の慰霊祭を伝える新聞に戦没者数1万8千と出たのを根拠に、実際の戦死者は作為があるので、正確なところは分からない、などといっている。(p.337)不正確なのは新聞報道であり、各部隊の名簿ははっきりしていて、遺族がいるので、細かい間違いは別にしていい加減な数字操作など出来ないのが目本であることを全く無視している。今年も10月5目に「ノモンハン会」による第64周年慰霊祭が行われた。言論の自由がなくどんなウソも政府が「自由」につけるソ連と同列に論じようとしているのは驚くべきことである。もっとも正しくは、同列ではなく、ソ連は正しいことをいっているという前提が、彼らの議論の基調である。
・五味川は、日本軍の損害は書くがソ連軍の損害はほとんど書かない。(たまに触れるときは、「こういう敵損失を累積すると、敵は十倍の兵力を持っていても足りなかったことに一一」など否定的に書くp.146)圧倒的に優秀なソ連軍に日本軍がメタメタにやられたかのような印象を与える書き方である。数も多く圧倒的に優秀なソ連軍が、ではなぜ日本軍の1.5倍もの損害を出したのか、何も説明できない。要するに局部を強調する「ウソ」の一種が五味川小説であるということである。
・張鼓峰事件:ソ連戦死傷5,500、日本1,440/これをソ連軍の大勝利と国内外に宣伝。(五味川も19師団壊滅の危機にソ連の情勢判断のおかげで救われたと書く。P19)
しかしなぜかソ連のノモンハンの宣伝は控めであった。
2)航空機・戦車:
航空機:ソ連機1,673機撃墜爆砕(うち高射砲で180機、戦車で26機、歩兵3機撃墜)
日本側損害;未帰還機77機、大破102機、計172機
*「出動回数50回、延べ300機を越えたが、出動中の全損害は3機で敵戦闘機による撃墜は皆無であった。」(野々垣四郎飛行61戦隊付大尉、ノモンハン・ハルハ河戦争国際シンポにて)
戦車装甲車:'ソ連側800両以上、目本側29両(内修理不能13両)
・目本軍の89式戦車の装甲17ミリはソ連軍の戦車砲で簡単に破壊されたが、89式戦車の57ミリ単身砲ではソ連戦車の装甲を破壊できなかった(五味川P.83):実際は、戦車同士の戦いで、日本軍戦車の被害0、に対して、戦果66。ウソを平気で書く五味川。
・千米以内に入れば日本の速射砲は百発百中だつた(軍曹前田義夫)
*火炎瓶発明者?岡野勝間一等兵:「トラックがソ連戦車に追われた時、荷台のガソリン缶を落したら戦車にあたり燃えました。これがヒントになって火炎瓶が一一。トラックに速射砲も一一」
3)勝敗:
・3倍の兵力を動員した反撃態勢を整えていたにもかかわらず、突如として反撃作戦が禁止されたため、敵のハルハ河右岸占領を許してしまった。(戦争目的に照らせば負けとなる)
・しかし、ノモンハンの日本軍の強さがスターリン、ソ連軍にいかに強烈な印象を与えたかは、ソ連が対日参戦に異常な慎重さを以て臨んだ(3倍の60個師団案では出動せず4倍の80個師団を動員して初めて攻撃)のを見れぱよく分かる。
・ジューコフがミシガン大学のハケット教授や新聞記者と会談したときに「元帥の軍暦の中でどこの戦いが一番苦戦でしたか」と聞かれ即座に「ノモンハンの戦い」と答えたとのことである。(参考2.)
・勝ち戦をわざわざ負けにしてしまったのは、参謀本部、その中心は作戦課長稲田大佐である。ひたすらソ連を刺激しないことに努め、敵基地爆撃を禁止し、手足を縛った揚げ句、「ソ連の統帥の節度は敵ながら見るべきものがある」「もしソ連が戦果拡大をやったならぱ一気にハイラルまで押されていたかも知れない」などと愚かなことをいっている。実際はソ連は大打撃を受け、日本の反撃に恐怖し'ていたのである。.
