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岩見隆夫 サンデー時評:『ル モンド』の批判はあたらない [毎日新聞]
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投稿者 なるほど 日時 2004 年 5 月 03 日 17:42:41:dfhdU2/i2Qkk2
 

(回答先: 国家機密の隠し方 [サンデー毎日] 投稿者 なるほど 日時 2004 年 5 月 01 日 18:02:28)

以前もご紹介したが、『大国フランスの不思議』(01年刊・角川書店)という本を発刊のときから愛読している。著者は産経新聞パリ支局長の山口昌子さんだ。

 山口さんには淡い記憶がある。ちょうど40年前の東京オリンピックのとき、私は選手村の担当記者だったが、慶應大生の山口さんがアルバイトでカメラマンをつとめ、駆け回っていた。私の取材にも同行して、バチバチ撮ってもらったものである。

 この十数年、パリからの山口リポートの彫りの深さには定評があり、読者が多い。私もその一人だ。1994年にはボーン上田国際記者賞を、01年には、フランス共和国から国家功労賞を受賞している。

 ところで、イラクの日本人人質事件で国中が揺れ、例によって、フランスの有力紙『ル モンド』がこれを俎上(そじょう)にのせると、私はすぐに山口さんの本を引っ張りだすことになる。テロとかボランティアに対する日本とフランスの意識ギャップがひどく気になるからだ

 わかりやすい実例がある。同書によると、オウム真理教の大量殺人事件に対して、日本政府が破壊活動防止法の適用を検討した結果、取りやめることを決めたとき、フランスのジョルジュ・フェネシュ検事職業協会会長は、ややあきれ気味に、

「オウムの行為は市民をテロの対象にすることで、明らかに日本国家への破壊活動を行ったテロ活動だから、フランスなら反テロ法が何の困難もなく適用される」

 と断言したそうだ。

 なぜ、こんな違いが出てくるのか。山口さんの説明によると、フランスでは、反テロ法(1985年の極左集団による連続要人テロに対応するには刑法だけでは不十分なことが判明して、翌年制定された)を適用するずっと以前に、当局がなんらかの行動を起こしていたはずだという。

 何人かの人間が集団生活をしていたら、警察はまず不法滞在者の有無をチェックする。フランスの国民は18歳以上、すなわち選挙権を持つと同時に身分証明書の携帯が義務づけられる。外国人の場合は、旅行者を除いて滞在許可書が必要だ。日本の場合は、身分証明書に該当する書類がない。しかも、フランスのように大陸で、外敵の侵入が容易なうえ、ご先祖さまがあちこちに移動する遊牧民族、騎馬民族の場合は、おのずと国家や国民の意識も高まり、危機管理も発達せざるをえない。

◇「自己責任論」は個人の人道支援批判ではない

 一方、日本のように島国であるうえ、天候に左右されやすい農耕民族の場合は、〈待てば海路の日和あり〉(根気よく待てば、好機がおとずれる)で、伝統的にあなたまかせの姿勢にならざるをえない。そこで、山口さんは言う。

〈日本では国家と国民の関係があいまいだ。こうした日本的意識と伝統的風土がオウム事件に集約されたとも言えよう。日本人にとって大事なのは、身分証明書も発行してくれない国家ではなく、名刺を発行してくれる会社だ。

 事実、健康保険や年金(退職金)などは、大ざっぱに言えばフランスでは国家が、日本では会社が面倒をみている。このことと、大半の日本人にとって国家より会社のほうを頼りにし、国家より会社のほうが大事だという事実は無関係ではない。言い換えれば、国家と国民の関係が、会社と国民の関係よりずっと希薄なのだ〉 と。

 なるほど、よくわかる。日本ではテロへの対応が鈍い。国家と国民の関係はあいまいで薄いから、一連の人質騒動も奇妙な道筋をたどってしまう。

 人質の家族が、犯人グループの要求どおり自衛隊を撤退させろ、と声高に迫ったとき、国家と人質(個人)の望ましい関係はほとんど人質や家族側の意識のなかにない。だから、人質の命を救うためには、政府は何でもやれ、活動は続けるなどという無頓着な要求や発言が出てくる。

