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尖閣問題と石油
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投稿者 クエスチョン 日時 2004 年 3 月 24 日 23:00:41:WmYnAkBebEg4M
 

(回答先: 尖閣列島の名の由来 投稿者 クエスチョン 日時 2004 年 3 月 24 日 22:48:52)

以下、1996年9月、ある掲示板に投稿した文です。現在領土問題をきっかけにナショナリズムを煽ろうとしているように感じられます。少しでもこの文が役に立てばと思います。

※それにしても、今読み返してみて、元資料を参照しながらですけれど、我ながらよく書いたと思います。確実に自分の脳細胞が萎縮しているのを感じます。


尖閣問題と石油

 中国が釣魚台列島(日本名、尖閣列島)問題を持ち出したのは大陸棚に石油埋蔵が言われてからだと言う論点がある。着眼点は実にいい。ただピントが外れている。石油埋蔵が言われてから目をギラギラさせて急に釣魚台列島(日本名、尖閣列島)に関心を示しだしたのは、実は逆で日本なのである。

 最初に釣魚台列島(日本名、尖閣列島)が日中間の問題となったのは、日中国交回復(1972年9月)前の事である。

まず、その当時の日本の石油輸入量の推移をざっと見てみる。(単位100万?)  1955年  10,003
 1965年  77,831
 1067年 107,565
 1970年 150,000
 である。15年間の間に15倍になっている。この間、中東の「六日間戦」があったり。また、石油タンカーの通路であるマラッカ海峡を「マラッカ海峡は日本の生命線である」と言う発言が一部の財界人や政治家から飛び出して、東南アジア諸国の顰蹙(ひんしゅく)を買い、中国にも批判された。以上のことを想起して欲しい。

また、この頃の釣魚台列島(日本名、尖閣列島)に関するエピソードを以下列記する。
1961年 東海大学新野弘教授が「中国東海および南海浅海部の沈積物」という論文の中で、いわゆる尖閣列島周辺海域に石油埋蔵の可能性があることを指摘。
 1967年から翌年にかけ、アメリカ海軍の海洋調査船がひそかに調査し、空中より磁気探査を行い、同様に石油埋蔵の可能性を確認。
 1968年9月、エカフェの斡旋という形で、米・日・韓・台の共同基礎調査。調査には水産大学の海鷹丸を使用、日本からは石油開発公団の技術者が参加。
 1968年11月から1969年にかけ、エカフェのアジア沿海鉱物資源共同調査委員会の名の下、アメリカ政府がエカフェから依頼を受けたという形式を取って、公然と調査を開始。
 1969年6月から7月にかけては、日本政府総理府が「尖閣列島周辺海域の海底地質等に関する学術調査隊」(隊長・東海大学新野弘名誉教授)を出す。
 1970年6月、総理府は「尖閣列島海底地質調査隊」(団長・東海大学星野通平教授)を派遣。
 以上見ても分かるように、日本政府は、中国の釣魚台の周辺に石油の眠る可能性が指摘されてから後に、突如として次から次へと調査団を派遣しているのである。

 また、日本の公教育の場で使われている地図に(つまり文部省検定済の地図)、どう釣魚台列島(日本名、尖閣列島)が記されているかを見ると一層興味深い。

「大日本読史地図」(合)冨山房出版、昭和10年(1935年)
「東洋読史地図」      〃  、昭和18年(1943年)
「日本歴史地図」 全国教育図書(株)、昭和31年(1956年)
 これらには、釣魚台列島(日本名、尖閣列島)の事については載っていない。

 突然載りだすのは、
「社会科中等地図」(株)三省堂、昭和38年(1963年)
あたりからである。「尖閣群島」の名称で記載されている。これ以降、各出版社の地図に釣魚台列島(日本名、尖閣列島)の名が載るようになる。「尖閣諸島」であったり、「尖閣群島」であったり、姑息にも名前を明記せず、新たに国境線だけを書き加えたりしている。

 また、田中啓爾東京教育大学名誉教授は日本書院から五冊、全国教育図書(株)から一冊の地図帳を監修して出版している。以下である。
「社会科中学生の地図」(株)日本書院、昭和37年出版(1962年)
「高等地図」         〃  、昭和37年(1962年)
  〃       〃  、昭和38年(1963年)
「最新高等地図」       〃  、昭和39年2月8日(1964年)
「最新詳密地図」       〃  、昭和44年(1969年)
「NEW WORLD ATLAS 」 全国教育図書(株)、昭和39年2月1日(1964年)
 この内、日本書院から出版した前の五冊には釣魚台列島(日本名、尖閣列島)の記載は一切出てこず、監修でかかわった、最後の「NEW WORLD ATLAS 」全国教育図書
(株)だけには「尖閣諸島」の記載が載っている。更に興味深い事に、この地図帳にだけは時の外務大臣・大平正芳の次の推薦の言葉が載っているのである。
》推薦の言葉
》 世界は常に進展している。
》 我々は、すべからく視野を広く外に向けて、刻々変転する世界の情勢に注目し、》世界の大きな歩みに取り残されぬよう対処すると共に、世界の平和と繁栄に寄与す》ることに努力すべきである。
》 世界の情勢を常に的確に把握するためには、最新にして正確、且つ詳密なる世界》地図がいかに必要であるかは、我々のつとに経験するところである。
》 この度、全国教育図書株式会社が、非常なる努力を払って完成されたNEW WORLD 》ATLAS は、その内容、表現、規模等、正に世界の水準をゆくものであって、我が国》の政治、経済、文化の各層に裨益するところ大であると信ずる。
》 敢えて広く江湖に推薦する次第である。
》 外務大臣 大平 正芳
そして、上記リストで気がつかれた方もいると思うが、この記載された地図帳の一週間後に出版された、「最新高等地図」(株)日本書院、昭和39年2月8日には尖閣列島に関する記載はない。

 1972年に日中国交回復がなされた時に、当時の主席・トウ(JISで漢字が出ない)小平は言った「釣魚台列島については棚上げにしましょう。我々より後の世代の方がずっと知恵があるかもしれませんから…」。
 今回の釣魚台列島(日本名、尖閣列島)問題の推移を見ていると、中国及び台湾政府は驚くほど自制していると思う。そもそもの発端は日本の右翼が灯台を建てた事である。日中国交回復時の取り決めを思い起こせば、今回の右翼の灯台建設事件は実に挑発的である。もし日本政府に誠実さが有るなら、日本政府の手で灯台の撤去があってもいい。それをしないのは黙認していると見られてもしょうがない。まして、その前に何遍も台湾漁民が釣魚台列島(日本名、尖閣列島)に近づくと海上保安庁の巡視船が追っ払っていたのを想起すれば、一般の中国人が義憤にかられて怒るのは理解できるのである。

追記、自信があるのなら国際司法裁判所でもなんでも訴えればよい。しかし、小生は日本政府は絶対に国際司法裁判所にはかけないと思います。調べれば調べるほど残念ながら日本には分がない。(^^; 何しろ竹島などではやっていた、領有の公示もやっていないのですから。「無主地の先占」もあったものではない。
なお、閣議決定を受けて明治28年1月21日に内務省から沖縄県に標杭建設の指令がされましたが、実際に現地に標杭を建てたという事実すらない。驚いたことに、標杭が建てられたのは、1969年5月5日の事です。釣魚台列島(日本名、尖閣列島)の海底に豊富な油田が有ることが推定されたのをきっかけに、この地の領有が日中間の争いの的になった後のことです。石垣市によって建てられた。

          排外主義を煽るのには領土問題が一番いい、今回の尖閣問題の
          陰に何があるのか冷静に探ろうと思っている

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