◆最後に:
1)ノモンパン事件をたいして価値のない土地を争って多大の血を流した愚かな戦と見るのは、大間違い。なぜソ連が、あれほどの戦力を大動員して投入してきたかを考えて初めて正解がでる。地域としても、ソ連軍180万が3方向から満州に侵入して来たときの中心はザバイカル方面軍であり、その発進本拠はハルハ河左岸に置かれていたことをみても戦略的にも重要な地域だったことが分かる。
2)ノモンハン戦ソ連勝利(表面的には)は、中国の反日勢力に強力な精神的支援を与え、日支事変を長引かせることに貢献した。また社会主義の優越性(:日本軍の愚劣さ)の証明として当時からそして現在に至るも有効活用されてきた。五味川はその犠牲者?宣伝マン?
3)逆に、三倍に増強された関東軍の反撃が行われたならぱ、ジューコフ軍はハルハ河で敗退し、外蒙に今度こそ全面蜂起の反乱が起り、地球上二番目の社会主義国は、間違いなく崩壊していたであろう。そうなっていれぱ満州の悲劇が起らなかったことはいうまでもなく、日支事変は収束し、したがって日米戦も起らないですんだであろう。ソ連崩壊は、五十年早かったことであろう。実は日支事変で中国の最大の支援者はソ連だったのある。敵を正しく読んでいなかった。
*反攻計画を全く実現可能性のないものと五味川は随所で述べているが、これはソ連軍の受けた大打撃を少しも知らない無知とソ連軍信仰によるもので根拠ナシ。関東軍の島貫参謀の試算によれぱ、実質戦力3:2.2で十分に勝てる見通しが立つ。だからこ・そ、ジューコフをはじめソ連側は恐れたのである。
4)ノモンハン戦を隠したり、反省しなかったというのは間違いで、大掛かりな事件研究委員会による研究報告が出ている。しかし、最大の間題であるはずの「索敵」の不備のことはほとんど取り上げられていないのは不可解である。またあまたのノモンハン事件論でも、この問題に対して余り関心が払われていないのは、奇妙である。航空戦力が優勢で、制空権を握っていた状況下にありながら敵戦力「大増強」を見逃したのであるから。
5)ノモンハン事件に対して、政府・参謀本部の基本方針は、「不拡大」であった。この方針を公表しているため、ソ連側は「安心して」戦力大量投入を行えたのである。そればかりか、参謀本部は支那事変のさなかであることを理由に(実際は漢口作戦以降は大きな戦闘は行われていなかった)、ソ連を刺激することを極度に恐れ、関東軍の反撃の手足を縛ることに腐心した。これは、二重の意味で間違っている。そもそも支那事変の背後にソ連がいることを認識していない。
そして共産主義国家は、相手が刺激するからどうこうではなく、相手が弱く勝てると見込めば断固として戦力を行使するのである。実際、日本が反撃を手控えているのを良いことに、戦力大増強と日本航空隊を疲弊させる基地爆撃を繰り返し、総攻撃の準備を整えたのであった。北朝鮮を刺激しないことをひたすら心がける日本政府と全く同じ思考を当時の軍中央がしていたことは驚くべきことである。ソ連軍の「節度」を讃える稲田作戦課長のようなソ連認識は、終戦仲介をソ連に依頼するという世紀の愚行へとつながっていったのである。
(私のコメント)
昨日は茂木弘道先生の『ノモンハン事件の真相』の講演会に行ってきました。そこでいただいたパンフレットの一部を紹介します。ノモンハン事件のことについては03年10月3日と04年2月28日に書きましたが、実際に講演会で聞いてみてパンフレットや本を頂戴してきました。戦後における日本の現代史においては共産党系の学者の影響が大きく作用しているようだ。