 しかし、政府と世論の側から、たとえば、

「人に迷惑をかけるのに、十分に注意せずに信念を通す人を称賛すべきだろうか」(4月21日、参院本会議での福田康夫官房長官)

 といった自己責任論が噴き出すと、家族側は一転してただただ頭を下げる姿勢に切り替え、解放された人質は口を閉ざした。このひょう変は、国家と個人の関係を自覚したから、という印象ではなく、〈待てば海路の日和あり〉に通じる島国・農耕民族的反応のような気がする。

 その次には、野党や一部世論から自己責任論に対する疑問が出され、〈海路の日和〉が少しのぞいてくる、といった極めて情緒的な展開になっているのだ。

 さて、『ル モンド』紙の反応である。4月20日付の東京特派員の記事だが、解放された人質の1人が、

「イラクに戻って人道的活動を続けたい」

 と語ったのに、小泉純一郎首相が、

「多くの政府の人たちが寝食を忘れて救出に努力したのに、なおかつそう言うんですかね。自覚を持っていただきたい」

 と発言したことを紹介したあと、次のように書いている。

〈日本人は人道主義に駆り立てられた若者を誇るべきなのに、政府指導者や保守系メディアは解放された人質の無責任さをこき下ろすことにきゅうきゅうとしている〉

 この記事は合点がいかない。背景にはイラク戦争に対する日本とフランスの対応の違いがあるようだが、それは別にしても、自己責任論は個人の人道支援活動を批判しているのではない。

 危険を承知でイラク入りし、人質になると、政府の救出が手ぬるいと責める態度は、身勝手すぎないか、というわかりやすい話である。フランスのシラク大統領だって、同じ状況になれば人質をたしなめるはずだ。活動を続けたいと言うのに、それは結構だ、と応じるはずがない。

 農耕民族の特性は山口さんご指摘のとおりだ。しかし、そのなかでも今回の事件は、日本人が国家と個人の稀薄な関係をまじめに考え直すよすがになった。『ル モンド』紙の批評は気にすることはない。

◇今週のひと言

 死者××人の報道に驚かなくなったことに、驚く。

 2004年4月28日



滅びゆくジャーナリズム「『新聞記者』卒業」/古川利明/99年、第三書館

全く同感の一冊。同じことを感じている記者も結構いるんだな、と思った。すべて事実だし、私が3年という短い期間で体験してきたことと重なる部分がほとんど。八年を記者として過ごしながら、全く染まらずにいた筆者は、真っ当なジャーナリストである。こういう人から見切られてしまうような新聞業界で働いている人たちは、これを読んで恥ずかしくないのだろうか。今の新聞業界で何の疑問も持たずに体制に寄り掛かって人生を送っている人たちは、きっと悔いる時が来る。早く気がついて欲しい。全く、哀れみさえ感じてしまう。(99/10)

---

「東京新聞では年に何度か、テレビの視聴率のように、どこの面がいちばん読まれているかを内々で調査しているのだが、オレがいたときの『TOKYO発』は一面や社会面、さらには老舗の特報面なんかも抜いて、ダントツの一位だった。もちろんオレたち現場の記者にも大きな励みになった。ところが、『TOKYO発』を含めて、東京新聞がこうした都庁の公費不正支出を追及する記事がその後、消えてしまった。それはだいたい1997年の春くらいからなのだが、結論から先に言うと、都庁サイドの意向に配慮する形で、会社が批判記事を『自主規制』してしまったのである。そこにはどうしようもない『営利優先の論理』が働いており、あっさり言ってしまえば、ジャーナリズムの志よりもカネ儲けの方が大事ってことなのだが、まずは、そのへんをあぶりだしながら、『新聞って、いったい何なの?』ということを考えてみようと思う。」

