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(回答先: 「週刊文春」発売禁止命令の取り消し決定 東京高裁 [朝日新聞] 投稿者 あっしら 日時 2004 年 3 月 31 日 17:40:17)
文春高裁決定の要旨
「週刊文春」の出版禁止仮処分で、東京地裁決定を覆した31日の東京高裁決定の主な内容は次の通り。
【判断の基準】
東京地裁決定は、プライバシー権の侵害行為で差し止めを認める要件として(1)公共の利害に関する事項にかかわらない(2)もっぱら公益を図る目的ではないことが明白(3)重大な著しい回復困難な損害を被る恐れがある−を挙げている。
この三要件は、名誉権の侵害に関する事前差し止めの要件として樹立されたものを斟酌(しんしゃく)して設定されたものだろうが、直ちにプライバシーの権利に関するものに推し及ぼすことができるかには疑問がないわけではない。しかし、それ自体としては基準として相当でないとはいえないので、当裁判所も保全抗告事件では三要件を判断の枠組みとして判断する。
【公共の利害】
確かに、両親、祖父といった近い関係の人が高名な政治家の人は、将来、政治家を志すかもしれない確率が高いと考える余地もあるだろう。しかし、政治家志望だとうかがわせるに十分な理由がなければ、単なる抽象的な憶測にすぎない。記事は「公共の利害に関する事項にかかわるもの」とはいえない。しかも記事内容が政治とは全く関係ない私事だ。
疎明資料によれば、長女は田中真紀子議員の海外出張に同行したり、選挙運動に参加していることは一応認められる。しかし、こうした行動は将来、政治の世界に入ることを意識してというより、家族だからとも考えられ「公共の利害に関するもの」と見るのは相当ではない。
【公益性】
記事は家族などに身内に著名な政治家がいるとはいえ、現時点では一私人にすぎない人の全くの私事を内容としており「もっぱら公益を図る目的ではないことが明白」というべきだ。
このような内容を何らかの理由で報じることが公益に資するものと考え、主観的に「もっぱら公益を図る目的」だったからといって、それだけで記事が「もっぱら公益を図る目的」だったとすることは到底できない。「公益を図る目的」の有無は、公表を決めた者の主観・意図も検討されるべきだが、公表されたこと自体の内容も問題とされなければならない。
【回復困難な損害と差し止め】
わが国の現行婚姻制度下で、離婚は一般的には望ましいことではないにしても、非難されたり、人格的に負をもたらすと認識・理解されるべき事柄ではない。
記事の内容や表現方法が、人格への非難といったマイナス評価を伴ったものとまではいえない。
ところで、記事は憲法上保障されている権利としての表現の自由の発現・行使として、積極的評価を与えることはできない。しかし、表現の自由が、受け手の側がその表現を受ける自由をも含むと考えられているところからすると、憲法上の表現の自由と全く無縁のものとみるのも相当とはいえない側面がある。
一方、離婚は、当事者にとって喧伝(けんでん)されることを好まない場合が多いとしても、それ自体は人格に対する評価に常につながるものではないし、日常生活上、人はどうということもなく耳にし、目にする情報の一つにすぎない。
さらに、表現の自由は、民主主義体制の存立と健全な発展のために必要な憲法上、最も尊重されなければならない権利だ。出版物の事前差し止めは、表現の自由に対する重大な制約で、これを認めるには慎重な上にも慎重な対応が要求されるべきだ。
このように考えると、記事はプライバシーの権利を侵害するが、プライバシーの内容・程度を考慮すると、事前差し止めを認めなければならないほど「重大な著しい回復困難な損害を被らせる恐れがある」とまでいうことはできない。
なお、プライバシーの権利を侵害する事案では、事前差し止めのために「損害が回復困難」ということまで要求すべきではないという考え方がある。プライバシーが一度暴露されたならば、それは名誉の場合とは必ずしも同じではなく「回復しようもないことではないか」ということだろうと思われる。
本件ではこのような観点に立っても事前差し止めを否定的に考えるのが相当だ。
(03/31 18:36)
http://www.sankei.co.jp/news/040331/sha099.htm