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May 05, 2004
イラク人質事件:二人の会見内容について
先月30日、イラク人質事件で最初に被害者になった三人のうち二人の記者会見(弁護士会館と外国特派員協会)から、「自己責任」論、「自作自演」説、警察の聴取について述べた部分についてテキスト化した。(〔〕内は私の補足)
記者会見の録画は、VIDEONEWS BLOGで見られる。また特派員協会で行われた会見の全文テキスト化は、日刊ベリタ(有料)で読める。
「自己責任」論については、二人は次のように明確に話していた。
1. 日本政府や「読売」などのいう「自己責任」論に反論して:
『「自己責任」論という言葉が飛び交っているようですけれども、僕らジャーナリストというのは、危険だからこそ、現場に立って伝えるべきことがあるんではないかという信念をもって、リスクを背負って行動しています。だから、今挙がっている「自己責任」論は、ちょっと僕らに当てはまる言葉ではないと。僕はそう考えます』(郡山さん、弁護士会館)
2. 今回、自己に課せられたと思う責任について:
『僕の考えなんですけれども、自己責任というよりは、自分にとって責任が今回生じたことというのは、今回の体験を、日本の人々に伝える、つまり、イラク戦争の現実とか、そういうものを伝えることだと考えています』(今井さん、弁護士会館)
3. 危機・リスク管理という意味での自己責任について:
『・・・僕自身は、自分でそれなりの戦闘に巻き込まれるとか、拘束されるとか、そういう可能性が全くないと踏んで動いたわけではないので、その結果拘束されてしまったという・・・〔しかし〕後悔はしていません。
〔今後の教訓について〕今回の事件をふまえまして、ちょっと危機管理の甘さというのが若干自分でもあったかなというのがありますけれども、これを生かして、次につなげていこうかなと思っています』(郡山さん、弁護士会館)
郡山さんは「自作自演」説について聞かれると、声を大きくして次のように答えた。
『あれは命令だったと思いますね。「泣いてくれ」「怯えてくれ」〔と犯人グループに言われ〕・・・で、あの状態でですね、否定できますか、皆さん。武器を持っていて、そりゃ「命の保障はする」と言われましたけれども、あの状態でですね、否定はできないと思います。言うことを聞くしかないと思います』(弁護士会館)
日本警察がバグダッドの日本大使館とドバイで三人を事情聴取したことについては、郡山さんは次のように語った。
『細かいことはちょっと言えないんですけれども、かなり疑ってかかっていたと思います。「自作自演」説が出ていたからかもしれないですけど、かなり疑ってかかっていたなという印象はありますね。だから、僕らが「こうでした」と話すと、「こうだったんじゃないの」という切り返しが妙に多かったですね』(弁護士会館)
『在イラク日本大使館で〔聴取を〕受けたときには、僕ら三人ともダメージがあったんで、状況を聞くだけで、質問形式ではなかったんですけれども、ドバイに関しては、「自作自演」説が流れていたからかもしれないですけれども、僕が「こうこうでこうでした」と言っても、「こうじゃなかったの」「ああじゃなかったの」という、かなり先入観を持って質問されていたというか、事情を聞いていたという感じがしましてですね。これは三人が三人とも感じていたことなんですけれども、かなり腹立たしく思いました。僕らは被害者なのか加害者なのか分からない。僕は今回の高遠さんのなかなか立ち直れない理由、精神状態の落ち着かない理由の一つに、僕はそれもあると思います。
〔ドバイで心外な対応をした日本政府関係者の名前を聞かれて〕すみません、実は言いたいのですけれども、僕、名刺も無くしちゃいましたし、名前も覚えていないんですよ。ただ、警視庁から来られたと伺いましたけれども』(特派員協会)
【論評】
冷静に堂々と説明したり質問に答えたりする二人を見て、とりあえずは安心した。あとは高遠さんが早く立ち直ってくれることを願う。
「自己責任」論に関していえば、1については郡山さんの答えたとおりだと私も思うし、2は批判を受けとめた今井さんが自分なりに考えた責任論なのだろう。3の「危機管理の甘さ」については事態が落ち着いてくる今後、まともな議論がなされるに違いない。
二人の回答を聞いた後では、読売新聞の5月1日付に載った、楢崎憲二社会部長による『「自己責任論」は悪者か』という文章がひどく貧困に読める。今井さんと比べてどちらが大人なのかとも思う。
私のもう一つの関心は警察の事情聴取だった。
私は以前の記事で、『もし警察が三人の「狂言」もしくは「自作自演」説を見込んでいるのであれば、その事情聴取がどのようになるかは推して知るべしである』と書いたが、郡山さんの発言は、警察の「自作自演」説に基づく見込み捜査がかなり早期に始まっていたという事実の裏付けになっている。
政府・警察由来の「自作自演」説に対しては、複数の週刊誌から批判が出ている。それらの週刊誌にはなんと「週刊新潮」まで含まれている。
これらの該当箇所は「イラク日本人人質事件・被害者自作自演説疑惑」の「根拠」を検証するページで引用されているので、ここで改めて引用せず、誌名と号だけ列挙する。
・「週刊文春」4月22日号
・「週刊新潮」4月22日号
・「FRIDAY」4月30日号と5月7日号
・「週刊現代」5月1日号
(なお、このサイトでは「週刊金曜日」4月23日号の記事が引用されていない。「週刊現代」が、被害者とその家族の身辺調査を指示したのがアメリカだったという匿名の「警察庁関係者」のコメントをとったのは興味深いが、これにはさらなる裏付けが必要だろう。)
郡山さんらの記者会見後、警察の「先入観」に触れた「記者クラブ」系マスコミもあった(例えば共同通信、西日本新聞)。しかし「自己責任」論について言い訳をした「読売」は、その隣に掲載した二人の会見の記事では警察のことに触れなかった。
ところで、政府や警察にとって、「自作自演」説のおいしいところは一体何だったのだろうか。
三人の名声や社会的影響力を低下させたいだけなら、「自業自得」「税金泥棒」(帰国した三人に対して掲げられたプラカードの言葉)という類で十分だろう。
改正警察法の発動(以前の記事を参照)にはしゃいでいたという見方もできるかもしれないが、あわよくば、それ以上の権力の行使を狙っていたのではないかとも推察される。刑法233条を参照せよ。
http://henkyonews.cocolog-nifty.com/articles/2004/05/post_1.html