「だから、オレは酒向編集局長宛てに内容証明郵便を送り、残していった記事の掲載を要求した。それからしばらくすると、『明らかな不正は見えないし、掲載するほどのものではない』という山田社会部長名の回答書が自宅に届いた。これを見てびっくりしたのは、『新聞社でもカラ出張はよくやっていることであり、特におかしいとは思わないし、私自身もやったことがあり、良心の呵責はない』と言い切っていることだった。ここまで来ると、驚きを通り越して、あきれて開いた口が塞がらない、といった感じだった。」

「それがなぜ、いったい退社に至ってしまったかといえば、その大阪社会部の軍隊的な体質(というか軍隊そのもの)にうんざりしたからである。…いまは何年入社の人間がデスクになっていて、きゃっぷクラスはそれより4−5年下だとか、キャップの頭越しにデスクに原稿の相談を持ちかけてはならないとかいったふうに、年功序列のヒエラルキーが、そこにいる人間をがっちりと締め付けていた。とにかく、大阪の社会部というところは、毎日新聞に限らず、どこの社も病的なレベルまで事件にのめり込んでいたし、いまでも基本的にはそうだ。『火事でヤキトリが出たみたいだ』『ガンクビ取りにいってくれ』ってことで朝から晩までポケベルピーピー鳴らし倒され、泊まり勤務のときに、夜、火事現場へ行った時なんて気違いキャップが『出火原因がわかるまで社に上がってくるな』ってね。…もうこれは一種のイジメである。自分らが社会部に上がってきたころは、そうやって植えから小突き回されたんだ。『オレも昔はそうだった』という極めてレベルの低いコンプレックスがあるから、その恨みを晴らそうと同じことを繰り返しているだけである。要は体育会の先輩による後輩へのシゴキと同じなのだ。」

「いまでも時折、新聞記者時代を思い起こしたり、昔の仲間と連絡を取ったりすることもあるが、残念ながら現在の新聞社の組織にはもう戻りたいとは思わない。本当に残念なことだが、新聞記者を辞めてせいせいした、よかったというのが偽らざる心境なのだ。…これ以上、あの組織の中にいたら、酸欠による窒息状態からやがては脳死に移行し、日本の大半の新聞記者たちがそうであるように、単なる会社のコマの1つにすぎない『社畜』としての地位に甘んじていたことだろう。この国においては、いまなお出る杭は打たれるし、調和を乱す者は徹底的に嫌われ、ムラ八分に追い込まれたりする。そうした大人社会のゆがみをそのままトレースしたのが、いまの学校現場でのイジメである。」

「確かに社説や一般の記事でも、『年功序列』『終身雇用』という会社第一主義は終わった、などと新聞はさもものごとはわかったような顔をしているが、現実は表向きリベラルで物分りのいいフリをしているにすぎない。それは実際に彼らの行っていること(新聞記事)とやっていること(日々の具体的な行動)の違いに目を向けたら一目瞭然である。両者の間にどれだけの矛盾、乖離が存在し、いかに新聞記者たちが冷戦時代の旧思考に骨の髄までしゃぶり尽くされているかがよくわかる。こうしたインチキぶりを一般の読者はなかなか見抜くことができないのだろうが、その一方でそうしたウソに感づいている人も少しずつではあるが、増えてきているとは思う。」

