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劇的狂気の力(2000年12月中世悪党伝第3部制作現場日誌)
http://www.asyura2.com/0403/bd35/msg/630.html
投稿者 愚民党 日時 2004 年 5 月 14 日 02:34:35:ogcGl0q1DMbpk
 

(回答先: 劇的狂気の力(自作自演の源泉)リンク集 1 投稿者 愚民党 日時 2004 年 5 月 11 日 04:44:32)

2000/12/20 (Wed)  養老の滝で酒を飲む

中世悪党伝 第3部 完結編 入場者数
15/50人、16昼/100人、夜/80人、計230人。
数字は正直でありそこに結果がある。
ようするにわたしは制作として、チケット販売活動ができなかたのであり
そこがいまもって無能ということになる。
■ 2000/12/15 (Fri)  今日の雲


今日から本番。夜3時まで、白石さんと市川さんの事務
所でパンフレットの版下つくり。ここでがんばれるかどうかが
劇団がパンフをお客様に発行できるかの勝負だろう。
校正をしている白石さんをみる。活字を打っている市川さんが
たおれる。なんという重い職人の世界だろう。
それがマックであれ活字をうっている仕事にかわりはない。

矢板で印刷所で働いていた。19歳の頃。
活版印刷の版組、ひとつひとつの活字をピンでひろっていく。
だから活版印刷はある植字工の執念があって美しい。
コンピュ−タも同様である。白石さんはイタリア職人だとおもう。
その厳格さと重さから人々は逃げていく。
なめるなよ、てめえら。なにがプロだ。ふざけるんじゃぁ、ねえ。
おそらく日本でのプロとは厳格な情熱から逃亡する営業である。
一度はわたしみたいに落ちればいい。
ほんとうにてめらの仕事はきもちがよくなるきれいだよ。
だが、それは商品にもならない。
商品とは命がけの飛躍、マルクス資本論の言葉。

制作の仕事とは俳優からスタッフから劇場からお客様から恨みをかう
仕事に他ならない。まさに汚れ役である。なぜか?
冷酷なリアリズム気配があるからだ。

ブッシュが大統領、いよいよ
イギリス・アメリカに銃帝国の終演である。まさに部族戦争の
幕は切っておとされた。獣たちの世紀よ。2030年戦略の崩壊。
■ 2000/12/11 (Mon)  獣たちの21世紀

中世悪党伝
鎌倉駅頭演劇公演チラシ宣伝。夕方5時から、すかさず、監視と管理に人生をかけた
JR職員のおえらがた登場。「ここではびらまきはできませんから」
「それでは警察を呼べ」
かれはわたしのびらくばりをみている。それにしてもひま人だ。
それで高いギャラがもらえるのだから、うらやましい。
とうとう制服警官がくる。
「神奈川警察に問い合わせろ、おれの名はつかはらかつみ」
バスタ−ミナルまでひきさがる。
もどる。「JRのあんちゃんよぉ、おまえらの会社もだいぶ、
陰謀集団の革マルにくわれているらしいな」
「おおきな声をだすなよ」と警官。「道路許可証をもっているのか」
「なんだ、宣伝はできないということか、日本国憲法の表現の自由を
おまえら警官は犯すつもりか」いろいろ言い合いをする。
論争とは詭弁であるから争点をかわしていけばよい。
これも俳優修行である。
鎌倉駅は中央にバスに乗る歩道があり、それが八幡どおりへと続いている。
そこで6時までびらくばり。警官と鉄道反革命はなにも言ってこない。
どうやらJR東日本が革マルによって侵食されているのは本当らしい。
論争とは争点を瞬時に移し変えながら、敵のいたいところを突く。
これが詭弁論理展開である。

84年の頃・川崎では毎日曜日、銀龍街という商店街で情宣をやり、
そのつど制服警官とやりあった。商人が警察を呼ぶのである。
とうとう警官がこなくなった。牛のよだれをたらすあきない商人が
あきらめたのである。

