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(回答先: <墨書土器>市野谷宮尻遺跡で発見 東日本最古 千葉・流山(毎日新聞) − 今度も大和朝廷の影響で説明する専門家 投稿者 シジミ 日時 2004 年 3 月 23 日 22:41:26)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040323-00000306-yom-soci
千葉県教委は23日、同県流山市西初石の市野谷宮尻(いちのやみやじり)遺跡から、筆で「久」とみられる文字が書かれた3世紀末ごろ(古墳時代前期)の墨書土器が出土したと発表した。
1999年に三重県嬉野町で「田」と書かれた2世紀末ごろ(弥生時代)の墨書土器が発見されているが、東日本では、今回の墨書土器が最古になるという。
土器は、同遺跡の竪穴式住居跡内の床面付近からつぶれた状態で見つかった。流山市付近で当時、作られていた「土師器無頸壺(はじきむけいつぼ)」とみられ、口縁部の破片の表面に、起筆と終筆がはっきりと確認できる縦約2センチ、横約2・5センチの「久」のような文字が書かれていた。
土器は底部や胴部の一部が欠けているが、口径約7・9センチ、最大幅約11・2センチ、高さは約9センチと推定され、器の表面に摩擦がないことから、日常的に使用されてはいなかったものとみられている。千葉県内では、7世紀後半以降の集落遺跡など約500遺跡から約1万5000点の墨書土器が出土しているが、それ以前のものは見つかっていなかった。
県教委文化財課は「意味は不明だが、明らかに筆を使った古墳時代前期の文字で、当時の文字文化を研究する上で極めて貴重な資料だ」と話している。
大塚初重・千葉県文化財保護審議会会長(明大名誉教授、日本考古学)の話「このころの流山市や柏市の遺跡からは、北陸、東海、近畿地方の特徴を持った土器が出土しており、文字を書く技術を持った人が移り住み、土器に墨書を残したのではないか」(読売新聞)
[3月23日14時2分更新]