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(回答先: 3、5、6、11が表現する「星の世界」 投稿者 すみちゃん 日時 2004 年 3 月 15 日 22:56:28)
世の政(まつりごと)に逆らう事無く従うのはその時代に生まれた民として相応しいふるまい。その先に全うすべき本当の役割がある。悪政だろうがそれは自然界の一として法則に従う事と一緒。だと私は思う。が、その政の任務に中る政治家が政に逆らう向きあれば当然それは砕け折れあがる。
自然界に逆らう事なくそれを恵みとして最大限に利用していくのが真っ当な考え方だと思うが、なにも自然界で見る6角形には水晶などの自然石、クリスタル、また純水の結晶などに見る事ができる訳で、クリスタルはそのもの本体に負の存在を浄化するヒーリング効果が期待されるとよくそういったSHOPのうたい文句にあるが、同様の目的で使用する、密教の法具であるサンコショ、ゴゴショなどもクリスタルのあの形そのものに術者の力を加え最大限に伝導する力が秘められているのかも知れない、間違い無い。
山伏の額に被る六角頭巾や六角根。あれもそのような理由があるだろう。十字架もあれはまさにピラミッドを真上から2Dで捉えた図形を意味すると思う。やや下方が長い現在の形としての十字架はともかく、十字線形というのは、私見的には魂が重なる為のヨリシロ的な力が働くのだろうかと思っている(瞑想時にわずかな十字線形を目の前に感じると、それに"自分"が納まっていこうとする感覚に陥り、その感覚が幼少時に何度かあった事を思い出した)。山伏というのは山岳信仰・修験道=密教であり、源九郎義経の幼少の話に出てくる天狗とは修験道者の事であるが、天狗はもともと外来の神を象るものであって、それは仏教ではない・・。
水というものは山岳信仰とは切っても切り離せないものであって、それは古代の縄文の信仰、水信仰=龍蛇信仰であり、純度の高い水の結晶というのはカゴメであり、籠目の籠とは竹へんに龍で乗り物であってカーゴ、隠喩するものはクリスタル同様地中から天を向いて立つ古代の神事の柱であって先端の鋭角に削られたその形はまさにロケットである。柱を建てる際に巻く縄は、結び目もないのに一度巻いたら普通には絶対にほどけず、柱を建ててほどく時はあっけないほど簡単にほどけるという。巻き方で大事なのは七、五、三という数。これも秘められた数の法則で氏子だけに伝えられた秘法で口伝。文字はそもそも暗号であり力を秘める紋様、マークである。間違い無い。山岳信仰は何宗であったか。
諸外国の幼い頃から聞かされる絵本はみな中世の龍退治の話はもてはやされたが、世界の方々で龍(龍蛇信仰=カゴメ紋章)を恐れた連中とは王権統治者ではなかったか。特にヨーロッパはドラゴン退治の騎士の英雄譚等や蛇を悪魔の化身などとみなされてきた映画など散々取られてきた。単純なイメージでしか描かれていないが。そういう長い歴史があるが、実際は現在にまで通じているある対立の構図だと思える。平家(?)と源氏・・、いや、スペイン海賊と天下人秀吉・・、それは現在によくよく感じる事であるが塩にストが湯田やなどであるというのはおこがましく不愉快だ。葉ザリア以後の湯田八はあらゆる人種が流入し改宗=統一人種(なにも悪い事では無い、それはよい事と思う)、混血し混在したから葉ザールの崩壊後湯田やと称する大半がどのように根無し草のようになったかは現在までを見ても想像出来る。とにかく湯田やの子孫と名乗るはめになった大半の善良な民は帰るべき場所をそこで見失ってしまったのかもしれない。特徴的な湯田や顔というのはイタリア系の顔もあるしドイツ系の顔もある。アラブにもアジア系にもある、日本にもあり幅広く指す。ハリウっド女優では陰謀のせオリーに出演したあの女優の顔であろうか。ジャッきーちェンや渡鍋謙なども自分で湯田や人役を演じられると言っている。湯田やと自称する塩にスト顔を見ればその先祖は龍(蛇信仰者)退治を奨励した連中じゃ無いか。あれらは湯田やでは無いね。それを名乗る根拠と意味は何か。どういうことなのかと考えるとひとつ見えてくるものがある。が、それはそれで判れば要らぬ余計な心配だった。
以上ぼやきシローの独り言。