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(回答先: 問題?の「パレスチナ」に関して、以下のようなメールが届きました。 投稿者 縄文人 日時 2004 年 1 月 11 日 11:59:42)
ナブルス通信を読んだら、
森沢典子さんの本『パレスチナが見たい』の最後に書いてあった、
「ナプルスで聞いた言葉」…というのを思い出しました。
●声なきインティファーダ
難民キャンプの「難民」の家が破壊され、
失業者が半数近くいるというパレスチナで、
私は一人の浮浪者にも会いませんでした。
食べ物がなくて飢えている人も見ませんでした。
私に対して、物乞いをする人もいませんでした。
私が見たのは、助け合い、冗談を言い、
日々の生活をいつも通りの顔で送ろうとする人々の姿でした。
子どもにごはんを食べさせ、コーヒーやミントティを入れ、
仕事にでかけ、障害を負った家族の世話をしていました。
けれども空にはいつでもヘリコプターが飛び、
夜になると戦車が取り囲む。
彼らのこうした精神的な抵抗や、人としての抵抗を、
なんとあっというまに破壊してしまうのでしょう。
でも、どんなにやられてもあの小さな街々が決して陥落しないのは、
こうした彼らのコミュニティの強さがあるからでした。
何もないあの街で、人々は必死に与えあって、
温めあって生き延びていたのです。
人とのつながり、それだけが街を支えていました。
それがこの後、どれくらいもつかは私にも分かりません。
今、瀕死の状態です。
●無関心という加害
日本にいた時には、
紛争や自爆テロのことばかりが伝わってきていたパレスチナで、
私が実際に見たインティファーダは、こうした声なき人々の、
日々の暮らしの中でのインティファーダでした。
それは「沈黙の抵抗」とも言うべきものでした。
「沈黙」ゆえに、私たちはそれに気づかず、
また気づこうともしてこなかったのではないでしょうか。
その「無関心」こそが彼らの「沈黙の抵抗」をあきらめさせ、
自爆テロという「声をあげる抵抗」を生み出してしまってはいないでしょうか。
彼らをこんなにまで闘わせているのは、いったい誰なのでしょうか?
彼らを押しつぶそうとする力の上に、私たちは少しも乗っていないと、
彼らの前で言えるでしょうか。
多くの「無関心」が、パレスチナに対しても、イスラエルに対しても、
加害者となっているような気がしてなりません。
パレスチナの地で、私はそうした問いをいくつも突きつけられました。
ナプルスで聞いた言葉が、いつまでも頭から離れないでいます。
「無反応であるということ、無関心であるということ、
無視され続けるということは、
軍事攻撃を受けるということと同じように、私たちを苦しめ続けます」
http://www.creative.co.jp/top/main.cgi?m=432