85年では横浜駅が攻防戦になった。鉄道反革命職員がくる、右翼がくる。
そしてまわりには、お客さんがとりかこむ。そのときわたしは表の
指揮者であった。指導部から警官と攻防戦をやっても署名活動ができない、
情宣の目的はオルグ対象者の発掘であるから、と批判された。
わたしが鉄道職員と警官との攻防戦それを見守る300人の観客、その
おまつりの興奮を楽しんでいたことを、指導部は怜悧に分析していたの
である。

自転車で北鎌倉駅まで移動、8時までびらくばり。
今度も鉄道職員幹部の登場。
「ここはJRの敷地だ、宣伝はできないことになっている、7時02分
警告、おおきな声をだしたな7時03分警告」
ここでもたんかをきる。「おれは革命運動をやっていた、つかはらかつみ
だ、いますぐ神奈川県警に電話をしろ」そして道路までひきさがり
びらくばり。けんかというのは、おしてばかりいてはだめである。
ひきながら相手に恫喝をあたえるのが有効である。
しかし90年10月から11月、全国指名手配で逮捕された翌日と
処分保留で伊勢崎署からでたときも、新聞に過激政治犯として名前が載った
ことは、相手への恫喝になる。

なんといっても、わたしが大人のケンカを学んだのは、
山谷・釜が崎・寿町・全国日雇労働運動での現場・行政闘争であった。
ケンカというものは相手の逃げ道も用意しなくてはならない。
全部ふさいで追い詰めてしまうと、こちらがケガをする。
人間は獣だからである。

アメリカusaその階級が固定された民主主義なるものの解体を促進する
ブッシュとゴア陣営。待っているのは獣たちの呼び声であろう。

電車で知性ある老人に「21世紀は獣の季節ですね」と声をかける。
老人はうなずく。うつむいて、ぼそりと声をだす。
「近代ヒュ−マニズムは終わったよ、とうとう・・・」
獣たちの21世紀がやってくる。

日本は現人神重信房子の獄中の部屋の沈黙に回収されようとして。

世界は過激な獣たちの混乱によって、再度、人間は、規範を形成
するのだろうか?20世紀の原点とはなんであったのだろうか?
さて、これから革命的マスタ−ベ−ションをしてから寝ようかとおもう。
明日は仕込だ。獣たちがやってくるから劇場もたいへんだと思う。


■ 2000/12/11 (Mon)  酒はのめのめ黒田節


ひたすら酒を飲む。
いよいよ仕込みが近づいてきた。興奮する。
なんとか今日、市民会館は2回払いで話しをまとめてくる。
職員さまから「お客が入らなかった場合、本当に払えるのですか?」
と質問される。いよいよ社会的に貧乏劇団を認知されることは
うれしい。だいじゅうぶ、マイフレンド。
しかし、わたしも交渉のしかたが、おとなしくなってきた。
払えなかった場合の覚悟はできている。
社会問題化すればよいのだ。きんたいろうであろう。
しかし演劇は場数だと思う。
斎藤厳が仕上げてきた。桐淵の武士演劇もなかなかである。
結局、どう背負うかである。それが観客に重みをもって伝わる。
制作の仕事とは伝説を形成することにある。
今日も昼12時から藤沢駅でチラシまき。
これがわたしの俳優修行である。瞬時にお客を観察する。
お客の手がチラシを受け取るのか拒否するのか、
予測しながらびらくばりは楽しい。
17歳から47歳。30年間びらまきを職業としてやってきたのである。
80年代の革命戦争時では私服刑事の尾行
ウオッチというガサイレに対抗するルポ-都市の観察が日常だった。
ふざけるんじゃぁ、ないよ、あなたさま。
86年3月皇居にぶちこんだ年には右翼の襲撃から本部を防衛する
長期防衛をつとめてまいりました。わたしが急に神奈川から消えたので
神奈川県警が写真をもって、本部周辺を聞きこみ姿をながめていました。
あれは楽しかった。
おそらく人間とゆうのは獣だから、ぎりぎりのときに力をだすのだろう。
金がないかわらこじきが演劇を立ち上げるふとどきな行動を、
市民社会は阻止することができない。
なぜか?
国際問題に発展するからであろう。寺山修司が微笑んでいる。
われはしくしくと否決をめざす。
冷酷なリアリズムにまみれていくのだ。わたしは
きたない悪臭をかなでる20世紀のサビた晩鐘だった。
森瑶子「ベットのおとぎばなし」を読む。ひたすら酒を飲む。黒田節。

