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(回答先: テスト 投稿者 クエスチョン 日時 2004 年 4 月 26 日 01:10:38)
緊急手記 拘束の3日間 安田純平(4) 「客人」一転スパイ容疑【東京新聞】紙から
「アーユー…(おまえは…か)?」
よく聞き取れなかったので聞き返す。すると若い男は顔をゆがめ、「エフ・ビー・アーイ(FBI)!」と叫んだ。全身から怒りを発している。意外な単語に青ざめた。米国のスパイだと疑われていることが分かった。
「それとも、CIAか?」「違う」
興奮させてはいけない。低い声で、口調だけは強く、否定する。
「役者だな。おまえたちはすべてを知っている。おれたちのアラビア語も理解している。妙な動きをしたら撃ち殺す!」
「FBIか!」と激怒 自動小銃に弾装てん
手にしている自動小銃カラシニコフに弾を装てんした。安全装置が外されている。いつ発砲してもおかしくない気配だ。背筋が凍った。
■■
拘束されて三日目の十六日朝、私と市民運動家の渡辺修孝さん(36)は四カ所目の拘束場所となった、どこかの小学校にいた。幅四b、奥行き七bほどの小さな教室には、うっすらとほこりをかぶった長机、長いすがびっしりと並ぶ。その一つに座らされた。窓はなく、天井近くに明かり取りの小さなすき間があるだけ。外界から完全に切り離されたのだ。「処刑もあり得るか」。最悪の場面が頭に浮かんだ。
予兆は、前夜からあった。十五日夕まではニカ所目の拘束場所にされた農家で過ごした。見張りは付いたが外のトイレにも行け、周囲の風景を眺めることもできた。しかし、午後六時すぎに車で三十分ほど移動し、納屋のような建物に移されると、様子が変わった。外に出ることが一切許されなくなる。私たちの存在が秘密になったのだ。
その夜、見張り役のイラク人男性Bから、日本人の人質三人の解放を聞いていた。「拘束されたイタリア人四人のうち、一人は死んだ。銃を持っていたからだ。お前たちは明日にも解放する」。交渉を続けてきた、米軍の爆撃被害者が収容されている病院を訪ねることにも、Bは同意した。
「やつらに復讐する」
意気揚々と迎えた朝だっただけに、小学校に着いたとたん「お前らは米国と活動しているのか?
ファック・アメリカ(くたばれ米国)!」と罵倒(ばとう)された、あまりの落差に戸惑った。私たちの立場は、客人扱いから一変していた。
■■
「おれは以前、友人と道を歩いていただけで米軍に拘束され、刑務所に一カ月入れられた。連日暴行を受け、ある日、個室に入れられて服を脱がされ…。何をされたのか想像してみろ。おれの人生は終わった。やつらに復蟹(ふくしゅう)するだけだ。お前が同じ目にあったらどうする!」
必死の釈明 「この戦争はおかしい」
冒頭の若い男が激しい口調で憎しみを語った。返す言葉がない。見張りの若い五人ほどの男は全員が銃を持っている。秘密行動をとっていることを考えると反米武装組織だろうか。Bが何か話しかけると、男の敵意がふと和らいだ。後でBが教えてくれたが、私たちがスパイではないことを説明してくれたらしい。前夜、さまざまな話をして打ち解けていたことが幸いしたようだ。
別の中年男性による流ちょうな英語での尋問が始まった。個別に約三十分ずつ、まず渡辺さん、次に私。名前、年齢、住所、職業。イラクヘなぜ来たのか、これまでイラクで何をしていたか――。
男は穏やかな口調で尋ね、アラビア語でメモする。私はイラク戦争開戦後もバグダッドにとどまったことを説明し、「イラク人の被害を伝えるために来た」と繰り返した。「この戦争はおかしい」と、取材では絶対に口にしないことも言った。ここは、生き残るための釈明の場なのだ。
「お前を殺したら、日本の首相は責任を負うと思うか」。慎重に、「それは絶対にない」と答える。「終了だ。ボスがどう判断するかは分からない」。男はこういい残して去っていった。