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蜂起後の秩父困民党
大宮郷出身の田代栄助が総理、石間村(吉田町)の加藤織平が副総理、信州から参加の菊池貫平が参謀長、下吉田村の井上伝蔵は会計長などを務め、軍隊になら
い秩父地方や信州、上州から集まった3000人で2大隊を編成、秩父の郡都・大宮郷を制圧した。だが、皆野に本陣を移した3日目以降は情報の混乱などで統
制が乱れ、4日目には大隊長の1人が捕虜の巡査に斬られて重症を負い、首脳部が相次いで離脱して本陣は崩壊。児玉方面に進撃した500人の部隊も金屋で政
府軍と銃撃戦の末、敗れた。
あきらめない約200人は菊池貫平をリーダーに陣容を再編し、吉田から屋久峠を越えて上州に進出。山中谷から十石峠を越え、信州へ進んだが、東馬流で野営
中を襲われて大敗。逃れた一団も山梨県境に近い野辺山で壊滅した。だが、「金品の略奪や酒宴、私怨による放火や暴力行為」などを禁じた厳しい軍律は、最後
まで守り通した。
三新法
1887年(明治11年)7月布告の郡区町村編成法、府県会規則、地方税規則。郡区町村編成法では、維新後、複数の町村をまとめて設定した大区・小区制を
廃止して行政単位を郡・町・村の系列に戻して、戸長や議員を公選制にして円滑化することを図った。4連村は旧小区の枠を残した移行期の産物で、初議会から
2年後の81年には協議の上、行政単位を各村に戻している。府県会規則は、地方税で賄う予算やその徴収法を決めるため府県会の開設を定めたもの。だが、議
案の発議権はなく、議論の内容が治安上問題があるような時は、県令が中止させることも出来た。地方税規則は、あいまいだった府県財政と町村財政の区分を明
確化するもので、府県分は地方税でまかない、町村分は協議費として調達することにした。だが、それまで国費だった道路や河川等基幹施設整備費が、府県負担
に切り替えられ、地方の出費は増大した。
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日本をゆるがした十日間
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/1406/konmin.html
歴史の闇を切り裂いて困民党の精神が ぼくらの時代を照らしだす
1884年(明治l7年)秩父困民党に 結集した人々が、
竹槍や刀や火縄銃を手にして立ち上がった。
始めは3O00人、最終的には一万人と言われる
農民や職人 や商店主や博徒が、
各種税金の滅免、借金の据え置き、 支払い延期、
学校費の廃止、徴兵令改正等を要求して蜂起したのだ。
そして、生きる権利、自由、平等を主張した農民たちが、
l0月3l日から 11月9日まで(日本をゆるがした十日間)を、
明治政府を相手につくりだした。
けわしい峠道を寅市が、善吉が、宗作が走る。
深く静かに村々に困民党が根を張つていく。
「圧制を変じて良政に改め、自由の世界として人民を安楽ならしむ」
自分たち自身で、自分たち自身を救おうとする人々の
壮大なたたかいの軌跡を描く
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映画「草の乱」
http://kusanoran.hp.infoseek.co.jp/eiga.htm
★主な出演者(敬称略)★
(主人公・会計長)井上伝蔵・・・・・緒形 直人
下吉田村(現吉田町)出身。
地域の名望家として広く養蚕農民を助け、絹布の問屋商人として「丸井の旦那」の愛称をもつ。人望が厚いばかりでなく、当時全国的に流行していた自由民権運
動に触発されて自由党に入党し、東京の党本部と秩父の入党者とのパイプ役となる。 明治17年に至ってデフレ政策が秩父の農民の生活を圧迫し、ついに蜂起
するに至っては困民党軍の会計長として幹部に迎えられ活躍する。しかし事件は政府軍に鎮圧され、幹部が次々と捕縛・自首する中で伝蔵は実家の近所の土蔵に
2年間隠れ住み、そののち北海道に移住。伊藤房次郎と名を変えて妻子をもうけ、1918(大正7)年のその死の直前、家族に自分の正体を明かし、来歴を隠
さず語った事で世の中に衝撃が走った。
(総理)田代栄助・・・・・林 隆三
大宮郷(現秩父市)出身。
秩父郡じゅうにその名を知られた侠客。博徒であったというが金貸しをもしていたようで、事件直前には多くの農民に金を貸し付け、事あるごとに貧しい農民た
ちの世話を焼いていた。日野沢の村上泰治と行き違いがあって自由党には入党しなかったが、「強きを挫き弱きを扶け」る律儀な性格で、蜂起に至っては総理に
推され、困民党軍を一手に指揮する。蜂起から3日後、本陣が解体して困民党軍の指揮がとれなくなったのちは武甲山々腹の洞窟に隠れ、のちに黒谷村に移った
ところで捕縛される。翌年2月に裁判で死刑が確定し、刑場の露と消える。
(副総理)加藤織平・・・・・杉本 哲太
石間村(現吉田町)出身。
田代栄助とともに秩父郡で有名だった博徒。もともと上層農家の家に生まれたが坂本宗作らに農民救済を持ちかけられ、9月頃より困民党の活動に参加するよう
になった。事件では副総理となって農民たちの先頭に立ち、本陣解体後は川越を経由して東京・神田に逃亡。そののち逮捕され田代らとともに死刑となる。
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参考図書
井出孫六 「秩父困民党」 講談社現代新書
高橋哲郎 「律儀なれど、任侠者 秩父困民党総理田代栄助 」 現代企画室
広瀬隆 「漢方経済学」 光文社