■ 2000/12/10 (Sun)  大船駅に降りる。


いとう駅・夜・10時5分発、熱海乗り換え、品川行き最終。
9時ごろ作業がどうにか終え、真嶋工場で夕食をごちそうになる。
桐淵君、鎌野さん、わたしの3人で、今日は作業。
昨夜は桐淵君と激論になる。日本酒のせいか・・・
真嶋さんともいろいろ話しができた。

真嶋さんは読書家であり、マック党コンピュ−タのマニアックである。
10台はもっている。
犬は母親のエリちゃんと息子のクロちゃん。
真嶋さんがトラックで家を離れるときは疾走し追いかけてくる。
荷台からみて感動したのは、9月公演の「おぐり」の装置づくりだった。
あれこそ犬だと実感した。

それにしても演劇とはなんであろうかと想う。
矛盾につぐ矛盾、日々、貨幣との対話。
確かに反経済マイナス生活経済の究極の仕事ではあるが、おもしろい。
河原乞食に落下するのなら、お客から入場料をとらないほうがいいと、
思う。スッタフ・劇場費・と消え、後は赤字のてんまつ。
なぜかくやしい。こんちくしょうと思う。まぁ、しょうがねえだろう。
16日以降は、八百屋から米もかりられるし、
正月は生き延びられるだろう。
ほとんど、やくざの気分になる。銀行強盗、詐欺、野菜市場からの
かっぱらい。やつらはボ−ナスの季節。うかれていろ。
すさんでくる。これが演劇の興奮と幻滅である。
はったりをかまさなくては、悪臭にもならない。
松竹をこんちくしょうというのは芸能人の決まり文句だ。

藤沢市民会館は毎日、かかった料金を払わなくてはならないシステム。
払えないから、いまから土下座の練習をしておこう。
市長室へ行って土下座をしてくるつもりである。
迫力なら負けない。わたしは小学1年で、みしらぬ家へノ−ト代を
めぐんでもらいにいった生粋の河原乞食である。
そのために出演しなかったのだ。ざまあみろ。
今回は、支払いをめぐるロビ−制作が最大の攻防戦であることを
動物的本能で読んでいた。メジャ−とは違います、ちくしょう。
まぁ、河原乞食でも今年は自主公演4回である。
幕は必ずあくだろう。いよいよ、やくざ集団がのりこむのだ。

いとう駅から最終電車にのった、わたしと桐淵君は
ほとんど、やくざであった。どちらもあらあらしい
北関東の砂埃舞う冬の乾いた風が似合う、渡世人。
わが面を洗う12月。
演劇とはまさに、奈落からいかになる顔を出せるかなのだろう、革命演劇の
声、そこにあなたは子宮をひらく。大船駅につく。
大船観音様のエロスに勃起する、わたしの悪臭は獣のにおいだった。
遊行舎とは演劇がまた再び日常に回収されるのでなく、
非日常を生活として成立させるかにある。ゆえに獣。
■ 2000/12/08 (Fri)  自転車で行く。