先日も映画化された篠田監督の「スパイゾルゲ」をDVDで見ましたが、共産党の宣伝映画を見るような印象で、その点をフィルターをかけてみないと映画そのものを真実と見てしまうと誤りだ。それと同じく司馬遼太郎や五味川純平や半籐一利氏らの小説もあくまで小説であり、史実とはかなり異なる部分もあることを念頭において小説として読むべきだ。
日本では「ノモンハン事件」と呼んでいますが規模から言えば明らかに戦争であり、ロシア側では「ハルハ河戦争」と呼んでいる。ノモンハン事件の研究については小説や映画に比べると歴史や戦史の分野ではあまり十分な研究が行われておらず、本などを探してもほとんど見当たらない。だからほとんどの人は司馬氏や半籐氏の小説でノモンハン事件のことを知るのみだろう。
しかし歴史的に見ても戦史的に見てもノモンハン事件は大きな転換点になっており、十分な分析が必要だ。日本側から見るとノモンハンは満州奥地の国境線に過ぎず、そこで大きな戦争を行うには何の意味もなく、大本営から見れば不拡大方針は正しかった。しかしソ連側から見れば満州を通って太平洋への進出路であり、ウラジオストック以南の港を得るには満州を攻略する事は不可欠だった。
日本軍が中国との戦争に引きずり込まれたのも、中国の背後にはソ連共産党が後を引いており、中国を共産化すると同時に日本軍を中国に引きずり込んで日本を疲弊させて共産化することを戦略としていた。それと同時に蒋介石の国民党軍にはアメリカが後を引いており、日本軍は実質的にソ連とアメリカを相手に中国で戦っているようなものだった。
ソ連がノモンハン事件を仕掛けたのは中国へ進出した日本軍への牽制と、ソ連がモンゴルへの軍事支配力を強めるために口実として国境紛争を仕掛ける理由があった。日本軍は中国との戦争で手一杯だったのだから日本から戦争を仕掛ける理由はまったくなく、一個師団しか軍を配置していなかった。
それに対してソ連は5個師団以上の軍隊を派遣してきたのだから狙いは明らかだ。日本軍は極力ソ連を刺激しないような戦法を取らざるを得ず、ソ連側は日本の不拡大方針を知っているから強気でせめて来た。しかしながら数で劣るはずの日本軍は非常に手ごわく、ソ連軍側は多大な被害を被った。日本軍も反撃の戦力を整えたが、ソ連の挑発に乗って戦争を拡大するわけにいかず、日ソ痛み分けの形で事件は終わった。
おそらくノモンハン事件の衝撃がソ連の満州侵略を諦めさせた大きな原因となった。大戦末期にソ連は満州および千島列島を攻めてきたことからも、領土的野心をスターリンは持っており、ノモンハンで抵抗を受けなければ、ポーランドの東半分やバルト三国のように満州はソ連に併合されていただろう。その意味で日本軍の戦闘は戦略的に見て大きな意味があった。
通説では日本はノモンハン事件でソ連の近代化戦力に驚いて北進を諦めて南進政策に変更したとされるが、無敵の関東軍でも大陸奥地での戦闘では勝てないことはわかっていたはずだから北進政策はありえなかった。しかしスターリンは日本軍の強さを恐れてゾルゲからの情報で北進はないと情報を得るまで軍をシベリアから動かすことが出来なかった。
日支事変においてもノモンハンで日本軍が大損害を受けたことで、ソ連や中国側はノモンハンで大勝利したことを宣伝して士気を高める必要があった。もし日本側が大反撃をしてソ連を追い込んでいたらどうなっていただろう。ソ連はポーランドやバルト三国から兵力を引き上げてノモンハンに投入せざるを得なくなっただろう。
戦略的に見て日本軍は朝鮮半島へ進出して以来、大陸奥へ奥へと引きずり込まれる結果となった。マッカーサーですら朝鮮戦争で中国へ爆撃を進言して罷免されましたが、いったん大陸へ手を出すと止め処がなくなるのはどこも変わりがない。だからアメリカがイラクを侵略しましたがそこで止まるはずもなくイランやシリアへ戦争を仕掛けることになるだろう。