現在地 HOME > 掲示板 > 政治・選挙2 > 584.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
(回答先: Re: 裁判員の秘密漏洩、懲役最高1年 選任逃れのうそも罰金 asahi(魔女狩りに近い臭いがする) 投稿者 カムイ 日時 2004 年 2 月 20 日 23:41:05)
どうやら、これも、日本の近代司法制度の末期状態を証明する「革命的司法改革」みたいだね。そもそも、「裁判員制度」と言う「制度」ほど、馬鹿げた「捏造」も無い。と言うよりか、異常な「案」と言うべきだね。
尤も、この手の「制度」でも捏ね上げ無い限り、日本の司法その物が、存続し得ない情況に陥っている事は、間違いが無い。日本の裁判所が、「民主的手続」に反する裁判を繰り返している事は、糊塗し得ないのでね。近代日本は、最早、制度的に、末期症状にあると言う所以だね。
しかし、日本メディアは、この「裁判員制度」とやらに関しても、特段、目立った論評もして無いみたいだね。21世紀を迎えた後でも、日本の「ジャーナリスト」どもは、明治前半と同じか、それより程度の低い民度情況にある。その結果として、冤罪判決までが、あたかも「民主的」で公正な判決であるかのように報道されるのだね。それにしても、「裁判員制度」と称するこの代物は、まさに異常な「革命的司法改革」だがね。
このおかしな「制度」とやらにあっては、「同じ立場で合議体に参加する裁判官が刑事罰に問われることはない」とも言うね。裁判官が、何と、「裁判員」とやらと「同じ立場で」、審理をすると言う意味らしいがね。この「制度」では、あろう事か、司法の場において、いやしくも裁判官たる者が、陪審員と言う一般人と「同じ立場で」審理をするらしい。精神異常だと言う所以だね。
腐敗の極致にあるアメリカですら、これ程までに、異常な制度はとってい無いね。アメリカやイギリスの「陪審員制度」で、いやしくも裁判官が、陪審の議論に「参加」する事など、あり得ない。それは、「参加」と言うよりか、裁判所による、陪審に対する、文字通りの「介入」に過ぎ無い。
陪審員室が裁判所の中にあると言っても、陪審は、裁判官の「下」に存在するのでは、無い。陪審の審理に、何と部外の「裁判官」が介入すると言う「制度」は、人類史上でも最も下劣な「制度」でね。正に、日本近代の「制度」と同じで、「西洋」近代の陪審制とは、似て非なる「捏造」だと言う所以だね。
何人も、陪審員に対し、「介入」や「圧力」を行使する事は、許され無い。それが、裁判官であれ、やくざ者であれね。それが、公正な裁判を保証する為の「ルール」だ。
尤も、陪審も、裁判官同様に、只の人間に過ぎ無い。アメリカのように、「テレビ」や「人種差別」が、陪審の正義感を左右する腐敗した社会において、陪審の「評決」が誤る事も、また多いね。古くは、サッコ・バンゼッティ事件が、その代表かね。
そして、今どきの、グアンタナモ収容所と軍事法廷が、その代表かも知れ無いね。しかし、アメリカ軍の「法曹」ですら、グアンタナモの捕虜を軍事法廷で裁く事は、不正な裁判にしかなら無いと批判をしている。となると、日本の法曹とやらは、米軍の法曹より、はるかに質が劣ると言う事になるがね。
介入や圧力があり得ない「ルール」が存在して、はじめて、陪審制の制度的な公正性が「担保」されるのだね。その逆では、無い。それを、驚くべき事に、裁判官たる者が、陪審たる「裁判員」とやらの審理に「参加する」と言うのは、笑うべき「案」だね。公正な裁判を否定する為の、狂気の沙汰だと言う所以だね。
そもそも、誰がこの手の「制度」を立案したのか、不思議だね。よほど、精神に異常でもあるのか否かがね。とは言え、どうせ「法曹一元」と言われ、外国人からは能力不足と言われる、日本の弁護士エトセトラの「法曹」だから、法曹三者一体で捏ね上げたのだろうがね。それは、日弁連会長だった中坊某が社長となり、法曹三者の癒着を進めたと言う、高利貸しまがいの「債権取り立て会社」とやらが、法曹腐敗を促進した事とも似ているね。
日本の弁護士どもは、1980年代末の「バブル経済」の中で、おのれらが金まみれとなった。そして、おのれらが「地上げ」事件とやらに絡んだ。こうして、やくざ者との癒着に陥ったのだったね。
それが、中坊とやらを含む、日本の「法曹」とやらの、「転落」の始まりだったね。例の三井検事の偽装「逮捕」事件でも、証拠捏造の犯人として名前の挙がった弁護士がいたね。その自称「弁護士」も、この手の「転落法曹」の典型だ。最早、日本の法曹とやらに、「明日」と言う日は無いと、言う所以だね。
となれば、日本の法曹としても、「自作自演」で以って、末期的な「制度案」を捏ね上げる位の事は、やるだろう。そもそも、「法曹」と言っても、「只の人間」だからね。しかし、それは人間が、同じ人間を超越する「法曹」とやらになろうと言う行為であり、「悪」の行為に過ぎ無い。この手の「制度案」を捏ね上げた者には、それだけの罪があるのだね。
日本で起きた、あれこれの凶悪犯罪が、実は少年の起こした事件では無いと指摘されているね。冤罪であり、権力犯罪であるとね。だから、日本の民衆が怒るのだね。
この手の冤罪事件が多発するのは、裁判官だけで無く、検察官やら警察官やらの責任でもあるね。しかし、検察官や警察官は、どこの国でも、元々「捜査」機関であり、「裁く」機関では無い。日本の検察官のように、せっせと「裏金作り」をしようと、日本の警官のように、「武富士ビール券汚職」や裏金作りをしようと、裁判所の不正ほどの重みは、無いだろうね。
尤も、日本検察庁も、日本警察庁も、これ程までに汚職まみれとなったからには、その名を改めるべき時だ。「検札」官と「敬札」官と、言う具合にね。最早、「サツ」と言う略称も、「札束」のサツを意味する筈でね。それ以外の名称では、名前からしてウソをつく事になるのだね。
単なる捜査機関ならば、「権力」とやらを背景にして、冤罪「捏造」をしていても、不思議は無い。しかし、「裁判官」や「弁護士」が、冤罪や偽装「逮捕」事件を起こす事は、許され無い。不正な裁判を行なう事も、許され無いのだね。
しかし、その手の事件に関係している裁判官やら弁護士やらは、検サツ官やら敬サツ官やらとしめし合わせて、おのれの不正を承知の上で、堂々と冤罪判決を下しているらしい。それも、真の原因はと言えば、「能力不足」が原因だろうがね。だから、おのれの無能と不正を糊塗する為、制度を改変する。これは、もはや法曹と言うよりか、精神異常者だと、言う所以だね。
法廷にあって、唯一「裁く」立場にある「裁判官」が、陪審員の議論にまで介入するなどと言う「制度」は、どこの国にも存在し無い。まさに、世界の笑いものと、なるだけだね。この「裁判員制度」とやらは、近代日本の末期情況を証明するだけの、笑うべき「司法改革案」だと言う所以だね。