「いざ、『自分の頭でモノを考えて行動しろ』と言われても、どうやっていいかわからない。ポリーヌ・レアージュの小説『O嬢の物語』の冒頭に『奴隷状態における幸福』というタイトルで描写されているように、それは解放された奴隷たちが何をしていいのかわからず、再び束縛を求めて主人のもとに走ってしまう光景にも似ている。この典型例が、1996年2月に勃発した鎌倉市役所記者室の廃止騒動だろう。これはどういうことかというと、鎌倉市がその年の4月から記者室の提供を廃止し、その代わりに『広報メディアセンター』なるものを設置し、クラブに加盟していないメディアにも部屋を開放して将来的には電話代などの取材実費を利用者負担にする、ということをブチ上げた。音頭を取った竹内謙市長は朝日新聞のOBだから、この記者クラブ制度の弊害を身に染みてわかっているから言い出したのだろうが、そのへんのところを彼はこう言っている。『ニュースの価値判断で『官』、とくに中央官庁に寄りかかり過ぎな面もある。そこに改善の余地があるのではないか。自由に取材してもらうという原則に変わりはない。クラブの幹事社だけでなく、どのメディアが言い出した問題でも、会見などで応じることになる。記者クラブには、構成員だけが情報を独占するという閉鎖性があり、任意の『親睦団体』の枠を超えて、実質的に仕事に絡んでいるという面もある』(96年2月14日付け朝日新聞朝刊)まったく竹内市長の言っている通りである。そして、このコメントを読む限り、彼の狙いは実質的な記者クラブ制度の解体にあった。しかし、地元記者会側は猛反発の声を上げた。ダダをこねたわけである。」

「写真週刊誌『フライデー』の98年5月29日号(5月15日発売)が、国税庁によって毎年公表されている高額納税者番付を、記者クラブで解禁する前にスッパ抜く形で掲載した。新聞報道(98年5月22日付け朝日新聞朝刊)によると、資料の流出先が日経新聞の社会部の記者だったことが社内の調査で判明し、その記者が何と依願退職になっていたことが明るみになった。日経側は『事実上の解雇と受取ってもらって結構』と明言しており、上司の編集局長がけん責、社会部長が減給の処分を受けている。要するに、この記者が処分された最大の理由は、記者クラブの『掟』を破ったからなのである。日経の記者が資料を流したために、新聞の横並び報道が崩れてしまったから、『メンツが潰された』と怒り狂っているだけに過ぎないのである。確かに新聞に出る前に発表資料を日経の社会部記者が知り合いのフリーライターに流したのは、あまり褒められた話ではない。しかし、どうしてそれだけでクビになるのだろうか。それはムラの掟を破った人間は容赦なく粛清するということではないのか。まっとうなジャーナリズムの精神からしたら、まったく逆のことを日経新聞はやっているのである。」

「飲み食いのほかに、物品もよくもらった。地方の市役所の記者クラブなんかにいると、盆暮に地元の企業や百貨店なんかからテレホンカードやら商品券を持ってくるんだ。ポンとクラブの机の上に置いてあるもんだから、テレホンカードなんかは贈ってくれた先も確かめずにそのまま財布の中に放り込んで、取材で使ったりしていた。また、これも毎日の大阪社会部時代の話だが、『青灯』(JR西日本本社内にあり、関西の鉄道会社も管轄している記者クラブ)を通じて、阪急電車の全線乗り放題の無料パスをもらっていた。ほかにも同僚だった記者の話を聞いていると、似たようなケースはボロボロと出てくる。例えば千葉県庁の県政担当記者には、東京ディズニーランドの無料入場券が配られている。でも、こんなのはまだカワイイもんで、本社の経済部の記者なんかは盆暮になると企業からのさばき切れないほどの御中元、御歳暮が届けられる。それを見ながら、『あそこの〇〇はよかった』とか言って、記者同士で『品評会』をやっているのである。」

「一般的にニュースソースの秘匿ってのは、ジャーナリストの生命線といわれているが、それは際どいネタであるがゆえに、情報提供者の氏名が世間に公表されることで、さまざまな危害や圧力にさらされることから守るためであって、とりわけ大きな公権力を持つ大臣や官僚のトップが、こと政治信条や政策を明らかにすることとは明確な一線が引かれてしかるべきだと思う。」

「でも、こういうことをコラムに書くだけでもまだ組織の風通しが少しはいいのかなって気もする。これがもし朝日新聞や読売新聞のように組織の締め付けがチョー厳しいところだと、はみ出し記者が出てくる余地すらないし(特に読売)、逆にこうした退社劇なんか極秘裡のうちにこっそりと始末し、『何もありませんでした。私は何も知りません』で済ませてしまうからだ。」