12/07
pm2時、藤沢市民会館舞台部・荻原さんとの打ち合わせ。
みると手にあかぎれである。職人である。
舞台監督の桐淵君が舞台図を広げ説明、わたしと、舞台監督助手の鎌野さんが
ひかえる。
その後、
自転車で鎌倉腰越まで鎌倉市民劇場の水島さん宅まで刀とり。
小道具をかしてもらうのである。腰越から鎌倉公民館分館まで海沿いに
走る。なぎがたな、よろい、その他を倉庫からかりる。25年前、
鎌倉市民劇場が修善寺物語をやった小道具である。
タクシ−を分館の守衛であるだんなさんに呼んでもらい、
鵠沼海岸の白石先生宅まで運ぶ。
PM6時、鎌倉芸術館搬入口へ。
てんびん座、バラシの手伝い。すかさず団長のふるやさんが
招待券をわたしてくれる。「塚原さん、これで入って」
井上ひさし作・キネマの天地、いい作品だ。
大浦みずきを想いだす。
「無名の役者にとってスタ−共演できる、これが最大幸福だ」
ちくしょう、大浦みずきに会いたい。
明日は午前11時伊豆いとうえきにまちあわせ。
大道具の真嶋工場で舞台装置つくり。
てんびん座は平日にかかわらず450人、観客動員。主体を感じる。
わたしの10年戦略。10年をかけて新人舞台人を育てるのだ。
それを「レミング」で学んだ。
元天上桟敷軍団、万有軍団、アロック軍団、そこに個人に体現された
宝塚軍団、まさに組織人である。しかしわたしも革命軍団の経験があった。
ゆえに学んだ。
てごたえがある。労働と生活に闘争している女性に支持されているという
てごたえがある。その意味で鎌倉の劇団てんびん座におりこみが入った
という内容は大きい。500枚のおりこみのために仕込みとバラシを
手伝う。実践と現場はすでに破綻している近代合理主義者の言語外部。
芸能とは結果である。わたしはその結果の試練を受ける。
観客動員のカギは「いざ鎌倉」であろう。
鎌倉よ、おまえはいま眠っている。
源義経に敗れた平家の将軍「みるべきものは、みる」
光景を感受するためには自転車があっている。周恩来の言葉である。


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■ 2000/12/07 (Thu)  野に叫ぶ人々


赤羽花柳稽古場から京浜東北線へ。
制作の宮下が強くなった。うれしい。
版画、野に叫ぶ人々をプレゼントしようとう想う。
田中正造である。栃木県にはリンカ−ンがいた。
民衆の民衆のための民衆への、
いま、ひたすら酒を飲む。大浦みずき。
あのような人とは二度と舞台を踏むことはできないだろう、そう想う。
シ−ザ−さんに感謝する。シ−ザ−さんは美術家である。
その意味で毎日新聞夕刊・美術評論「レミングの壁をめぐる20世紀」
はシ−ザ−さんへの励ましだ。
わたしは大浦みずきに無名のど根性をみせるだろう。
階級の闘争の幕は切って落とされたのだ。
レ・ミゼラブルはいまも日本に存在しているのである。
物語は沈黙の音楽の一寸先にある。
今回、遊行舎は宝塚よりの下層から若き女のど根性をみせる。
それが組織された演劇である。つまり予兆を開示させるのだ。
皇居の帝劇、フランス革命。
土田舎の藤沢、南北天皇分裂演劇、答えは明確。日本の中心は
帝劇でなく、藤沢にある。
つまりわれわれの勝利は、これまで芝居をみたことがない、
人々をどう組織することにある。
わたしはしくしくと否決をめざす。労働し子供を育てる闘争人である、
女性が劇場にやってくるとき
遊行舎のかわらこじき芝居は彼女にロマンスを・・・
離婚した女が再び結婚を決意させる芝居をわれは実現させる、
しくしくと勝利せよ、かわらこじき。
読みとはまさに動物的本能であり、結果とは深夜1時まで
びらまきを貫徹すること。野に叫ぶ人々のロマンスである。
■ 2000/12/05 (Tue)  赤羽稽古場にいく。


先週土曜、兄貴に呼び出される。
アパ−ト管理会社から保証人である兄貴に電話が入ったのである。
管理会社と電話でケンカをする。
わたしは最後にあやまる。結局、自分は信用されていないのが明確に
なる。
日曜、昼、慶応義塾演劇研究会の芝居を、日吉にてみてくる。
今年度小劇場NO1だと思った。本、構成、そして俳優がすばらしかった。
やはりわたしは人間の行方をめぐる近未来演劇が好きなのだ。
新しい才能との出会いは幸福である。演出・制作をやった餅田さんは
5月の「天使のウインク」のとき、受付を手伝ってもらった。
だから、いかないわけにはいかなかった。今、映画は演劇によって
回収されようとしている、演劇の可能性を切り開いた作品だった。
久しぶりに暴力政治演劇を体験させてもらった。俳優のリアルティに
感銘する。「中世悪等傳」が終了したら、感想をアップするつもり。

