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手記「人質」となって 今井紀明 1.冷たい銃剣 恐怖の撮影 『命は保証する』 態度一変【東京新聞】
http://www.tokyo-np.co.jp/hitojichi/
のど元に突きつけられた銃剣の冷たい感触を覚えている。頭には機関銃の銃口の先が当たっていた。「NO KOIZUMI! NO KOIZUMI!(小泉はだめだ!)」。それまでの態度を一変させて、おまえも叫べと、覆面の男たちがすごいけんまくで怒鳴り始める。
足をけられた。ビデオカメラが回っている。「首が切れる。殺される。おれは死にたくない」。いや、そんなことを思ったのか覚えていない。高遠(菜穂子)さんたちは大丈夫なのか。そんなことは覚えていない。ただ自分のことしか考えられないのだ。
どのぐらいたっただろう。撮影が終わった。気がついたら高遠さんが泣いている。郡山(総一郎)さんは大丈夫そうだ。私は首に手を当てた。切れていないか。大丈夫なのか。情けないことに、そんなことばかり考えていた。
恐怖で声を出せなくなった私たちの怖がり方が足りないと、撮影は二度行われた。拘束の初日。事件の「自作自演」説の根拠となった映像はこうして撮影された。
■ ■
ボランティアの高遠菜穂子さん(34)、私が「総兄(そうにい)」と呼ぶカメラマンの郡山総一郎さん(32)との三人でタクシーを雇い、アンマンからバグダッドに向けて出発したのは、前日の四月六日深夜だった。
米軍と反米勢力が衝突するバグダッド近郊のファルージャで、戦闘が激しくなっているという情報は得ていた。だが、運転手は「迂回(うかい)路を通れば安全だ」と言い、私たちはそれを信じた。バグダッドまでの街道を五回も往復したという運転手だった。
約四時間で国境通過。一眠りした後、明け方に再び走り出す。生まれて初めて見る地平線と昇る太陽は、人の手では作れない美しいものの存在を教えてくれた。
七日午前十一時前、私たちはファルージャを迂回する道路の途中にあるガソリンスタンドに寄った。給油待ちの車の列に並んでいると、少年がやってきて運転手に何かを聞いている。高遠さんが「さっきの子が『乗っているのはどこの国の人か』って聞いたらしいの」と不思議そうに言った。その直後だ。自動小銃カラシニコフなどで武装した十数人の民兵と、群衆に囲まれたのは。
車から降ろされると群衆の一人が「ヤパニ、ムーゼン!(日本人よくない!)」と叫び、首を切るまねをした。高遠さんは「ラ、ラ、ラ!(違う!)」と声を上げたが届かない。私は恐怖に立ち尽くすしかなかった。
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目隠しをされ、連れて行かれたのは薄暗い、倉庫のような十畳ぐらいの部屋。座らされ、目隠しを取ると狙撃ライフルや銃剣、カラシニコフなどで武装し、覆面をした男たちが並んでいた。
「ジェネラル」と名乗る男がやってきて、「おまえたちはスパイか」と最初の質問を発した。高遠さんは英語で、私たちが何者で、なぜイラクに来たかを説明した。それは十五分ぐらい続いたと思う。
「命は保証する」とジェネラルは言い、「ソーリー(すまない)」と繰り返した。
昼食に大皿に鶏肉とご飯が載った料理が出された。大皿料理をともにするのは、アラブでは「友人」を意味する。郡山さんが「安心しろ。たぶん命は大丈夫だ」と言った。太った男がビデオカメラを持ってきた。この後、冒頭の撮影が始まる。「人質」と呼ばれた八日間の始まりだった。
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自衛隊の派遣地イラクで起きた三邦人の人質事件。「撤退」を要求する犯行声明に日本中が揺れた。拘束の八日間、米国の占領に抵抗する武装グループとの間に何があったのか。そして解放後に知る「自己責任」のバッシングとは…。劣化ウラン弾の被ばく被害を調べるため、十八歳の若さでバグダッドを目指した今井紀明さん(札幌市在住)の手記を掲載する。
(2004年5月17日)