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バグダードバーニング by リバーベンド
... I'll meet you 'round the bend my friend, where hearts can heal and souls can mend...
友よ、私の心が失われあなたさえ見分けることができなくなったら、どうか私を偉大な文明をはぐくんだ、チグリス・ユーフラテスの胸元に連れて行って欲しい。そこで私は心を癒し、魂を再生させるでしょう。
2004年2月29日水曜日
アシュラ祭・・・
(訳注:イスラム教シーア派第3代イマーム・フセインの殉教日。スンニ派によって虐殺された。シーア派最大の悲しみの日。今年は3月2日。)
緊張で大気がびりびり、感電しそうだ。誰もが感じている。今は、イスラム暦(ヒジュラ暦)の1年の始まりの月、ムハッラムだ。
ヒジュラ暦のこの時期は数百年前に歴史的な事件がおこっていて、重要である。イラク東南部のカルバラで予言者ムハンマドの子孫の一族が殺害され、一部は捕らえられた。それは、長く悲しく入り組んだ物語である。
予言者ムハンマドの曾孫、その子どもたちと妻たちは一族郎党を伴い、イラク(訳注:当時イラクはなかったので、いまのイラクあたりの意味)へやってきた。この地域の人々に、イスラム国家の統治者としての役割(ハリーファ、訳注:ムハンマドの代理人としての統治者)を担ってほしいと要請されたからである。カルバラにたどりつくまえに、クーファ(いまはイラン)地域に近いところで、ヤジードの軍に包囲された。ヤジードは、ムハンマドの遠縁でイスラム世界の指導者(ハリーファ)になりたいと思っていた。ヤジードは、ハリーファになる権利があると信じられてもいた。彼の父、ムアーウィヤが、イマーン・アリ(ムハンマドの従弟)とその息子に対抗して、ハリーファとしての権利を主張したからである。
ともかくムハンマドの一族がクーファで包囲された後、計画的に殺され、うち何人かはムハッラムの初めの10日の間に虜囚となった。ムハッラム10日に、ムハンマドの孫、イマーン・アル・フセインが、クーファの戦いでもっとも陰惨な方法で殺害された。首はうち落とされ、ヤジードのもとへもたらされた。 クーファとカルバラの人々は、アル・フセインと一族、付き従う人々を助けなかったことに、ずっと罪悪感をもってきた。使いを出して呼んでおきながら、ヤジードの軍が襲ったとき見捨てたことを。
この罪は、毎年、あること__貧しい人々に熱々のお粥を大鍋いっぱいふるまうとか、近隣や家族のために特別の食事をつくるとか__をすることによって、’思い出される’。スンニ派もシーア派も同じように、この行事を行う。ふつうであれば。母は、毎年、ハリサ(お粥)を家族全員分炊く___ムハッラムのハイライト。(訳者?:harrisa は唐辛子ペーストと思ったが?) 家で、キラヤ(qirraya)という集まりをすることもある。これは、多くの場合、女性の行事だ。近隣じゅうの女たちが、一軒の家に集まり、マクタル(アル・フセインと一族の殉教譚)を吟ずる女性たちの専門グループを呼びよせる。
私は、数年前、このようなキラヤに参加したことがある。キラヤは、たいてい涙で終わる。マクタルで語られる内容が、悲惨のきわみだからだ。これを聴いて、泣かないなんて、できない。
今年は、これに新しい儀式が加わった。’ラトミヤ’である。これを行うのは、シーア派だけ、である。が、シーア派全員が行うわけではない。多くのシーア派穏健派は、わが身をチェーンで打擲するというこの儀式に眉をひそめている。その光景がひじょうに・・・残酷そのものだからである。
2、3日前、 E(弟)とわたしは、屋上から50人ほどの黒衣の男たちの行進が本通りを行くのを見た。怖しかった。彼らは、髭をはやし、手首に巻いたグリーンのバンダナ以外は頭のてっぺんから足の先まで真っ黒だった。そして、黒とグリーンの旗とバナーとグリーンを背景に描かれたイマーン・アル・フセインの肖像を掲げていた。一定のリズムで胸を叩き、何か意味のわからないことを唱えていた。このような行進は、以前は禁止されていた。はっきり言って、彼らがどこかに監禁されたらいいのにと思う。このような暴力性に満ちた光景(暴力が本人に向けられるものであっても)は、ちょっと神経にこたえる。
テレビで、南部のもっと盛大なラトミヤを見た。とくにイマーン・アル・フセインが埋葬されているカルバラのは大規模だ。男たちはチェーンを抱え、それで自分の背中を打つ。ときに衣服が破れ、体が血にまみれるまで。この儀式は好きでない。神聖でも宗教的でもない。多くのムスリムは、これは誤りだと考えている。肉体を傷つけることは、’ハラーム’つまり罪とみなされているからだ。
今年、カルバラは例年になく人で込み合うだろう。イラク人のほかに、なんとかしてイラクに入った、おびただしい数のイラン人たちが加わるからである。
アシュラ、ムハッラムの10日目(訳注:今年は3月2日)は、もうすぐ。みんな心底、何が起こるか心配している。バグダードじゅうの何十というビルは、黒布で覆われた。まったく気の滅入る光景だ。E(弟)は数日前、バグダード大学に行ったが、建物という建物、学部のバルコニーまでも黒布をはりめぐらされていたという。’ラトミヤ’体験を授けるという掲示もあって、熱心なシーア派の何人かは、学部のカフェテリアに対し、音楽はまかりならん、’キラヤ’だけという命令を出したという。
電気事情は、いまのところ日に10時間電気が通じているという状態に、ほとんど安定してきている。目下のところ、すべてが少しばかり怖しい。だから、昼間は電気なしでいいから、暗くなったらすぐに電気が通じますようにと祈らずにはいられない。この2、3週間の間に、暗殺が多発し、医師、教師、大学教授、宗教界の重鎮がやられた。何件かはまったく理由がわからない。
バグダードは、とことん落ち込んでいる。これらすべての黒布が、事態をいっそう悪くするばかりである。
リバーによって掲示午前2時19分
(参考:カルバラの悲劇といわれるこの事件は、 AD680年に起こった。悲壮な最期をとげたイマーム・アル・フセインの乗っていた白馬が、女子供が待つテントにたどりつき、皆がその馬にとりついて泣くうちに、ウマイヤ軍が容赦なく全員を殺害した・・・等々悲惨な逸話に満ちている。バハレーンなどでは、アシュラ祭で、シーア派の男たちが裸の体に鉄のチェーンを打ち付け、頭を刀で割り、血を流しながら行進するそうである。現在、アメリカ国務省のサイトでは、今年のアシュラは、シーア派の祭儀を弾圧したフセイン政権崩壊後、初のアシュラだとして、反フセイン派の学者の見解を引きながら、フセインの苛酷な弾圧と現在シーア派の人々の感じている自由について述べた記事を掲載している。)
(翻訳 池田真里)
http://www.geocities.jp/riverbendblog/