月曜、赤羽の花柳先生の稽古場にいく。
稽古場をかしてほしいとの要請とかぎを預かりに。
電話で応対してくれたのは、一番弟子のうさぎさんである。
うさぎさんとは、95年錦糸町ホ−ルでの「瓜の涙」で踊ってもらった。
なぜか、赤羽ではなく錦糸町へ行ってしまった。気づいたのは錦糸町駅を
降りてからである。わたしは声をださず笑った。「おれもボケたな」

それから赤羽駅へ。どうにか約束の5時にまにあう。
二番弟子のひとがドアに出でくれてホッとする。彼女とは95年錦糸町ホ−ル
でのバラシが一段落して舞台裏からベランダに出て、タバコをふかしながら
すこし話したことがある。97年3月、博品館での「瓜の涙」では花柳先生
に踊ってもらった。そのときバラシが一段落して、やはりベランダに出て、
下をみながらタバコを吸った。そのときはひとりだった。

今年の1月、阿佐ヶ谷での「瓜の涙」では礼小鳩さんに踊ってもらった。
日本舞踊には花がある。

うさぎさんが稽古をつけている。
「手はぼたんの花をもつように、すこしまるみをおびるの」
手の表現である。わたしが稽古を見学したのはほんの3分であった。
わたしが自分が悪臭をはなす河原乞食であることを悲しくも自覚している。
あまりいると迷惑であると想い、「ありがとうございました」と礼を言って
おじゃました。その瞬間の稽古からわたしが学んだことは
一生、芸能をつづけ、この道で死んでいこうという静かな決意だった。
赤羽小学校がある路地だった。

うさぎさんからあづかったカギに手を触れる。
そのカギこそわたしの50歳代に向かう人生のキップのように想えた。
電車にのり考える。日本舞踊を来年から学ぼう。
そして、そして10年間をかけて、人材を育てよう。伝統芸能の強さを
実践の現場でくぐりぬけよう。慶応義塾演劇研究会公演「ボレロ」その
テ−マは自己遺伝子と模倣子をめぐる。そこに若いエネルギ−のまばゆい
創造力をみた。

兄貴につきつけられたのは、今後10年の方針を持て、という内容である。
わたしはこのカギを今週土曜日、うさぎさんに返さなくてはならない。
花柳先生は今、アメリカにいっている。

全共闘世代の後からついていった1970年とその後の経験から、わたしが
学んだことは、抒情の裏側のリアリズムである。波の昂揚はたしかに大きな
エネルギ−だったが、リアリズムはなかった。共産党委員長になった人が、
40歳代である理由がそこにある。引き潮にこそ次を準備するリアリズム
がある。明治維新からの近代が瓦解した今、自民党60年安保世代加藤氏の
挫折と全共闘世代の英雄・重信房子の現人神出現で、全共闘世代の人生は
リストラを背景に全面的に問われている。その混迷は深刻だ。全共闘世代
ばかりでなく、われ70年世代が問われている。階級のはざまより。
しかし主体論争は皆無である。思想がこわれているのだ。

わたしは破綻しているが、芸能の道によってすくわれようとしている。
そのカギはあやうく静かに、わたしに問いかける。
おまえの生涯はその手に花をもてるのか?・・・

■ 2000/12/02 (Sat)  駅頭宣伝


今日も宣伝。午前11時、横浜教育文化会館、横浜の劇団
「蒼い樹」1000枚、1000人の動員があるとは、
うらやましい限りだ。出演者は時間があくとロビ−で観客動員の携帯電話をかけている。
制作の人は人は女性だが、やはり
出演者である。いまではあたりまえかもしれない。1000人
動員できるということは1000人動員できるだけの主体が
あるということである。