「若手・中堅記者はだいたい2−3年でいろんな持ち場をたらい回しにされるので、専門知識を磨く余裕などないし、それでもっておおむね40歳になるとデスクに上がってしまい、そのまま取材現場から離れていってしまう。こうした状況はどこの新聞社でもほぼ同じである。…いま、新聞社を見渡してみて、40代、50代の名物記者など皆無に近い。ブンヤ稼業とはおよそ縁のない広告や販売、総務などのデスクワークに回されたり、地方のデスクや支局長を転々と回される人も多い。35歳を過ぎると、だいたい先が見えてくるんだ。」

「1998年の10月から埼玉県庁が記者クラブと同じ発表資料を、ホームページでも一般に公開している。こうした動きはすぐに全国に広がっていくだろうし、それ以上に若い世代を中心に『自己責任』という考え方が、かなりしっかりと根を下ろしてきている。」

「マルクーゼの言った『労働の外にユートピアを求めるな。労働の中にユートピアを求めよ』といったテーゼが、もはやブンヤの世界でも成り立たなくなってきているのだ。『人間疎外』という状況は、じつは新聞記者の世界でも相当、深刻な状況になってきている。だから『腐っている』のは、『醒めていく若い夢』を胸に次々と去っていった若い記者たちじゃなくて、大新聞の看板にしがみつくことしか能のないオヤジ連中の方なのである。しかし、そういう声が会社の中枢にいる連中に届くことはまずないし、いまだに新聞社の幹部連中は『自分たちこそが正しくて、辞めていくヤツらこそが根性が足りない』などと思っている始末だ。自浄作用というものが存在しないのである。」

「だいたい現場の記者で、きちんと自分とこの新聞の社説を読んでいるヤツなどほとんどいないのではないか。…記者同士の間で、『あそこの新聞が社説でこんなこと書いていたなあ』と話題に上ることはまずない。もしかしたら、だれも真面目に読んでないから平然とああしたタテマエ(というか『フィクション』)を書けるんだと勘ぐりたくなる。それくらい、社説で言っていることと、現場の記者が置かれている状況はまったく違う。たとえば社説で『この社会で男女差別をなくさなくてはならない』なんて言っている足元で、厳然とした男女差別は新聞社には存在するし、『過労死に至る日本の労働環境はおかしい』といっているくせに、そこにいる記者たちは目玉を黄色にして、毎晩、夜回りをやらされ、いつ死んでもおかしくないというと確かに言い過ぎではあるが、極めて健康によくない状況に追い込まれている。」

「新聞がいちばんタチ悪いのは、表向きはこうした正義の御旗を振りかざしているため、一般読者にはそこで働いている人たちも『進歩的な発想』を持っている、という幻想を与えてしまっていることなのである。…しかし、自分たちよりも若い世代で、なおかつ賢い人間は、こうしたウソ社会の欺まん性にとっくに気付いている。極端な表現で申し訳ないが、新聞なんてのは、ガス室にユダヤ人を送り込んだルドルフ・ヘスが人権だの人命尊重の大切さを唱えているようなものである。それくらい、『ウチ』と『ソト』での顔が全然、違う。あのバブル崩壊を機に、戦後日本の高度経済成長を支えてきたフィクションが白日のもとにさらけ出されたように、それと同じ状況は新聞の現場でもまったく同じことが言える。」

