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(回答先: それでは相手に勝てない。同程度の報復ではなく、いかなる手段をとろうとも勝つ事が 投稿者 スパルタコス 日時 2004 年 4 月 13 日 14:52:46)
> 馬鹿な。自爆テロでイスラエルの一般市民が10人殺されればパレスチナの一般市民
> を10人殺せば良い。それで収まると思うのか。こちらの一般市民が一人殺されれば
> 100倍にして返す。アメリカ・イスラエルはそれで調度算数が合うのである。同じこ
> とを仕返すだけで、相手に勝てる訳がない。
数量的に言えばそうなりますね。
軍服を着ないで市民と同じ格好で、市民の中に紛れ込んで行う抵抗活動は、当然のこと一般市民に対する無差別殺人を招くと思います。市民から犯罪に対する告発行動が無いのは市民もそうした報復行動があることを了解しているとみなすべきでしょう。
本件のみならず、いろいろと喧伝されている「大量虐殺」も、ほとんどすべてがこのような「市民を隠れ蓑にした抵抗活動」に源を発しているのではないかと考えています。
軍隊にとっては、こうした市民ぐるみの抵抗活動に対抗するために、1人殺されれば100人殺し返すことくらいしか対処する方法が無いので、それを実行し、結果的にあまりにも人目を引くので世界から顰蹙されるのだと思います。その時にはもぅ、引き金となった市民に紛れ込んでのテロ行為は大量殺戮の陰に隠れて論議もされないのだと思います。
「何とかの虐殺」とか表現されているものは、ほとんどすべてがこのパターンでは無いでしょうか。どんな指揮官といえども、住民の効率的な管理を第一義とするので、原因無しに大量殺戮に走る事は考えられません。逆説的に言うならば、大量殺戮があったと言うことは、引き金になった市民の命を盾にしたテロなどの行為(これは紛れも無く国際法違反の行為です)があったということですね。
無差別大量報復はそれなりに効果があるようです。だからコレは断固として行うのが作戦としては正しいと思います。殺し合いの場に遠慮は無用で、躊躇したほうが負けることになります。
ただ、平和ボケした日本人にはこうした戦場では当然の論理が理解できなくて、「奉仕するために行っているのだから敵対行動をとられることはない。」などと寝ぼけたことを本心で信じているようです。戦場に趣味で飛び込んで行く輩は「善意で行っているのだから自分に危害が及ぶ恐れは無い」と信じ込んで、またジャーナリストも「自分たちは中立の立場で報道するのだから相手にとって敵ではない、ゆえに攻撃されない」と信じ込んで、殺し合いの場に無用心な姿を晒して平気なのだろうと考えています。
戦争後進国の日本人は、だから、戦場(および戦争直後の国)になど行くべきではないのです。特にイラクのようなイスラム圏の国は、宗教と政治が渾然として分離していないので、宗教的催眠術にかけられた人々が、「ジハード」だと信じ込んで、人間爆弾行為を行うので尚更だと思います。イスラムの教義や宗教指導者の言動は非常に過激なもので、神道や仏教のようにさっぱりとした相互信頼に基づく友好的なものではないことを改めて理解し、触らぬ神にたたりなしの精神でいるべきだと考えています。
ただ、軍事行動は、別の利害得失で行うものですから、これは同列で判断すべきではないと思いますがね。憲法に抵触するとか云々の議論も、コレはまぁ、言うならば「規範」みたいなものですから、実際の場で反するような事態があっても当然でしょう。
アメリカがダブルスタンダードだとか言う論理も、法律とか判断基準とかはもともとそうしたもので、法律で規定されているから断じてイカンなどと言うものではないと思います。皆さん方の日常生活を仔細に点検すれば「すべての人が法律違反の行為をしている」ことが理解できると思います。法律の規定とはそうしたもので、まぁ「標準を決めておくからあまり無茶はするな」と言うのが法治の基本精神じゃないですか。
このように考えて、合目的的な判断のできる柔軟な頭を養いましょう。それが日本の利益に結びつきます。