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千葉県教委は23日、同県流山市西初石5の市野谷宮尻(いちのやみやじり)遺跡から、東日本では最古の3世紀末に、墨と筆で文字が書かれた土器を発見したと発表した。「墨書土器」と呼ばれ、漢字で「久」と書かれていた。これまで東日本で出土したものの多くは7世紀前後で、県教委は「文字を使用していた大和朝廷の文化が関東にまで及んでいたことを示す貴重な資料」と話している。
県教委によると土器は土師器無頚壷(はじきむけいつぼ)の一部で、胴部から底部が失われている。竪穴式住居の1軒から発見された。推定口径は7.9センチ、推定器高は9.0センチ。墨で書かれた「久」の字は横2.5センチ、縦約2センチで、土器上部に筆ではっきりと書かれていた。
土器は成分分析から関東地方の粘土で作られたとみられ、同じ場所から出土した土器や土層の年代などから3世紀末と判断した。県教委は00年から02年まで同遺跡を発掘し、昨年10月から整理・鑑定作業をしていた。
同遺跡は流山市の江戸川東部にある。2世紀末から4世紀前半の集落の遺跡で、約7万3000平方メートルから88軒の竪穴式住居などが発見されている。
土器に書かれた文字は「墨書」と「刻書」があるが、墨書については現在、三重県嬉野町の「貝蔵遺跡」で99年8月に発見された2世紀末とみられる土器に書かれていた「田」と読める文字が国内最古とされる。【江畑佳明、曽田拓】
◇辰巳和弘・同志社大学歴史資料館助教授の話 関東圏は従来、文字文化の浸透するスピードが関西圏と比べタイムラグがあるという認識だったが、今回の発見はその歴史認識を払しょくする画期的なものだ。古墳文化と同時に、人々の生活思想である文字文化も思った以上に速いスピードで広まっていた、ということを示す貴重な資料だ。(毎日新聞)
[3月23日15時41分更新]