現在地 HOME > 掲示板 > Ψ空耳の丘Ψ34 > 1075.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
(回答先: パウエル国務長官「3人を誇りに思うべき」 空耳板 投稿者 タメ息 日時 2004 年 4 月 17 日 12:50:56)
パウエルが言っているのは「義をみてせざるは勇なきなり(自分が正しいことだと確信したことを実行するのが勇気というものである)」ということである。
その人が何をもって義(正しいこと)だと思うかはそれぞれ異なる。
猿ブッシュの「民主化」を義とするか、
忠犬コイズミの「対米追従」を義とするか
ボランティアたちの「人道主義」を義とするか、
それは各人が信じるところによる。
しかし、何が義であるかどうかの結論は別として、その人が義として信じたことを実現するために危地に呼び込むことは勇気ある行動としてたたえるべきことである。勇気はたたえたうえで、彼が見た「義」の是非について論ずべきことである。
その見解の逆は「どちらの義が正しいのか」ではない。
「義を見て為した人々」に対して、安全な場所から石を投げる人々の卑しさが「義を見てせざるは勇なきなり」の正反対の態度なのである。
これを「小人フ居して不善をなす(つまらない人物は、人が見ていないとつまらないことを始める)」という。
* むしろ「小人大挙して不善をなす」か。