冷酷だが今回わたしは出演しない。演劇に入ってから9年目に
なる。制作をやりはじめてから5年目になる。その結露をみなくてはならない。
■ 2000/12/01 (Fri)  職業としての河原乞食


深夜11時まで藤沢駅でチラシまき。
サラリ−マンの人々に河原乞食のど根性をみせなければならない。
日曜日、万有引力の小林桂太さんから、いい言葉をもらった。
「観客対応など誰にでもできますよ、制作というのは、もっと突っ込んで
いくのが本物ですよ」突っ込むとは観客動員のために何ができるかである。

9月の「おぐり・てるて」公演では深夜1時まで、チラシを駅でまいた。

宣伝をやっていると、受け取るひとがチケット一枚分3000円にみえて
くる。

元天上桟敷の藤原薫さんからも言われたことがある。
「おりこみなどではお客はこない、宣伝の原則は手渡しだよ、つかちゃん」
なるほど、そのとおりだ。

こうして、ひとりでも駅頭でチラシまきが貫徹できるのは、革命運動の
経験が生きているのだと思う。だから現場に今でもたてるのだろう。

横浜寿日雇労働者組合運動では朝4時から、ビラをひとりで配った。
港へ働きに行く労働者は朝が早い。

18歳のときは、夜、孔版印刷のガリをきって、朝6時に印刷、そのまま
工場の入り口でビラ配り。
そのようなことを思い出し、「中世悪党傳」のチラシを配る。
職業としての河原乞食である。


■ 2000/11/25 (Sat)  奈落から空にむかう落葉樹をみる


22日水曜から今日で3日間、中目黒ウッディシアタ−
に入る。開演を待つあいだ、となりのカフイ・RAYの野外
テ−ブルで紅茶をのみながら、目黒銀座商店街の人の風景を
楽しむ。今回、客席側に舞台を出したので、キャパは60席
である。舞台は広くて、ロビ−も広く、好きな小劇場である。

公演を見届けながら、やはりわたしのかえるところは、
小劇場であると自覚する。

美術の林いずみさんとは今回で、4回目の仕事である。やはり
才能のある人だ。シンプルに舞台装置を生成した。天舞鑑の
仕事はこれで2回目である。結局、舞踏演劇というコンテンツ
は成立しない。どちらもあいまいになる。今回の泉鏡花世界
「高野聖」はまさに舞踏である。奈良恵美が身体の表現に向かってきたことはうれしい。
彼女は昨年、「小栗判官と照手姫」
と今年5月「天使のウィンク」に、遊行舎公演として出演した。
やはり気にかかるのである。わたしはやはり演劇よりも、
舞踏がすきなのである。元万有引力の中山さんもリリシズム
を出していいる。渡辺さやかさん、伊地知ナナコさん、妖怪
のど根性がみえてうれしい。

舞踏は11/3の境野ひろみ公演でもそうだが、手の表現に
向かっているようなきがする。明日はバラシである。
観客が満員になるとうれしい。

話は変わって、明日は三島由紀夫自決30周年である。
70年から30年が経過した。70年のときわたしは17歳。
敗戦後25年であった。戦争の話は母や父、そして叔母によく
聞かされた。10年前の60年安保闘争にはコンプレックス
があった。60年安保闘争世代に比較して無力な世代であると。
「無関心・無気力・無・・」三無主義と規定されしらけ世代
とマスメディアから攻撃されてきた。

60年安保、50年代、そして敗戦、戦時中の青春像を追体験
するためには、読書と映画しかなかった。現在の若い世代を
みると、彼・彼女たちに世代意識はもはやあらかじめ喪失して
いる。歴史性へ覚醒する志向は弱く、おのれのうちに自己完結
している。基準が壊れたからである。タガがはずれた社会に
育ったので、しかたがないのだろうか?世代が発見できなければ、個人を発見するしかない。
生涯性をかけたど根性を
発見するのである。

しかし、今回の曽我さんの音といい、市ヶ谷さんのあかり
といい、わたしはほれこんでいる。現場こそがテキスト存在
である。かわらこじきはここで生涯、学んでいくしかない。

61歳の60年安保世代自民党加藤氏が、76歳の戦時世代
野中氏に敗北したように、人は、つねに対象化され分析され
いかなるコンテンツをもった中身があるか、みられている。
それが人物なるものだろう。こうした社会的諸関係を裸体
としてあらわすのが、俳優と観客の世界である。劇場とは
舞台とは観客とは何だろう?

