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※ハザールについては、下のような情報もあります。コピペです。
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●古典的SF小説『タイムマシン』の著者であり、イギリスの社会主義者H・G・ウェルズ(1866〜1946年)は『歴史の輪郭』の中で次のように述べている。
「ハザール人は今日ユダヤ人として偽装している。」
「ユダヤ人の大部分はユダヤ地方(パレスチナ)に決していなかったし、またユダヤ地方から来たのでは決してない。」
●ハーバード大学のローランド・B・ジャクソン教授は、1923年、次のように記している。
「ユダヤ人を区別するのに最も重要な要素は……ハザール人の8世紀におけるユダヤ教への改宗であった。これらのハザール人にあって……私たちは東ヨーロッパのほとんどのユダヤ人の起源を、十中八、九までここに見出すのである。」
●イスラエルのテルアビブ大学でユダヤ史を教えていたA・N・ポリアック教授は、イスラエルが建国される以前の1944年に『ハザリア』という著書を出版し、次のような見解を発表していた。
「……これらの事実から、ハザールのユダヤ人と他のユダヤ・コミュニティの間にあった問題、およびハザール系ユダヤ人がどの程度まで東ヨーロッパのユダヤ人居住地の核となっていたのか、という疑問について、新たに研究していく必要がある。この定住地の子孫――その地にとどまった者、あるいはアメリカやその他に移住した者、イスラエルに行った者――が、現在の世界で“ユダヤ人”と言われる人々の大部分を占めているのだ……」
●自然科学の教科書の翻訳者であり、出版会社から頼まれて本の校正もしていたユダヤ人学者のN・M・ポロック。彼は1966年8月、イスラエル政府に抗議したことがあった。彼はその当時のイスラエル国内の60%以上、西側諸国に住むユダヤ人の90%以上は、何世紀か前にロシアのステップ草原を徘徊していたハザール人の子孫であり、血統的に本当のユダヤ人ではないと言ったのである。
イスラエル政府の高官は、ハザールに関する彼の主張が正しいことを認めたが、後にはその重要な証言をもみ消そうと画策。ポロックは自分の主張を人々に伝えるため、その生涯の全てを費やしたという。
●アメリカの元情報局員コール・ジョン・ビューティは『アメリカを覆う鉄のカーテン』でこう語っている。
「時の経過に伴って、ロシア人を憎みバビロニア・タルムードの下で生活していたこれらのハザール人は、彼らの居住地と教典からロシア系ユダヤ人として知られるようになった。」
●自らアシュケナジー系ユダヤ人であった有名な思想家アーサー・ケストラーは、独自に「東欧ユダヤ人の謎」に挑戦した。彼は若い頃からユダヤ問題に関心を持ち、シオニズム運動に参加し、ロンドン・タイムズのパレスチナ特派員を経て、1957年にはイギリス王立文学会特別会員に選ばれていた。彼は東欧ユダヤ人のルーツを丹念に調べ、1977年に最後の著書として『第13支族』を著した。彼は東欧ユダヤ人のルーツはハザール王国にあると主張した。
ケストラーの『第13支族』が出た当時、世界的に有名な新聞などがこの著書を絶賛してやまなかった。この本は、科学や思想が中心のケストラーの著作としては異色の書で、その内容は世界史の常識・認識を根底から揺さぶるほどの問題作であり、あまりの衝撃ゆえ、翻訳出版を控えた国も出た。1983年3月にケストラーが夫人とともに謎の自殺を遂げた時、当時の新聞の死亡記事に記載された彼の多くの著作リストの中には、この『第13支族』は省かれていた……。
●イスラエル建国以来、一貫して反シオニズムの立場に立つジャーナリスト、アルフレッド・リリアンソール。彼の父方の祖父はアシュケナジー系ユダヤ人で、祖母はスファラディ系ユダヤ人であった。彼はアーサー・ケストラーの本よりも2、3年も早く『イスラエルについて』という本を書き、その中で東欧ユダヤ人のルーツ、すなわちハザール人について以下のように述べている。
「東ヨーロッパ及び西ヨーロッパのユダヤ人たちの正統な先祖は、8世紀に改宗したハザール人たちであり、このことはシオニストたちのイスラエルへの執着を支える一番肝心な柱を損ねかねないため、全力を挙げて暗い秘密として隠され続けて来たのである。」
●宗教・民族に関して数多くの著書を出している、明治大学の有名な越智道雄教授は、ハザールとアシュケナジーム(アシュケナジー系ユダヤ人)について次のように述べている。
「アシュケナジームは、西暦70年のエルサレムの『ソロモン第2神殿』破壊以後、ライン川流域に移住したといい伝えられたが、近年では彼らは7世紀に黒海沿岸に『ハザール王国』を築き、9世紀初めにユダヤ教に改宗したトルコ系人種ハザール人の子孫とされてきている。10世紀半ばにはキエフ・ロシア人の侵攻でボルガ下流のハザール王国首都イティルが滅び、歴史の彼方へ消えていった。彼らこそ、キリスト教とイスラム教に挟撃された改宗ユダヤ教徒だったわけである。
2つの大宗教に呑み込まれずに生き延び、後世ポグロムやホロコーストに遭遇したのが、このアシュケナジームだったとは、ふしぎな因縁である。 〈中略〉 現在、スファラディムが数十万、アシュケナジームが一千万強といわれている。」
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※前回、投稿した記事の内容は、ロシア人側からの視点によるロシア革命の実態だったわけで、確かにユダヤ人に対する敵意が強い内容です。ロシア人特有の反ユダヤ感情に、拒絶反応を示す人がいても不思議ではないかもしれません。
それで、同じリンク先には、ユダヤ人側の視点から見たロシア革命の実態を述べている記事もあります。(下のリンク先です) それによると、ロシア革命は“反ユダヤ国家”だったロシア帝国からユダヤ人を“解放”した革命だったとのことで、ユダヤに同情するような内容になっています。前回の記事と合わせて読むと参考になります。前回の元ソ連外交官の語った内容が「ロシア人の悲史」だとすれば、下で語られている記事の内容は「ユダヤ人の悲史」といえるみたいです。
ウクライナとロシアのユダヤ人の歴史
http://blackbox777.at.infoseek.co.jp/hexagon/floorA4F_ha/a4fhb200.html