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(回答先: 世界史におけるアフガニスタンの位置【『新生アフガニスタンへの旅 』II「アフガニスタン問題」理解のために 野口壽一】 投稿者 荷電粒子 日時 2004 年 1 月 21 日 17:54:20)
荷電粒子さん、こんばんわ。略年表つき歴史資料のフォローアップありがとうございます。
★以前レスの中でちょっと触れたことがありますが、わたしは学生時代に一度、
パキスタンを旅したことがあります。いわゆるバックパッカー(笑)
http://www.asyura2.com/0311/war41/msg/879.html
パキスタン北部を廻ったので、とくにガンダーラ遺跡は旅のメインの一つでした。
タキシラでは小川が流れ、木々の緑がそよぐ穏やかな景色の中、
遺跡群を馬車で巡り、博物館に展示されたレリーフや仏像をゆっくりと観賞しました。
タフティ・バーイへはペシャワールからローカルバスに乗って行きました。
何の目印もない道の途中で降り、地元の人に尋ねながらわき道を辿って登った丘の上に、
赤茶けた日干し煉瓦の遺跡タフティ・バーイを「発見」しました。
遺跡にはかなり立派な伽藍と仏塔、そしてレリーフの一部が残っていました。
遺跡の管理人をしているおじいさんが一人。参観者は私一人。
ちょっと案内してもらったあとは、独りで勝手にのんびりと歩き回りました。
一番高いところに登ると、周囲の眺めが素晴らしかったです。
★タフティ・バーイに関する想い出はそれだけではありません。
私が感銘を受けたのは、タフティ・バーイへ行くためのバスが出発する前の出来事でした。
私はペシャワールで街の人々に訊き、バスターミナルを見つけました。
そしてタフティ・バーイに行くバスが発着するという停車場所のそばで待っていました。
何もない普通の広い中庭という感じで、標識や時刻表も見当たりません。
一人で待っていると二人の同年代の若者が私の傍らに並び、話し掛けてきました。
彼らに確認すると、確かにここに来るバスはタフティ・バーイを通るということでした。
その後彼らと話しながら20分ほど経つうちに、そのバスに乗るため、
徐々に大勢の人々が集まってきていました。
このバスはペシャワールを始発とする郊外へのローカル路線でした。
そしてそこにバスが到着した途端、きちんとした行列ができていなかったため
待っていた人々が我先にとバスに乗り込み、また荷物を押し込み、
私が呆気にとられているうちに、あっという間に満員になっていしました。
先ほどから私とともに待っていた二人も乗車を試みましたがあきらめ、
再び私の傍にやってきて言うのです。
「すみません、悪く思わないで下さいね。僕たちと一緒に次のバスに乗りましょう」
と彼らのせいではないのに、非常に恐縮している様子でした。
私は情況を理解し、まったく悪い気もせず、
むしろ彼らの気遣いがうれしくてすがすがしい気分になりました。
どうせ時間はたっぷりある気ままな一人旅です。
彼らとおしゃべりしながら次のバスを待つのも悪くないでしょう。
するとほどなく、バスの中から一人の少年が代表して降りてきて、私を呼びました。
バスの中の多くの人々がこちらを見て、数人が手招きしたり頷いたりしています。
どうやら私のためにバスの座席を空けてくれたようです。
一緒に次のバスに乗ろうと言ってくれていた二人もそのように説明してくれて、
「ここでお別れですね、さあ乗って下さい」と言いっています。
私は彼ら二人を残してバスに乗り、出発しました。
バスの中では話し掛けてくる人はいませんでしたが、
あらかじめ周囲の人々にタフティ・バーイで降りたいのだということを
伝えておいたので、降りるべき場所に着くと教えてくれました。
それは「バスの席を譲られた」という小さな出来事でしたが、
私がなぜこのことに特別な感銘を受けたのかとい言いますと、
それまでもパキスタンで多くの「個人」から「親切」を受けていましたが、
そのときは確かに彼らの「社会」から「親切」を受けとったような気がしたのです。
彼らはきっとバスの中で、外国人である私がバスに乗れなかったことに気づき、
他人同士で短く相談した上、満員のバスの中で単にスペースを空けるだけでなく、
座っている一人を立たせて座席を空け、わたしに提供したのです。
そうしたことをさりげなく、ごく自然にやれる社会通念って、よく考えてみると
なかなかスゴイと思いませんか?
これはペシャワールでの出来事ですが、たぶんここだけでなく、
パキスタン全体、ひいてはイスラム全般に共通する美徳なのでしょう。
他の国(イラクなど)に行った別の方々の体験談でも、これに近い話をよく聞きますからね。
彼らはそこを訪れる者なら誰でも、危害を加えない限り歓迎してもてなすという習慣を、
他の地域並み以上にもっているようです。それはイスラムの教えからくるものなのか、
相互扶助の社会と経済システムからくるものなのか、あるいはもっと遡り、
古代シルクロードなどでの盛んな交易や、異民族の往来の時代から、
連綿と受け継がれてきた習慣なのか分かりませんが、とくに遠方の客を無碍に扱いません。
最近のテレビ報道で、イラクのサマワ市民にマイクを向け、
「日本の自衛隊を歓迎しますか?」と質問する場面が多く見られますが、
日本人記者がそう質問すれば、彼らは「歓迎しません」とは言わないでしょう。
もっとも民間人の支援ならうれしいが、軍隊はいらないと付け加える人も多いですが。
国際ニュースを追っている人々の中には既に日本の方針に失望している人もいるでしょう。
もちろん逆に日本人は米国人より親近感をもてるから、協力したいとお世辞を言う人も、
探せば出てくるでしょう。あれだけ沢山のイラク人がいるのですから。
しかし今までの「対日感情」が良好だと過信して、自衛隊が比較的安全だと考えるのは、
とんでもない自惚れだと思います。とくにそれを政治家が吹聴するのは醜悪でさえあります。
これから行う行為が、この先「対日感情」を悪化させないかと危惧することは必要ですが、
彼らが歓迎の態度を示したからといって、それを「対日感情」が良いからだと解釈するのは、
相手が示した礼儀を、まるで自分の「徳」によるものだと言わんばかりの非礼な態度です。
彼らはどこの国の人であろうと遠くから到着した目の前の客人を歓迎すると思いますし、
また武装抵抗を続ける人々にとっては、「対日感情」など関係ありません。
米軍の協力者と見なし、戦略的に意味があれば、その活動拠点を狙うでしょう。
そして彼らもイラク人です。イラクの土地で外国の軍隊がひとたびイラク人を殺傷すれば、
それまで歓迎していた人々の「対日感情」も、一気に悪化します。
「相手はテロリストや盗人だ、憲法違反ではない」などと言ってもわけ分からないでしょう。
一般民衆による何万人もの抗議デモが起き、復興活動ができない情況になる…。
それは今まで他国の軍隊がやってきたことです。そしてその素地も出来上がっています。
またイラク南部は、これから抗議デモが活発化する気配があると報告されています。
最近日本の国内世論がやや派兵賛成に傾いているようですが、
それは誇張された、サマワの「大歓迎」ムードという妄想によるものでしょう。
そもそも日本が誉め殺しに弱いことは、米国が一番良く知っています。
誉め殺しはブッシュ政権の政府高官らがよく使う手です。そして内心舌を出している。
最近は日本政府やマスコミが国民を舐めきって、この手を使うようになったのでしょう。