わたしは落葉樹のそばで、カフイray(輝く)のテ−ブル
にすわりながら、そのようなことを妄想していた。
昼間と夕方の目黒銀座商店街をいく街の人々、
観客が劇場を発見し地下へ降りていく原光景をながめながら。
なによりも舞台をみる観客は野中氏のように、上流にいた。
源流こそが力であるかのように。

■ 2000/11/22 (Wed)  外ははれ、30年の海


加藤派が敵前逃亡した翌日、重信房子に対する、
全国50ヶ所のがさ入れ、逮捕が政治警察によって
遂行される。公安警察はそのつど政治課程を読みながら
ポイントを稼ぐ。

30年前の11月25日、三島由紀夫が自衛隊市谷駐屯所
で決起する、その後、割腹自殺、同志森田氏に首を切らせる。

当時、わたしはすでに栃木県北反戦青年委員会に参加して
いた。黒磯駅の動労車労組青年部や、青年教師、青年農民
中小企業青年労働者、農協青年労働者が集う、5月の反安保
討論集会が県北反戦委員会主催で大田原商工会館で開催され、
わたしは学生服のまま参加した。勉強になった。

1970年である。その後わたしは県北反戦青年委員会の
事務局長と矢板市の長峰公園や喫茶店で会い討論しながら
急速に政治少年と変貌した。社会党の青年組織である
社会主義青年同盟に加入したのは12月であった。

三島由紀夫の自決は全面的な衝撃だった。わたしたちは誰でも
思想的にどう対応するかひとりひとりが問われた。
当時の高校生にとって、全国的なメディアは深夜ラジオ放送・オ−ルナイト・ニッポンであった。そこで女子高校生の電話
投稿が紹介された。三島が自決した深夜放送。
「とてもこわい時代になる予感におびえています」
その声は三島と同様に、わたしにとって衝撃的だった。
わたしの70年代はその見知らぬ女子高校生の声によって
呪縛されたと云っていい。

三島のしにざまが規定したのはいきざまという内容だった。
生きるそれ自体が醜く卑屈にみえる、そのバランスと対応
しながら70年代の人々は生きてきたかにみえる。
自民党加藤氏と同世代の本多延嘉氏と中原一氏の死は、
三島と同様に70年代の象徴であった。在野である。
野に叫ぶ人々がいる。しかしリアルティの本流の川と嵐は
つねに野にある。30年間の空虚と権威に呪縛された
加藤宏一という人物が現出したのは、まさに現実における
仮想ゲ−ムであった。彼のサ−バ−に50万のアクセスが
こようと、50万は瞬時にひく波である。メディアは波を
感知するが海には無感知である。その思潮としての海の
方向感覚こそが狩猟なのであろう。

池田隼人氏が形成した宏池会その息子が、権威であり、
加藤氏は結局、組織の将軍ではなかった。やはりアメリカusaのブッシュ氏・ゴア氏が帝国の二世政治家であるように
すでに日本においても階級は硬く形成されてしまった。

そこで日本共産党が階級と革命を綱領からはずすのは、皮肉
である。革命と労働者階級は消滅したのだろうか?
70年代日本共産党に指導された日本民主主義青年同盟は
20万人が加盟していた。現在は2万人である。その18万人
は何処へ行ったのだろうか?
日本共産党の地域実践部隊は加藤氏と同世代である。
青年は、もはやいないのだ。

三島自決から30年ぶりに11月にやってきたのは、
「存在と無」であった。多くの10代が絶望する。
その絶望のあとからやってくるのは、三島由紀夫
「鏡子の家」の最後に登場する動物的本能にみちた
どうもうな犬である。犬の飼い主はペル−のフジモリ
大統領でないことは確かであろう。もしかしたら
思潮の海は、海の向こうから29年ぶりに帰ってきた
重信房子かもしれない。もはや男にど根性がないことが
明確になった2000年11月の意味において。

