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(回答先: チベット開発_ブッシュ利権集団の本当のねらいは、中国【ブッシュ親子の自作自演テロ PAGE 8-23-3】 投稿者 処方箋 日時 2004 年 4 月 07 日 10:26:02)
■ 地形と気候
チベットは秘境のイメージが強いが、ここ数年で大きく変化した。
マスコミのドキュメンタリーは、、高山病で苦しむ俳優を映し出し、古い建物だけを強調し、ヒマラヤ・カイラスなどの美しい部分だけを切り取り、秘境色を目一杯演出する。そこには新しいチベットも汚いチベットも抜けている。
ラサは近代的なビルが建ち、ディスコもあれば、巨大なキャバレーもできた。
カイラスの麓は、ゴミだらけになり、五体投地でやって来る巡礼者はほとんどなく、大部分はトラックやバスになった。
だからといってチベットの魅力がなくなった訳ではない。
清濁併せ持っている所に、本当の面白さがある。チベットも普通の人が住む地で、近代化の波の中にいる。
チベットはかつて海だった地域が、ヒマラヤ造山運動によって隆起し、更にインド大陸がユーラシア大陸にぶつかり、ヒマラヤ山脈ができあがった。
「世界の屋根」、「地球第三の極」として表現されるが、多種多様な顔を持ち、大きく四つの部分から成り立っている。
代表的な地域は、ヒマラヤ山地地域(チベット全体では7000m 級が約50座。8000m 級が11座)で、世界最高峰8850m のチョモランマ峰(1999年の測量で従来の8848m から2m 高くなった)がある。
大部分の地域は、青海省から連なる青蔵高原が占めている。
その内、北はタングラ山脈、西南部のカンティセ山脈に挟まれる部分を蔵北高原と呼び、またチベット高原、チャンタン高原などと分けて呼ぶ場合もある。
平均高度4000m 以上、塩湖と沼沢(チベット全体で1500 以上)が多く、乾燥かつ寒冷な気候だ。
カンティセ山脈とヒマラヤ山脈に挟まれた部分は、蔵南谷地と呼ばれ、ヤルツァンポ河が東西に横断し、水が豊富で農業が盛んだ。
東部の横断山脈付近は蔵東高山峡谷地域と呼ばれ、長江(金沙江)、サルウィン河(怒江)、メコン河(瀾滄江)の上流にあたり、河川が深い谷を刻んでいる。
モンスーンの影響を受け、高低差により気候も異なるが比較的温暖で、所によっては森林地帯を形成している。同じチベットでも、地域によって暮らし方も様々だ。
■ 歴史と宗教
歴史的には、620年代にソンツェンガンポがチベットを統一して、吐蕃王国を建国した。ソンツェンガンポは二人の妃、唐から嫁いだ文成公主とネパールから嫁いだプリクチ王女の影響で、仏教に帰依するようになる。
そして従来のボン教と融合してチベット仏教ができあがり、チベット全土に伝播していく。
その後吐蕃王国は勢力を拡大し、新彊ウイグル自治区の南半分を領土とし、唐の都長安も一時陥落させた事もある。
9世紀の中頃になると勢力は衰え、チベットは13世紀まで群雄割拠の時代を迎えた。
13世紀に元の庇護を受けサキャ派の政権が実権を握り、逆にモンゴル帝国にチベット仏教を普及させることで発展した。
元の崩壊とともに再び群雄割拠の時代に入った。
16世紀ツォンカパを始祖とするゲルグ派が主流となり、ダライラマ制度を生み出し、政治・宗教面でチベット全域を掌握する。
チベット仏教を信仰する清朝の庇護を受け発展するが、19世紀になるとイギリス・ロシアの政争と宗主権を主張する清との争いに巻き込まれていく。
1951年チベットは中国に組み入れられ、1959年にはラサでの暴動をきっかけにダライ・ラマ14世がインドに亡命、1965年にチベット自治区が成立する。
1966年から始まった文化大革命では9割の寺院が破壊され、1989年のラサ暴動では1年半に渡って戒厳令が敷かれた。
現在でも、チベット問題は中国の抱える最重要課題のひとつである。
その影響で、2002年時点でもチベットへの外国人の個人旅行は許されていない。そのため、何らかの形でグループ旅行に参加し、入域許可書を入手しない限りチベット旅行はできない。
■ 開発進む社会
政治情勢は不安定さを持つが、経済的には大きな発展を遂げている。交通事情もここ数年でかなり改善された。
空路は、ラサとネパールのカトマンズが結ばれ、国内線も成都以外に、西寧・昆明・重慶・広州・西安等にも路線が開設された。
陸路は、青蔵公路・川蔵公路・新蔵公路・中尼公路と大きく4本のルートがあるが、どのルートも毎年のように工事がなされ改良が進められている。
特に青蔵公路は、ラサに入るメインルートとしてかなり整備された。
最悪だった新蔵公路も河に橋が架けられるなど、カイラスまでは道の様子を呈してきた。川蔵公路も林芝までは、2001年に完全舗装された。
それ以降は悪路だが、土砂崩れ防止の工事や道路保護工事などが進められている。
中尼公路は、シガツェまでのヤルツァンポ沿いの道は快適な道になった。現在、チョモランマまでの道を整備している。2002年からは、ゴルムドとラサを結ぶ鉄道工事も本格的に始まった。
これといった産業を持たないチベットだが、中国政府の投資により、経済的には少しずつ発展し生活も向上してきた。
独特の文化を持ち、素晴らしい自然を持つチベットは、観光ブームを迎えている。
2000年には13万人の観光客を受け入れ、各地で宿泊施設も整備されている。
それに伴い、内地からの出稼ぎ者も多く入り、街道沿いには四川料理の店が数多く見られる。
特にラサではチベット語と四川語が話せれば、生活できるとまで言われるようになった。統計的にはチベットの人口は、上記のようだが、流動人口を合わせると、人口の半分は漢族になったとも言われる。
大きく変貌するチベット。もうすでに遅いぐらいだが、チベットに興味がある人は、早めに訪ねていたほうがいい。