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(回答先: 読売新聞ケイ発言つまみぐい! イラクWMDシリア移動報道 投稿者 FakeTerrorWatcher 日時 2004 年 2 月 15 日 00:33:39)
読売新聞記事は何が売り物なのだろうか?
一面か? 総合面か? 政治面か? 国際面か? 経済面か? 解説面か?
スポーツ面か? 商況面か? 囲碁・将棋面か? くらし面か?
地域面か? 社会面か? 芸能面か? テレビ番組面か?
読み応えがある記事は何処にあるのか?
この新聞は読者から新聞代としてお金をもらえる新聞ではない。
記者の労働力、編集者の労働力、印刷工の労働力、新聞紙製紙の労働力。
輸送配送の労働力、新聞販売所配達員の労働力、拡張員の労働力。
これらは何のための壮大な労働力なのであろうか?
まさに奴隷新聞とは壮大なゼロである。
読売新聞とは日本総奴隷化の未来を暗示している文明の絶望を生産している。
まさに物質が物質として感動で輝くことはない。
ほんらいの物質主義によって、奴隷新聞は過去のイメージとして消却される。
ジャーナリズムとは国家権力と世界権力政治への検証ではなかったのだろうか?
読売新聞とはいつから自民党・公明党新聞になったのだろうか?
奴隷新聞に未来はない。
何故なら日本人とは物質の究極を創意と工夫と智恵で疾走する職人だからである。
まして日本市民社会はゴミ分別の循環社会へと突入している。
ゴミ分別に無関心な人間は地域社会から、ゴミ出しのルールを守らない人間として
認知されてしまう。
日本市民社会は女性を先頭に、ゴミをできるだけ削減する社会へと疾走している。
これが世界の先頭を疾走する物質主義の超スピード社会である。
読売新聞とは日本社会の巨大なゴミである。
世間様に巨大なゴミを毎日、ぶちこむ読売新聞は女性から嫌われている。
女性から支持されない新聞社は生き残ることができない。
読売新聞社の経営問題が発覚するのは2006年からであろう。
人間は自立という快楽を求めて、奴隷身分から脱出したのである。
自己の営為と自己実現能力の社会的展開こそ、快楽である。
もはや奴隷新聞に読むそうかいな快楽はない。
おのれの知らないことを、あざやかに教えてくれるのが情報の価値である。
価値とは情報の「商」でもある。「商」とは物々交換からはじまる。
奴隷新聞にはこの交換の価値が発生しない。
商業もおのれのあしもとを検証し、お客様との再度の出会い=価値交換を
もとめて、おのれを再建しようと刻苦奮闘している。
ゆえに魅力ある場を形成できる。
奴隷新聞は魅力ある紙面を形成できない。
そして奴隷記者と奴隷編集者は、まず価値交換という市場を理解する能力はない。
情報とは価値交換なのである。
商品はいのちがけの飛躍をとげて消費者に向かう。
消費者は価値交換として、おのれの生活に価値をあたえるために
喜びをもって、商品を買う。
価値が発生しない情報商品(新聞)とは、ゴミである。