あなたの耳に潮騒が聞こえてくる。あなたは波を知っているが
いまだ海を知らない。海は今日もどうもうな叫びをあげて。
そして地下には野に叫ぶ人々がいる。10代のこころは
限りなく透明に近いブル−に引き寄せられて。

■ 2000/11/21 (Tue)  外は嵐、朝はまだこない


結局、加藤ちゃんは舞台から逃げた。幕があいたのに
主役が欠席では、お笑いにもならない。お笑いの
加藤ちゃんの方が立派なことが証明されてしまった。

自民党の加藤ちゃんはおそらく野中ちゃんから灰色の政治資金
の行方をめぐって恫喝されたのであろう。
それにしても野中ちゃんは戦争を体験したことはある。
おそらく戦場で人を殺してきたのだろう。加藤ちゃんは
なにひとつ戦争を経験しことがなかったことは、今回で
わかった。読みが甘いのである。それに乗せられた山崎
ちゃんも同様だ。やはり野中ちゃんには迫力があったの
であり、「野中さんのセリフには迫力がないですね、もう」
とテレビの記者に語った加藤ちゃんはあまりにもおめでたい
人だった。野中ちゃんは「しくしくと否決をめざす」その
セリフこそリアリティがあり、お客さんは存在感を感じる
だろう。

野中ちゃんは京都、その自宅はあまりにも質素である。
京都は日本共産党の拠点であり、そこで保守反動の旗を
かかげ、たたかってきた人である。勝利のためなら手段は
選ばず、公明党と連盟を組んだ人である。彼の背後には
池田大作先生がいるのだ。そでに最高裁判所判事まで
創価学会員であり、上部構造におけるファッシズムは
進行している。

外は嵐、これで00年としての10年間が決定される
要因が出現した。加藤ちゃんと山崎ちゃんの政治世代は
もろくもつぶされたのである。つまり五十代後半60歳前後
の世代が野中ちゃん70歳代につぶされたのは日本絵画に
おける世界である。

加藤ちゃんはおそらく20世紀型政党の基礎をつくった
レ−ニン組織論を度忘れしたのであろう。
党則に反する反対派は除名があたりまえのクッラカ−
である。政党の原則を野中ちゃんは遂行した。

野中ちゃんはあの小沢ちゃんとの闘争にも打ち勝った
人である。ど根性と背骨の強さが、甘い加藤ちゃんとは
違う。

政治家の加藤ちゃんは本当に総理大臣になれると思って
いたのだろうか?わたしはそんなところには興味がない。

現在、読書しているのは、革マル派に暗殺された革共同・
中核派書記長本多延嘉著作選第4巻とやはり1977年に
革マル派に暗殺された社会党・社青同解放派書記長中原一
著作集第2巻である。この人たちが暗殺されたのは30歳
代後半。現在の加藤ちゃんと同じ世代であった。

権力志向、やがて総理大臣になる日をめざし、自民党で
甘くおいしい生活を営んできた、本職の政治家とは、
いかなる内容であったかが、今回で明らかになった。

外は嵐、まだ朝は来ない。池袋の書店で9月稽古場の帰り
革マル派の思想家黒田寛一「実践と場所」を手に取る。
2000年3月に刊行が開始された。サングラスをかけた
伝説の黒田寛一の写真がパンフレットに載っている。

南北朝動乱・幕末期内戦と暗殺と同様な季節が70年代で
あり80年代であった。そして70年安保闘争の基軸党派
90年代も残ってきた。レ−ニン組織論を日本に実践として
形成してきたからである。

そこからみると、自民党と国会のこっけいな言語ゲ−ムと
そのど根性がないおまつりは、リアリティが剥奪された
幼稚なゲ−ムであった。お客さんが失望するのも無理が
ない。現在のお客さんは動物的生命力に満ちた本物と
出会いたいのである。朝はまだ来ない。街は嵐。


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