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(回答先: 世代間の不公平?【こんなことを考える(生活雑感)】 投稿者 エイドリアン 日時 2004 年 3 月 10 日 08:00:39)
"アクエリアン"さん↑ が野田秀樹(現"NODA・MAP"、元"夢の遊眠社"主宰)の『オイル』を見た感想です。野田秀樹も、日本人の世代間ギャップを埋める戯曲を書いてる?
http://homepage2.nifty.com/aquarian/Essay/Es030812.htm
8月は原爆の季節。広島・長崎の季節。
そんな時期に、野田秀樹の『オイル』を見た。今春、チケットを入手できず、シアター・コクーンでの上演を見損なった。その舞台をWOWOWが放映してくれた。すさまじい原爆告発の演劇だった。
現代劇らしく、さまざまなモチーフを、時空を越えてごちゃ混ぜにして、ストーリーは構成されている。古事記にでてくる出雲と大和の争いから、日米戦争、特攻、原爆、さらには現在のイスラムのテロ、9.11事件、そしてオイル。あるいは遺跡で石器を騙して見つける「神の手」。シリアスのようでいてドタバタの連続。
それが最後に原爆の場面へと集約していく。電話交換手でありながら神の声を聞く巫女のような富士という女。それを松たか子が演じる。その弟で、特攻志願の飛行兵ヤマト。演じるは藤原竜也。
8月6日、ヤマトは広島の産業奨励館(原爆ドームとなった)にいて、富士に電話をかける。その場面から、松たか子の独白が続く。時には絶叫するように、凛とした声で。その言葉が強烈だったので、録画したものから、その部分を書き取ってみた。
その電話は何ごともなかったように、プツッと切れた。そのとき電話の向こうで10万人の人が熔けた。
電話の向こうで人が熔けて、私の耳に声が残った。石段の上に腰をかけている人が熔けて、石の上にその人の影だけが残って、私の耳に声が残った。電話の向こうで10万人の人が熔けて、10万人の声が残った。
残った声はまぼろし?
この声がまぼろしというならそれでもいいの。
ヤマト、もう一度教えて。復讐は愚かなこと?
たった一度で何十万の人が殺された。その恨みは簡単に消えるものなの?
一ヶ月しか経っていないのよ。あれから。(舞台は終戦後1ヶ月経った島根に設定されている) どうしてガムを噛めるの。コーラを飲めるの。ハンバーガーを食べられるの?
この恨みにも時効があるの?
人はいつか忘れてしまうの?
原爆を落とされた日のことを。
その翌日歩いたその町を?
(富士は電話機を取り上げて、神様に電話をかける)
もしもし、もしもーし。
天国があるというのなら、なぜあの世に作るの?この世にないの?
どうして天国が今ではなくて、アフターなの?
それを教えてくれたら、信じてもいいよ。あなたのことを。
ごめんなさい。嘘ついた。
ほんとは、助けがほしいの。あなたの。
聞こえていたら返事して!神様!
