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(回答先: Re: かつて多くの特攻隊員は、逆説的に含蓄の深い「遺書」を書いた 投稿者 TDK 日時 2004 年 1 月 13 日 01:46:07)
TDKさん、こんばんわ。私も軽く追加コメントおば。
TDKさんが『逆説的に含蓄の深い「編集手帳」』で言いたいことは、
とても分かりやすく、すんなり私に伝わってきました。
「著者の意図とは違うとおもうが、なかなかこれはある意味で的を得ていると思う。」
と述べられていますし、その前に「とな。」の時点でピンと来ます。
拉致問題に関しても共感します。
私は基本的にTDKさん、イラクささんとは考え方が近いと思うので、
議論の上であまり大きな対立は起きないでしょう(違ったら失礼w)。
逆にいえば確認し合い、補足し合える議論が出来そうです。
しかし最近、考え方がかなり正反対の人々と
どうすれば議論を成立させることができるのか夢想します。
議論が根本から対立し、最後は必ず物別れに終わってしまう相手とは、
同じ日本語で会話しても、まるで異質の言語でやりとりしているかのようです。
そのような人たちと、どんな方法で対話の接点を探って行けばよいのでしょうか?
また大手メディアを信頼し、ニュースを表層的にしか捉えていない人々には、
どう語りかければてゆけば、隠れた部分のイメージが伝わるのでしょうか?
そういう場合は取りあえず論点を変えてみたり、色々な他の表現方法を試してみると、
案外、有効な場合が多いかも知れません。
私が靖國神社HP「今月の遺書」を持ち出して感想を書いてみたのは、
色々な意味でタイムリー(首相の靖国参拝・イラク自衛隊派遣を含めて)だったことと、
たまには違った角度からのアプローチ方法を実験してみようと思ったわけです。
敢えてちょっと力のこもった文体にしてみました(笑)
至らない点は、お読みいただいた方々のご指導を仰ぎたいと思います。
>たとえどんなに<良心的な>報道であっても
>全くの<客観性>をもつことはきっと不可能に近しいことなんだと思います。
>だからこそ、こういうことに自覚的である必要性があるのだろうな…と。
その通りですね、我々は限定的な情報源に依存すべきではなく、
情報網を拡げて、すべての事象について幾つもの報道を対比させ、
実情をできるだけ正確に把握する精度を上げるしかないでしょう。
メディア側(ここでは読売新聞)に言いたいことは、
<客観性>を心掛けて達せられない部分は仕方ありませんが、
意図的に世論を誘導するために偏った報道をするというのは、
明らかに領分を越えているということです。
そうしたいなら看板を付け替えてからやって下さい。
「真実を追求する公正な報道」を掲げる大新聞にそれをやらると、
社会一般に誤魔化しと開き直り、ずる賢さとごり押しの悪癖が通念化し、
日本という国の「精神文化」が毒されてしまいます。
参考:
読売信条&行動規範
http://info.yomiuri.co.jp/company/shinjyo/