「新聞社ではどういう人間が重宝されるかといえば、休みの日でも会社(支局や記者クラブなどを含む)に顔を出してきて、デスクやキャップの見ている前で猛烈な勢いでワープロのキーボードを叩いて、原稿を書いているフリをする『いい子ちゃん』ってのが、非常にポイントが高くつく。まあ、どこの新聞社でもいるね。夜遅くまで黙々とワープロの画面に向かっているヤツが。…そういうヤツらの姿をよくよく観察すると、喜怒哀楽を持った人間の顔をしてない。切っても赤い血が出るのかどうかわからないような、爬虫類みたいなのっぺらとした表情なのである。新聞社でははっきり言って、休むことは罪悪視されている。これは毎日新聞でも東京新聞でもまったく同じだったが、いちおう盆暮は長期休暇が取れる(といっても連続して一週間がせいぜいだけど)ことにはなっていたが、その条件としてストック原稿を出さなければならないという『不文律』があった。別に原稿を出さなかったからといって、休みが取れないという明確な規定はどこにもないのだが、もし出さないでいると、後でデスクや部長からネチネチとやられることになる。…原稿を使うとなれば、デスクからの問合せがあったりとか、モニターで出てきた原稿のチェックも必要だし、結局、自宅や出先にいてもどこか仕事の気分から抜けることができない。…新聞社の中で連続して一ヶ月の休みをとろうと思ったら、クビを覚悟しなければならない。そういう職場環境の中で働かされている人間が『過労死に至る日本の社会はおかしい』なんて記事を書いているとなると、もはやブラックユーモアだろう。」

「こうしたなかでいちばん多いのが、『アダルト・チルドレン記者』である。要するに、いつも他人とべたべたくっついてないと不安になってしまう、乳離れしていない人間のことなのだが、こうしたマザコンタイプの人間がなぜか新聞社には多い。」

「こうした時代の流れのなかで、ひとりひとりの読者が、各社横並びの『官報新聞』は取らないようにする、というちょっとした動きを積み重ねていくことで、いずれは大きな山をも突き動かすことになるのではないか。ちなみにオレ自身に関していえば、いまは新聞を取っていない。新聞記者をやっていた自分が言うのも何だが、現在の日本の新聞が、本当に毎月、3千いくらのカネを払うに値する代物だとは到底、思えない。新聞など近所の図書館で眺めれば十分である。」

「どこの新聞社でもそうだが、体制に波風を立ててでも問題提起しようとする人間は、すっかり忌み嫌われてしまっている。だから、上から命じられたことを『ハイハイ』ときちんとこなす『いい子ちゃん』記者こそが求められている。口では『個性』だの何だのってエラそうに言ってるが、そんなもの発揮されたら困るに決まってる。だって、問題の本質が見えた人間の目には、いかに新聞社のバカ幹部どもが何も考えてないかって、もうはっきりしているからだ。」

「本来ならこんなときには、労働組合なんかが立ち上がって、ジャーナリズムとしての責任をまったく放棄している社のトップや編集幹部を追及するのがスジなんだろうけど、新聞社の労組もご多分に漏れずそのほとんどが『労使協調』の御用組合だから、問題提起すらないのである。組合ってのは、賃上げってのももちろん大きな活動目標ではあるけど、それ以上に会社組織に属している賃労働者がまともな環境で、つまり人間らしく働けることを保証するために、そもそもの存在理由があるんじゃないんだっけ?」

「同じ保守主義でも、ド・ゴールの場合は、フランスで生きる人間の自由、独立、そしてプライドを自分たちの手で『守る』ことであった。そのド・ゴールの遺書が、パリの廃兵院の中にある解放博物館にひっそりと展示されているのを、偶然見つけた。…こうして葬儀のこまごまとした指示をした後、最後にこう結んでいる。『私の死に際し、フランス政府、そして外国からも昇進、勲章、栄誉、表彰の一切をあらかじめここに拒否することを宣言する。もしそのうちの1つでも与えられるとするなら、それは私の最後の意志を冒涜するものである』遺書の内容もさることながら、書かれた日付を見てびっくりした。1952年1月16日。一回目に政界を引退して、コロンベイのあの邸宅で大戦回顧録を書いていた時期である。」

http://www5a.biglobe.ne.jp/~NKSUCKS/shinbunkisha.html



“大新聞”はなぜ「盗聴法」に反対しないのか!?1999

文=古川利明(ジャーナリスト、元毎日新聞・前東京新聞記者)