舞台全面に瓦礫やぼろ切れが散乱している。その様子を見やりながら、富士は暗転した舞台の奥へとゆっくり立ち去り、劇は終わる。
野田がこの舞台で提示したメッセージは、すさまじい。原爆への復讐である。原爆を投じたアメリカという国への復讐の呼びかけである。それを現在のイスラム過激派によるテロに結びつける。途中にはこんなセリフもある。
8月に原爆をふたつ落とされたから、9月に飛行機を2機飛ばす。
行き先はニューヨーク。
それが復讐ではないのか。
島根に不時着した特攻機に、島根で湧きだしたというオイルを給油して、飛び立つ場面が続く。タイトルの『オイル』は復讐を表しているかのようだ。
野田のあまりにも過激なメッセージに、演劇評論家たちは「たじろいだ」 と、ぴあ発行の「Invitation」誌9月号は伝えている。この衝撃作に今年の演劇賞が与えられるか、注目して見るといいだろう。
広島、長崎、と原爆記念行事が行われた。小泉首相は就任以来、必ずこの行事に参列し、首相としての挨拶をしている。これと決めた原則を曲げずに律儀に実行するところが、この人のいいところだ。しかし、現在の世界情勢の中で、原爆犠牲者のことを想起するということが、どういうことか。そのことを深く考えないでいられることが、この人のいいところでもあり、限界でもある。
根拠のなかったイラク戦争を勝手に始めた米国。それを全面的に支持した小泉首相を前に、秋葉忠利・広島市長は「平和宣言」を、高らかに読み上げた。その中で、イラク戦争を始めたアメリカと、日本に原爆を落としてアメリカとを、二重写しするかのように告発した。
核兵器先制使用の可能性を明言し、「使える核兵器」を目指して小型核兵器の研究を開発するなど、「核兵器は神」であることを奉じる米国の核政策・・・・
『戦争が平和』(オーウェルの言葉)だとの主張があたかも真理であるかのように喧伝(し、イラク戦争へ突き進んでいった米国)
かつてリンカーン大統領が述べたように「全ての人を永遠に騙すことはできません」。そして今こそ、私たちは「暗闇を消せるのは、暗闇ではなく光だ」という真実を見つめ直さねばなりません。
このような言葉を、小泉さんはどう受け止めたか。その日の記者との懇談では「いろいろな考え方がありますから」と例のごとく、はぐらかしていた。
この平和宣言は、被爆国として、人々の大方の意見かと思ったら、やはり、産経新聞の産経抄は、けちをつけている。8月9日の分で、「相も変わらず大向こう受けをねらったパフォーマンスや、奇妙な政治イデオロギーの宣言がまかり通る」とくさし、「平和宣言は、反米・嫌米・憎米の表明だったといって言い過ぎではない」などと言っている。
アメリカが国際協調による平和的解決よりも、武力というハードパワーを重視して、世界戦略を進めている。長崎以来58年間、存在はしても、使われることのなかった原爆を、使えるようにしようと小型化開発を計画している。イラクのような事態が再び起きた場合、次のサダムフセインが地下宮殿深く潜んでも、この小型原爆で一気にやっつけようとの意図だ。そのようなものを持つことが、脅しとして効くと考えるのだろう。
北朝鮮は、核兵器しか自国を守るものがないと信じて、その開発にひた走っている。誰もそれを留めることができない。
日本の一部強硬戦略家たちは、日本も核武装する時期だと、真剣に主張し始めている。
NYTimesのコラムニスト、Nicholas D. Kristof は、広島の日にあわせて書いた「ヒロシマについての真実」(International Herald Tribune 8月7日)で、これまで何度も論じられた、広島への原爆投下の正当性を詳細に検討し直している。この時期にこの問題を取り上げたことと、それを論じる真摯な態度は見上げたものだが、結論は変わらない。広島なしには、当時の日本は、終戦の決断をしなかっただろうし、その結果、本土決戦となり、双方合わせて百万人の桁の犠牲者がでたことだろう。だから広島・長崎は仕方なかった。むしろ「天の配剤だった」(これは迫水久常のことば)。
戦争というものを、計算問題として考えるなら、そうだろう。しかし、人間を物として計算してはいけない。戦争を始め、実行する指導者にとっては、兵員も敵の犠牲者も計算し、差し引きを考えるものなのだろう。イラクで毎日のように米兵に犠牲者がでている。それを、米国世論はまだ受けいれ可能だと、計算しているのだろう。
アメリカの強権の発動、東北アジアの緊張、日本の追従外交・・・。そうした世界政治の現状に向かって、みんなものが言いたくても言えないでいる。何を言っても無駄だとわかってしまう。そんな風潮の中で、舞台を通して発せられた野田秀樹のメッセージは、言葉を越えるもので、力強く響いた。
電話の向こうで人が熔けて、私の耳に声が残った。石段の上に腰をかけている人が熔けて、石の上にその人の影だけが残って、私の耳に声が残った。電話の向こうで10万人の人が熔けて、10万人の声が残った。
復讐は愚かなこと?たった一度で何十万の人が殺された。その恨みは簡単に消えるものなの?
[2003/08/12]