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(回答先: Re: open2003年5月段階での「CHANCE! 平和を創る人々のネットワーク」指導部と公安との癒着問題についてを批判する 投稿者 長壁満子 日時 2004 年 3 月 01 日 17:57:43)
「よい子のピース運動」の根本をたたきなおせ!
参考資料。
FreeML[CHANCE ! Forum] http://www.freeml.com/message/chance-forum@freeml.com/0012987
メッセージNo:12987
件 名 : Re: 警察とのつきあいかたについて(渋谷19号です)
差出人 : matu
送信日時 : 2003/05/01 15:01
内容の全文は、上のURLをクリックしてください。
しかしこの前後の数か月分のMLの、http://www.freeml.com/ctrl/html/MessageListForm/chance-forum@freeml.com のひどさ!私は、この渋谷19号matuさんの立場だし、堀田和彦さんにも同感。chanceの小林一朗さんや、遠藤・管理人さんや、chance pono2や、WPNスタッフの内山隆さん、そしてそれは、高田健さんの立場、などにはとても同意できません!これらの名前は、すべてこの公開MLで読み取れるものです。しかも、それはさらに徹底した形で、日本共産党系の体質でもある。50年以上も前の「50年問題」のときからだ!私がかかわっていた障害者の会、及び、国会の議面集会や、デモやその他の集会のあり方や、地元の共産党支部に参加したり、選挙のときの態度や、さらに、インターネットの情報などを通して、それはわかる。要するに「よい子のピース運動」なのだ…。エ
リート平和運動とも言える。
9・11以後、世界が変わったという人には、それまで、どんなひどいことが行なわれていても目に見えないように、あるいは、いわゆる、おおごととは取られないような報道や雰囲気の中でやられていれば何も知らないですんだ、または知っても遠い別の世界か、「危ない人たち」の世界で起きているという形で済ませられ、自分には関係ないと無視できるし、それどころか、ひどいねえと、やられている側の抵抗暴力(生きていくためのエネルギー)のほうを、社会を乱す不逞のやからとして、さらに叩いて、現状維持をし、今の社会の安泰、ルール・世間の空気の温存を図る側になり、権力側と同じ基盤を補強してゆく。
9・11以後、こういうことが表立って起きてきたので、とにかくやるなら見えないように、または、別の、危ない世界の話としてやってくれという気分で、しかし、その、「遠い別の危ない奴らの世界」とされている人たちからすれば、その気分自体を変えてほしいと思うから、飛行機を日常生活の現場へ突っ込ませたのだ。「安泰な平穏な日々だったのにテロのせいで落ち着かなくなった」のではなく、「元々安泰な平穏な日々は、テロリストと呼ばれる人たちの犠牲の上に成り立っている」ということを訴えるためだし、そのことに気がつけば、もう楽しいことなどなくなるし、この世間(せけん=日常的フツーの価値観の世の中)の中で、楽しくしていること自体がおぞましいし、テロリストと呼ばれる人たちにそこまで思い込ませる原因を作っている側の残虐な面のいろんなことが見えない気がつかない形で行なわれ続けていたのに、それを平和な安泰な世界で、一部の遠い世界の危ない奴らがメチャをやるから困るなどという見方しかできない庶民こそが、自分のほうから動物園の檻の中の平和を求めているに過ぎない。人間としての感性がそこまでエリート意識になって、世界を見るか?元の平穏な日々に戻ればいいのか?
「平和」が、「平穏」「安泰」「ことをあらだてるな」「トゲトゲしくするな」などということを意味するとしたら、ことをあらだてずにはいられないようなひどい状態にされている人たちも、ルールを守って手続きを踏んで請願をしましょうねなどと言っておれるのか?そのルール・手続きなどが、そもそも強い側にだけ都合がいいように作られ、やられているほうには、すでに常に「テロリスト」とか「過激な暴力集団」とか「危ない別の世界のやつら」とかいうレッテルを貼った目でしか見られなくしておいて、権力者の許す「世間の空気のワクの中」だけでしか行動の基準を持たない者でいいのか?フツーをたたきつぶせ!
私は9・11より前の8・7(2001年)の、一部の養護学校にだけ、あの戦争賛美の教科書が押し付けられたときに、こういう運動に飛び込んだ。だから、世間の空気ではなく、ごく一部の消されてしまいそうな問題が実は世界の戦争構造に直結することだ
と直感したのだと思う。そのときはまだわからなかったが、いてもたってもいられなかった。ところが9・11以後はファッション的な単にうわべの平穏を戻してほしいというだけの、あたらずさわらずの社会を温存する反戦運動が出てきたような気がする。最も日本では始めから第二次大戦の被害感情のみの、フツーの人にそんなひどい目を負わさないでというだけの反戦反核平和運動のみで、世の中の仕組みの根本の「フツーの安泰」などがマヤカシの平和だという感覚を持たない、「お上」肯定運動なのだった。これでは私は反戦運動にも敵対しなければならない。こんな体制維持運動こそ叩き潰さねばならない。私は、今の日本の、明るい楽しい暗闇は、ものすごく深いおぞましいものだと思うようになっています。