私たち国民のプライバシーが身ぐるみ剥がされる恐れのある盗聴法(通信傍受法)が、“コウモリ”公明党の寝返りによって、6月1日に衆院本会議で可決、参院に送付され、審議が始まろうとしています。この盗聴法案は、ちょっと考えればすぐにわかることなのですが、いちおう盗聴対象を「薬物関連や組織的な殺人に限定する」といった但し書きを申し訳程度に付け加えていますが、その一方で「傍受すべき通信に該当するかどうか判断に必要最小限度の範囲で通信の予備的傍受ができる」とちゃっかり明記してあり、国家権力であるところの“お上”にとっては、“予備的傍受”の名のもとに、盗聴の領域を際限なく拡大することができるわけです。
こんな危険きわまりない法案であれば、反骨精神あふれるジャーナリスト・スピリッツ、とまでいかなくても、人間としてのちょっとした常識があれば、「これはおかしい。こんな法律作られたら困る」という考えが出てきてもよさそうなものですが、“体制擁護紙”「読売」「産経」はともかくとして、とりあえずはリベラルの仮面をかぶっている「朝日」「毎日」「東京」などの各“大新聞”も、まったく無関心というか、反対キャンペーンを張って廃案に持ち込もうとする気概すらありません。これは、いったいどうしてなのでしょうか?

実は私、“大新聞”であるところの毎日、東京両新聞で、この10年あまり社会部系の記者をやっていました。その体験をもとに、結論を先に言いますと、新聞というのは実は奥の奥まで腐っていて、これはいまに始まったことではないのですが、権力と本気で対峙する気概を持つ記者など皆無に近いのが現状なのです。
その実態は、最近上梓した『「新聞記者」卒業――オレがブンヤを二度辞めたワケ』(第三書館)に実名+実例入りで詳しく書いています。新聞記者は社会を変革しようという志を持って日々の仕事に当たっているわけではなく、とりあえずはリベラルのフリをして、時々、批判めいた記事を書いて自己満足に浸っているだけなのです。確かに社説などを読むと、新聞はモノわかりのいいような感じがします(ただし、今回の盗聴法案に関しては、各紙とも“横並び”で腰が引けています)。しかし、実際にその組織の中で行われていることは、あのご立派な社説とは大違いなのです。男女差別は厳然として存在し、セクハラ記者は出世ラインに乗り、上司の意向をうまくこなすゴマ擂り記者が重宝されている、というわけです。つまり、新聞記者の世界は「言っていること」と「やっていること」との間に整合性がまったくないのです。ですから、私のような本音でズケズケと物を言う人間は、組織からはじかれてしまうのです。

社内にいる人間は、こうしたぬるま湯に骨の髄までつかり、“脳死”状態に陥っているために、盗聴法案というおかしな法律が導入されようとしている現実に対して、クリティカルな視点から切り込み、例えば、こうした盗聴法案が現実に施行された場合、どういう形で私たちのプライバシーが侵害されていくかということを記事でシミュレートするとか、という発想すら出てこないのです。「客観報道」「公正中立」の“大義名分”のもとで、「最近は犯罪検挙が難しくなってきているし、“お上”の言っていることも一理あるな」と、理解を示している有り様なわけです。

新聞に何も期待してはいけません。インターネットなどのメディアも駆使しながら、盗聴法案を参院で廃案に追い込むよう、世論を盛り上げましょう。

http://kodansha.cplaza.ne.jp/hottopics/tocho/jijiko/next.html



デジタル・ヘル―サイバー化「監視社会」の闇 古川 利明【著】はじめに
http://www.asyura2.com/0401/it05/msg/412.html
発信箱:超監視社会 [毎日新聞]
http://www.asyura2.com/0403/senkyo3/msg/343.html
第1回口頭弁論 訴えにあたって ジャーナリスト斎藤貴男 [住基ネット差し止め訴訟を支援する会]
http://www.asyura2.com/0401/it05/msg/450.html

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